心の中のイメージを美しく
私が滞在するこの国も、
だいぶ春めいてきて
春の陽射しは柔らかく
あちらこちらに桜や梅の花が
咲き誇っています。
四季がある国はいいなぁと思います。
標高にもよりますが、緯度が近いと
育ちやすい樹々や草花の種類や
近いのかなと思います。
やはり、春を待ちわびる人々の心は
国や地域が変わっても
同じなんだなと思います。
春先、この霞がかった空気感。
頭の中ももやがかかったような
ぼーっとする感じがする人も
多いのかなと思います。
滞在先のホステルのルームメイトも
眠い眠いといって
お昼寝をしていました。
もう1人の女の子は、
朝起きたら頭痛がしていたと言っていて、
月の満ち欠けのリズムや
季節の変わり目の影響もあって
肉体的にも変化の時期なのかなと思います。
今年は4月の月初が新月に重なり、
何か新しいことをスタートするには
もってこいのタイミングのようです。
縁起を担ぐのは素敵なことだと思います。
外側の世界が内面の反映だとすると
自分の中の内面世界を豊かに美しくすることが
先決なのだと思います。
内側で起こっていることは
外側の人からは分かりません。
まあ、イライラしていたり
悲しんでいたり、怒っていたり
喜怒哀楽が激しければ
その様子は外側からでもわかります。
でも、個人が
脳みその中で何を考えているか、
心の中で何を思っているのかは
他人からは理解はできません。
身近な人であれば推測はできても、
リアルではありません。
親子であっても
家族であっても
夫婦であっても
親友であっても
どんなに近い存在であっても
自分の頭の中・心の中を
理解して管理できるのは自分だけです。
だからこそ、
その自分だけの聖地である
自分の中の内面の思考や感情状態を
美しくクリアに整えて
気分良く在ることは
すごく重要だと思います。
自分が穏やかであって
感謝と提供のマインドでいると
世の中はそのように見えます。
自分に引き寄せられてくるものが
自分の内側でイメージした性質のものに
自然となってきます。
不思議ですね。
というか、宇宙の仕組みとして
それが当然なのかもしれません。
意識しているとそれに気付けると思います。
宇宙の仕組みであり
潜在意識の動きなのでしょうけれど、
この仕組みは想像している以上にシンプルで
みんなに平等なのだと思います。
地球上の物理的な空間は
同じ場所いたとしても
個人個人での体験が全く違うというのは
本当に興味深いことだなと思います。
生まれる環境は選べなくても
その後のマインドの持ち方の違いで
見る世界、創造する世界は
変わってくるのだろうなと思います。
私は母親なので
やっぱり次世代のことが気になります。
子供たちや若者たちの目に映る世界が
美しく素晴らしいものであって欲しいなと思います。
世界は進化して変化していくので
時代時代で全体的な価値観も変わっていくだろうし
創造できるものもかわってくると思います。
どんどん豊かになっていっていると思うし
次世代は益々クリエイティブな発想を
生み出せるのだろうなと思います。
そうやって世界は地球は
存続して来たのではないかなと思います。
ここで近日感じたことを
綴りたいなと思います。
私自身は、武道も格闘技もご縁がなくて、
スポーツも小学生の頃に
バレーボールをしていたくらいで、
運動競技を本格的に取り組んだことは
ありません。
家族のメンバーに
トレーニング好きで
武道や格闘技などを好むメンバーがいます。
1人でも黙々と体を鍛え続けるし、
友人にも教えたりして、
一緒にトレーニングをするのも
好んでやっています。
また、私の師匠も
幼少期の頃から様々な武道や柔術を
追求・研究されて
健康学やトレーニング、ヒーリングなど
理論と実践の両面で探究され続けています。
なので、ちょこっとだけその世界を
聞きかじったことはあります。
それで先日、家族メンバーが
『Breaking Down 』という
朝倉未来さんが主催している
格闘技の大会のYouTube動画を
紹介してくれました。
少し見てみるとけっこう興味深くて
私にはご縁がなかった世界が広がっていました。
ハマることはないとは思いますが、
でも、それに参加する方々の
人生背景に興味を抱きました。
参加者は闘いの場に出場するくらいなので
参加者は皆、格闘技経験者や
ストリートで喧嘩をしてきた方々が
多いと思います。
しかも男性なので、
本能的に闘うという性質が
備わっているのだと思います。
その参加者の中のお一人と
朝倉未来さんが対談をしている動画を
拝見しました。
その方は、10代後半の頃に
ある事件の現場に居合わせただけで
罪に問われて、強引な取り調べの上に、
それを認めなかったが故に
裁判期間も伸びて、刑を処され、
刑務所に4年半という年月、
入れられてしまったとのことでした。
冤罪とのことでした。
罪を追求されるべき超本人は、
逃走して、しかも偽名であったようで、
捕まっていないとのことでした。
ことの真相は分かりませんが、
でも、きっと世の中に
冤罪というのは存在しているだろうなと
思われます。
10代でヤンチャをして、
まだ若くて未熟で
世の中のことがわかっていなくて。
若さ故に、頭にも血が上りやすくて。
一見、すごく悪い奴に見えてしまう。
私ももし10代に戻ったとしたら、
そういう類の人たちとは
距離を置きたくなるかもしれません。
また、ヤンチャな集団を見ても
いいとは思えません。
でも、私も娘と息子がいます。
親になってみると
もし、自分の子供が
そのような境遇に陥ったとしたら?
と考えると、やるせない気持ちになります。
子供たちって
本当にピュアです。
私自身の子供たちは
10代後半と20代ともう大きいのですが、
小さい甥っ子も姪っ子もいますし、
可愛い孫娘もいます。
本当に純粋で好奇心の塊で
その子その子特有の個性を持っています。
子どもたちの周りの友達たちを見ても
どの子の存在もオリジナルで
唯一無二の輝かしい存在だなと思います。
私たちはみんなに親がいて、
家庭環境は様々だと思いますし
色んな背景があると思います。
その中で子供たちというのは
外側からの影響で
持った生まれた個性に
色々な色付けがされていくのだと思います。
なので、ヤンチャをしたくなったり、
敢えて世間の一般常識から離れたことをしたくなったり、
良識ある大人たちの言いなりになるのは嫌だと
自己表示・自己表現したくなって
悪さをしてみたくなるのだと思います。
1960年代くらいに研究発表された
人間の発達段階に関する
『ステージ理論』
というものがあります。
『ステージ理論』は、日本ではあまり
一般的には知られていない概念だと思います。
これは、人間の進化成長の縦の動きで、
ステージ1からステージ8まで、
理想的には順番に下から満たして上がって
発達進化していくのが理想です。
奇数と偶数のステージで、
ジグザグに上がっていき、
自己中心→自己犠牲→自己中心→自己犠牲→…
と順番に上がっていくのが
理想的な流れです。
奇数ステージが『自己中心ステージ』
偶数ステージが『自己犠牲ステージ』です。
概念を理解するには時間を要するので、
今回は、ステージ3を中心にお話しします。
ステージ3 というのは
自己中心ステージであって、
一般概念的には、ヤンチャをするステージ。
世間に反発して悪さをしたり、
外見的にも自己主張をします。
いわゆる不良のような、
アウトローのような感じです。
そして、奇数ステージは
クリエイティブなステージでもあります。
奇抜な服装をして自己表現したり、
髪型やカラーもこだわり、
体中にタトゥーやピアスをしたり、
ウォールアートのような壁画を描いたり、
様々な自己表現の形があります
ラップ音楽などで、世間を風刺したり、皮肉ったり
というのも自己表現の1つです。
奇抜な独特なダンスなどもその1つです。
クリエイティブな自己表現の仕方は様々です。
このステージを通るのは、
人間の進化の自然な流れであり、
大切なステップです。
でも、現代の先進国においては、
このステージがスキップされることがほとんどです。
簡単に説明すると、
ステージ1は、赤ちゃんのような
自己中心的なステージで、
生存に関わるステージです。
生存欲求の基本的なところを満たしたい。
衣食住と生存や種族の繁栄など
動物的な生命維持に関わるようなステージです。
ステージ2は、
自己犠牲的なステージで
トライバルステージとも言われます。
家族や種族や小さなコミュニティなど
100人以内のグループに属し、
その中で長がいて、
その中で序列や決まりがあって、
その中のしきたりの中で生活します。
絶対的な存在として『長』がいて
長に従っていれば自分は護られると思っています。
迷信や儀式的なものにも価値を置きます。
その次のステージとして、
ステージ3が存在しています。
そして、ステージ4は、
日本や先進国の一般常識的な
秩序ある世界観の社会です。
なので、多くのある程度安定した
現代的な生活を送っている国や地域であれば、
このステージ4に属している人が大半といえます。
現代は、核家族で都市化しているので、
このステージ1、2、3をしっかりと経験せず、
スキップしてして
生まれた時からステージ4的な生活環境の中で
生きることになります。
常識というものが存在して、
これ自体も決まったものではないのですが、
いわゆる国とか社会とか地域とか
決まりとかルールの中で
平穏に共存するために
みんなと一緒に合わせるような
そういう世界観の社会です。
なので、多くの大人たちは
このステージ3 を経験せず、
ステージ4 社会に属しているので
ステージ3 的な感覚がわかりません。
だから、決まりや規律の中で
ヤンチャをする子たちを裁いて、
頭から悪いと決めつけて、
まともに話を聞くことをせず、
過剰な罪を着せられてしまうことが
あるのだと思います。
罰せらるべきケースもあることは事実です。
しかし、権力やパワーで、
自己の面子を保つためであったり、
狭い価値基準でものごとを決めつけて
感情的な鬱憤を晴らすために
本当は罪に値しない若者に対して
罰を要求するというのは
高い視点から見れば
やるべきではないことだと思います。
本来、子供たち、次世代を導くのが大人たちの役割。
ステージ3をスキップしてしまったり、
この概念を知らない大人たち、
つまり一般的な多くの大人たちは、
自分がこのステージを経験したことがないから
その気持ちもわからない。
外側に表れているのは自己表現の手段です。
本当に悪さをしたのであれば、
精神異常者でない限り
それは本人も罪だとわかるはず。
自分には嘘はつけません。
負わなければならない罪もあります。
でも、そこの経験を経て、
社会の中で生きていこうとするときに、
自己卑下しすぎることなく、
腐ることなく若者たちが生きていけるように
社会の受け入れが整っていくことを願います。
そもそも、ピュアな好奇心の塊である
子供たちが、ヤンチャをして
オーバーになりすぎてやり過ぎてしまわないように
見守れる大人たちであることが理想ですし、
もし、自己表現の形に偏りがあり過ぎた時には
真剣に向かい合って、その子たちを
導けるような環境が整えば理想的です。
思うのは、外面に現れることは
内面世界の反映だと考えると、
子供たちや若い世代が、
内側で美しい世界観やイメージを抱けないのは、
社会や大人たちの責任とも言えます。
大人たちが美しい理想を描き、
そして、生き方そのものもクリエイティブで
自由で固定概念がなく、オープンマインドで
一方的にジャッジすることなく
聴く耳をもっていたら、
子どもたちも そんな大人や
お兄さんお姉さん達をみて、
豊かな自由な発想ができて
独自の素晴らしいイメージが抱けるように
なるのではないかなと思います。
大人たちが醜い発想をして
狭い世界観の中で物事を決めつけて見て、
ジャッジしていたら、
次世代が世界に希望を抱けるとは思えません。
理想を抱いたり、
夢心地なことばかり言っていると
そんなのは理想論だと言われるかもしれません。
でも、我々人間は、
様々な発明も発見も
想像できないものは具現化できなかったわけですから、
すべてが内面世界から生まれているということは確かです。
より良い世界にしていくためには
個人個人、1人1人の
意識改革からなのではないでしょうか。
そして、やっぱり教育ですね。
先人の知恵を学ぶこと。
広く大きく知ること。
狭い認識の中からは、偏った判断しかできません。
大人たちも積極的に学び、
次世代を導いていけるように
成長していく必要があると思います。
成人したらそれで終わりではなく、
人間の進化成長は、死ぬ瞬間まで
続いていると思います。
多くを見聞きし、体験し、知識の幅を広めて、
可能であれば、日本以外の土地を訪れてみるのも
すごく素晴らしい気付きの機会となると思います。
まず、できることは
自分の頭の中のイメージをクリアに美しく整えていくこと。
そして、生きていることに感謝して、
提供の精神を忘れないことが大切かなと思います。
すべては自分からです。
次世代が希望を持てる美しい世界になっていくこと、
世界に平和が訪れることを祈ります。