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うまくいかなくて我に返る 日記2023/01/15

※ 暗めの内容です。

今日は、頑張れなかった。

ぜんぜんうまくいっていない。
そういうとき、はっきりと足元に何もないことを感じることがある。
目を逸らしていたことを、思い出す。

何もかももう駄目だから、やっぱりいなくなるしかない。
騙し騙しやっていたのに、再びそう思えてくる。

考えてみると、私は何を希望に生きたらいいんだろう。

頑張りはいつも続かない。
頑張りにはどうしても苦しさが伴うことがあると思うけれど、私はそれを乗り越え続けられない。

かつて、「自分のやりたいこと」に対してさえ、そうだった。
今、「求められること」をこなすしかない私にとっては、尚のこと。

自分を脅して頑張るしかないから、ますます頑張ることに対して嫌なイメージがついていく。
そのうえ、「また続けられなかった」が繰り返されるから、無意味なイメージもついていく。

頑張るか、死ぬか。
前者の「頑張る」ことは、私にとっては継続不可能な苦しいこと。
だからこの二択の人生のなかで、私は自然と死ぬ方に傾いていく。

極端な人間だから、頑張らないときには徹底的に頑張らないのが私だ。
一度落ちると、本当に長いこと立ち直れない。

今日は少しだけ頑張ってみる、ということも難しい。
どこかに、「全部同じ色にしたい」という強迫的な感覚があるからだ。
少しの落ち込みがあれば、すべてを落ち込みの色で塗り潰さなければならないと思っている。
そうしたくないときでさえ、勝手にそうなってしまう。
だから少し落ちれば、私は徹底して何もしなくなる。できなくなる。

そんな有様でいると、私の場合、周りに誰もいなくなってしまう。
元々価値がないのに、少しの頑張りも徹底して見せないというのだから、仕方のないこと。
私の足元には、本当は何もない。
そのことは、私自身を脅すネタになる。

そんなネタで自分自身を脅しつつ、目を逸らして、「求められること」を騙し騙しこなせるときもある。
今回は、今日に至るまで、5日間は何とか続けられていた。

けれど、今日みたいにふとそれがうまくいかなくなって、ふと我に返ったとき、「私に『何もない』ことは変わっていなかったんだ」と感じる。
思い出す。
騙し騙しの頑張りはいつも続かないから、何度も何度も思い出す。

希望について考えてみる。
普段から「ない」ことが当たり前になっているせいで、どこかでは忘れていた。

私自身にも、私の家に関しても、心が重たくなることで溢れ返っている。
それが当たり前になって、どこかではそのことを忘れている。
事実は認識しているのに、その「マズさ」が自覚できなくなっている、というふうに。

忘れなければ頑張れないから、きっとまたすぐに忘れることになる。

明日はどうにか頑張ろう。

お願いだから絶対に頑張って。
私に「何もない」ことなんて当たり前なんだから、とにかくお願い。
私にはどうしたって我が身可愛さがあるけれど、本当はどうなろうが構わない存在なんだから、お願い。

何のために頑張るのか?
よくわからない。
けれど、私には自分自身を脅すネタがあるから、それが動機。
希望はないから、それだけが動機になる。

2月になったら、一旦全部忘れられると考えて、私にはそれまで耐えてほしい。

ʕ⁠っ⁠•⁠ᴥ⁠•⁠ʔ⁠っ🎈

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