浦部法穂の『憲法の本』が訴えていること
憲法関連の本を読み進めていくなかで、浦部法穂さんの本は3冊目とまります。憲法について知りたい人への入門書として、本書はお薦めではありますが、このブログでお伝えしたいのはその点ではなく、この本で浦部さんが述べられていることを多くの人に知ってもらいたいから、その点について書かせていただきます。
それはまずなによりも、憲法改正の議論が繰り返し盛衰するなかで、2012年の自民党の改憲案は改正と呼べるものではなく、革命だという点です。
改正か革命か
憲法改正とはどういうことかについて、浦部さんは次のように書かれています。
本書の冒頭にある「はしがき」の中では、次のようにも書かれています。
これは2005年に書かれたもので、この時点では、自民党の憲法改正案の全容はまだ明らかではありませんでしたが、2012年の憲法改正案は自民党のホームページにいまだに掲載されていて、そこでは憲法の全文にわたって修正が加えられています。上記の浦部さんのご意見に照らして言えば、そんなものは、憲法の枠内で許される改正ではなく、彼らがやろうとしたことは「改正」という名を借りた「革命」だったということです。
個人の人権を守るためにある憲法
この改憲案では、現在の憲法の基本原理にも変更が加えられていて、その一つである国民主権も大きく後退しています。成長し続ける強い国家を作るために、国民が存在するかの如き印象を与えるような文言があったり、国民のために憲法を制定するのではなく、国のために憲法を制定するといった部分もあります。
憲法はなによりも個人の権利を守るために存在しているということを、憲法について読み進めるなかで学びました。その基本的考え方を浦部さんは次のように書かれています。
たった一人でも犠牲になってはならないというのは、あまりにも理想論だと思われた方もおられるかもしれませんが、浦部さんのこの考え方を、わたしはとても大事なものだと感じました。コロナ禍の経過を追い続けて、政府や行政がやっていることを身近に感じてきて思ったのは、多くの政策担当者が社会を守るためには、ワクチンの副反応によって多少の犠牲がでてもしょうがないという、ある種のあきらめを根本に抱いていたのではないかということです。一人でも犠牲者がでてはいけないという発想はなかったと思うのです。だから、新型コロナによるワクチン被害の規模が、かつてない大きさとなっても、その被害者たちは多少の犠牲者のなかに含まれてしまい、想定内の出来事として、彼らの心情のなかでは片付けられてしまっているのではないでしょうか。
日本国憲法が守ろうとしているのは、かけがえのない個人なわけです。あなたも、わたしも、この地球に一人しかいない。過去にも未来にも一人しかいない。そういう貴重な存在です。家族の中で、地域社会の中で、交友関係の中で、かけがえのない存在です。そういう個人を一人でも犠牲にすることの重みを感じながら政策に携わるのと、「多少」という漠然とした数で個人を捉えて遂行していくのとでは、でてくる政策に大きな違いがあるはずです。
自民党の改憲案は、今の政策関係者のマインドセットをよく反映しているものでもあるのでしょう。彼らは、わたしたち国民を国力のためにどう利用しようかというところから考えているようです。もしかすると国力というのも単なるメッキで、自分のためになのかもしれません。
日本国憲法は、わたしたち国民が政治家や官僚など政策担当者に、守ってほしいことを規定しています。国会議員や官僚が憲法をどういうふうに理解しているかを、わたしたちはもっとよく見定める必要があるのだと思います。そのために、まずは、わたしたち一人ひとりが、憲法をよく知るということが大切なのだと思うようになりました。
人間の安全保障を先取りした日本国憲法
日本国憲法は世界でも最先端をいく条文を含んでいます。世界では今、軍事力に頼った「国家の安全保障」ではなく、「人間の安全保障」という観点から安全保障の問題を考えるべきだという考え方が、一つの大きな潮流となっているそうです。
なまの暴力だけでなく、安全についての広い概念をもとにした捉え方を、日本国憲法はしていたと、浦部さんは次のように書かれています。
自民党の改憲案は自衛隊を軍隊として位置付けることも含みもっており、憲法改正の範囲を逸脱しているという点も留意すべきことですが、それ以上に日本の独自性としての非武装平和主義は、わたしたちが守っていかなければならない大事な理念であり、それを維持し、その実現に向けて努力していく必要があると思いました。
本書のなかからもう一つ取り上げたい大事なポイントについては、また別途投稿します。