摂食障害25周年!⑭
「拒食ピーク後の生活」
なんだかんだと、正確な味覚を取り戻すことができた。
すぐに前のペースに戻った訳では無い。
数週間は毎朝起きれるか不安だった。
寝る怖さもすぐに消えなかった。
食べることも苦手だった。
1ヶ月くらいは饅頭以外食べれなかった。
しかも饅頭1つ食べるのに8時間くらいかけていた。
つまり仕事しながらやっと1つ食べ切るという生活をしていた。
味覚は大丈夫なはすだけど、確認するのが怖かった。せっかく過食治ったのにまた食べるのが怖くなった。
饅頭は毎日食べていた。
記憶通りの味がする。安心した。
饅頭1個くらいなら吐かなくていい。
そう自分にルールを課した。
とはいえ、人間トライアンドエラーなので、ある時開き直って思い切ってスーパー、コンビニはしごして1万円程買い込んでネットカフェに飛び込めばあら不思議。
食べれる。吐ける。何事もなかったように戻った。
あの体験は夢だったかもしれない。
特に何かしたわけでもないのに。
いや、やったことと言えば。
「ホントに食べれないのか?」
「怖がってるだけで実はもう普通に食べれるのでは?」
「過食に戻るのこわい?食べないより食べた方がいいのでは?」
とりあえず、口に放り込もう。
ダメなら、また饅頭食べればいい。
昔から持ってる性なのだが。
食わず嫌いなどでカマトト振ることが嫌いだ。
未体験のことを知った被る態度は自他ともに不快感がある。
やって失敗ならよし。
やらずに失敗を決めるのは悪し。
「知らないこと」を知ることが好きだ。
だから、今の私が本当に食べれないのか、怖いのか、どうしたいのか。
自分の知らない何かを知りたかった。
やってみれば呆気をとられるくらい普通に食べれた。
長く少食生活だったので、量が食べれないかもしれない。
そんな不安をよそにパスタを4人前平らげた時点で「いつも通りじゃないか」と笑った。
パンを5個、サラダを2人前、スープを10秒くらいで飲み干した後におにぎりを3個2口ずつで片付け。
吐くための水分補給をしながら天井を見上げて思った。
ホントにあの体験はなんだったのか。
もしかしたら、人生の分岐点だったかもしれない。
あれは警告で、生活改善しないとヤバイですよ引き返せませんよ、と。
有難い御先祖様からのメッセージだったかもしれない。
貴重な体験だった。
内容はともかく、結果的に私は食への有り難さを改めて考えることができた。
感覚がバグる恐怖。
20年以上経った今でも覚えているあの恐怖。
あの1週間の出来事は一生忘れないだろう。
食べれることの有り難さ。
食べることは生きることだ。
どこにでもありふれたフレーズだが重みを感じれるのは失った経験がある人間だけなのだ。
無理にわかる必要はない。
無理に何かを失おうとする必要はない。
もし失ってしまった時だけ。
「あること」の有り難さを味合えばいいのだ。
それは自分だけの感情なのだから。
たくさん、感謝をしながら。
また私の過食ライフがスタートした。
母も口にはしないが私が食べ始めたことは少なからずとも喜んでくれただろう。
まあ、数年後。
うん100万という借金になるんだけどね。