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【小説】五丁目のチラシ

 仕事から帰ってポストを開けると、一枚のチラシが入っていた。

「裏通り安全の日」
 五丁目にお住まいの皆さんへお知らせです。毎月第三木曜日は、裏通り安全日です。
 自転車で裏通りを心ゆくまで走れます。参加希望者は、下記の電話番号まで。 

 わら半紙に、そんなそっけない文言が印刷されている。

 五丁目に住んで五年になるけれども、いままでこんなお知らせが届いたことはなかった。裏通り安全の日というからには、気兼ねなく裏道を自転車で走れるのだろうか?
 ちなみに私は電車やタクシーや人の運転する車には乗らないと決めており、どんなに遠いところでも自転車に乗って行く(近いところでも同じだ)。乗り物に乗ると、頭の計算力がついていかない。窓の外を飛ぶ景色をすべて把握できない人間が乗り物に乗ると、景色がばらばらになって二度と家には帰れなくなる。
 歩行をしないのは疲れるからではなく、歩行速度の景色計算がとろすぎて、こんどは気持ち悪くなってしまうから。要するに、歩き酔いする性質なのだ。

 チラシに書かれた番号に電話をしてみると、女の人が出た。
「参加希望者の方ですか?」
「はい」
 電話に出た人は、そもそも裏通り安全日って何でしょう…という私の言葉を遮って、
「今から質問をします。お答えいかんでは、参加は認められません」
 厳しい口調で言った。
 いったい何を聞かれるんだ?自転車乗車能力か、体力測定の結果か。もしも犯罪歴や貯金額を尋ねられたら、即刻この電話を切ってやるぞ。
「あなたの家には今、たくさんありすぎて困っているものはありますか?」
「は?」
「ないんですか?」
 いったいそれが、自転車と何の関係があるというの。
「あるんですか、ないんですか?」不審がる私をよそに、女の人は、なおも言い募る。
「あ、あります。ホチキスの芯です。いつも足りなくなるので業務用を買ったらさすがに多すぎて、毎日ノートやメモ帳をつくってるんですけど一向に減りません」
「なるほど」
「あのう…合格ですか」
「もう一問」
 まだですか。
「私の家に足りないものはなんでしょう?」
 そんなこと知るか。
「えー、割り箸かなあ」
「合格です」
 うちに割り箸も余ってますけど、差し上げましょうかと言うと、その答えは違いますとすげなく答えられたが、ともかく審査には合格したらしい。
 裏道安全日のは、天気は上場で、風はなかった。ただし、帰り道にはたいそうな向かい風に苦しめられた。

 ★
 
 裏通り安全の日からひと月後、またポストにチラシが入っていた。

「行き止まり通過の日」
 ふだんは通ることのできない、行き止まりの道を通り抜けることができます。 
 
 さっそく電話をかけてみると、今度は男の人が出た。質問はなかったが、かわりに注意事項を告げられた。
「なるべく歩きやすい服装で、食事は各自持参、ごみは必ず持ちかえるようにしてください」

 私は木曜日が来るのを待って、リュックサックに焼き鱈子の握り飯をひとつと、水筒を入れて家を出た。写真をとることはまかりならんとのことなので、スケッチブックと鉛筆も用意したが、うまく描ける自信はない。

 集合場所は行き止まり近くの公園のブランコ、集合時間は夕方五時ちょうどだ。五時五分前に到着すると、すでに協会の案内人が一人に六人の参加者が来ていて、あとから二人加わったので都合十人になった。

 市役所から流れてくる五時の時報が流れてきた。
「出発ですか?」
 誰かが聞いた。
「まずは腹ごしらえから」
 と、案内の人が言う。
「さっそくですか。てっきり途中で食べるものかと」
 それなら家で食べてくればよかったのではないかと思いつつ、各人ブランコやベンチで持参したおにぎりやサンドイッチを腹におさめ、心を整えて私たち九人は歩き出した。

「では、こちらから」
 係の人が指さしたのは、石の階段だ。猫が三匹、それぞれ段違いに寝ている。
「いつも灰色と黒とぶちの猫がねそべっている行き止まりなです」
 係の人がかつぶしを袋からだすと、猫は流線のようなはやさで飛びついた。その隙に参加者は蔦のからまる大きな玄関のある家へと向かう。庭を通ると、行き止まりの先ゾーンに入ることができるらしい。

 残念なことに、そこからさきの世界がどんなものだったのかすっかり忘れてしまった。他の参加者にも聞いてみたが、みな同じように覚えていないという。ただ、夢の内容を思い出せずとも夢見たことは覚えているみたいに、なんとなく気配や色は漂っている。スケッチブックに何か描いてないかと思ったが、リュックに入っていたのは、お握りを包んでいた銀紙と水筒とハンカチだけだ。

 ただ、リュックサックの底がすこし濡れている。甘い香りの紫色の液体で、とろとろしているから水筒の麦茶ではないだろう。行き止まりとなにかの関係があるのか?

 私はリュックを日あたりのいい場所に置いた。新しいスケッチブックも手に入れたし、次の「行き止まり通過の日」まであの香りが残っていたら、今度こそ行きどまりの先を覚えていられる気がする。





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