〜TOKYO〜 東京に憧れは無かった なのに・・・ 私の中で蠢く得体の知れないモノに突き動かされて 人生の半分を過ごした生活圏を離れ 東京の片隅にやって来た 東日本大震災の翌年 もう12年前のこと 安く棲めた事故物件 昼夜逆転した生活 慣れないイントネーション それでもなぜかワクワクしている私がいた イノチさえあれば今日を生きられる 何も持っていないから 守る義務と失う不安も感じずにいられた 知らない場所を知ることが 宝探しごっこのように思えて 1人でも多く
〜モクロミ〜 近年 出会いのきっかけとして有効活用されているマッチングアプリ その響きに嫌悪感さえ感じる昭和生まれの私 でも、それはモクロミ次第なのだということを私は知っていた もう随分ムカシのコト・・・ 前夫のモラハラに耐えに耐えた年月の中で 私は解放の時を密かに目論んでいた そして8年の年月を費やして、其れを実行した 覚悟して家を出た1年後に やっと離婚届にハンコをもらった とにかくもう関わりたくなかったから慰謝料も請求せず 生活圏内のまちの片隅の 6畳一間に身
〜キッカケ〜 その頃の私は明日をどう切り抜けて生きていこうかと困惑していた なぜかというと、当月の家賃支払いのためのお金を腐れ縁の仲間に貸し 返金してもらえなかったからだ お人好しにも『ホドがある』 そうだよね・・・ 返って来ないこともおおよそ予想は出来ていた でも、、、 「知らないよ」「関係ない」「自分でなんとかしろ」「無理」「嫌だ」 という言葉を選択する自分を意味もなく嫌ってしまった それを「奴を信じたい」なんて甘ったるい言葉に変換していただけ 結果、自分のお
〜プロローグ〜 娘の私から見て、両親はとても仲の良い夫婦だった でも・・・それをヒシヒシと感じたのは 父が脳腫瘍を患って、余命宣告を受けてからだったような気がする 勝気な母はいつも小言を並べていて 父はため息混じりに面倒臭そうな顔をしていた なのに、小さな骨壷に納ってしまった父を 「お墓に入れると寂しくなるから・・・」と手放さず 仏壇の横に置いて花を手向ける母 定年後に二人で行った旅行の写真をぼぉっと眺めて 「お父さんがおったらきっと・・・」と 視えない父の言葉を代