思考が止まらない、という感覚について。
休職に至るまでの数年、些細な記憶が無かったり、人の話があまり頭に入ってこなったりすることが何度もあった。
これは、自分の中の思考が暴走している点が影響していると想定している。
思考が暴走している時の自分の感覚としては、早口の人の話をひたすら聴き続けている感覚だろうか。
自分で発散していると同時に、受け止めてもいる。
しかもその相手は興味のある人物(=自分)であるため、集中し全力で聴かざるを得ない。
自分の中でこんな事態が常時起きているため、目の前のものが見えてこず、聞こえてもこないのだ(脳が情報を遮断している状態か)。
例えば、お風呂中に思考が暴走していると、お風呂から上がる瞬間「あれ、トリートメントしたっけ」となる。
実際に髪の毛を触るとしっとりしておりトリートメントはしていたようだが、全く記憶が無いのだ。
自分の中をとめどなく流れる思考に閉ざされると、思考と同時に行動している時の記憶が、すっぽり抜けるのである。(※個人談)
思考が暴走している時の感覚として、「早口の人の話をひたすら聴き続けている感覚」と記載した。
ここで厄介なのが、「早口」「ひたすら」という点だ。
猛スピードで様々な思考が途切れず流れる。
余白が一切ないのである。
そしてその思考は、時に何重にも折り重なって流れ続ける。
私の場合、過去の後悔と未来のタスクに対する思考が止まらなかった。
「やっぱりミスしてしまった。事前に違和感を感じていたのになんで先回りして確認できなかったんだ」
「後輩指導がきつく傷つけてしまったかも。なんであんな言い方してしまったんだ」
「あの人は私のことを元上司と比べてできないやつって思っているんだろう。なんで自分はあの時うまくできなかったんだ」
という過去の後悔が渦巻いている中、
「冷凍ご飯が無い、研いでおかなきゃ」
「人事評価が始まる、早めに後輩たちに情報共有してヒアリングしておかなきゃ」
「明日あのミーティングがある、この点先に準備した方が良いかな」
「掃除しなきゃ」
「洗濯しなきゃ」
・・・
という、1分先のこと、明日のこと、もっと先の思考が折り重なってくる。
もしかしたら、上記の考えが浮かぶのは普通のことじゃ無いか? と思われるかもしれない。
しかし上記のような思考が、余白なく、早口で捲し立てられ続け、止めどなく溢れ続けているとしたら、それは普通と言えるのだろうか。
休職前、私のこの思考を止めることができたのは、好きなドラマや、漫画、本であった。(本は頭に入ってこなくなることが多々あったが。)
ただし、見終わったり、読み終わった瞬間、思考のダムが放流され始める。
どばーっと。ざばーっと。
そのため、仕事以外の時間はひたすら何かを見て読み続けようとしていた。
食事中もお風呂で湯船に浸かっている時も、思考の波に飲まれたくなくて、ずっと何かを見て、読み続けた。
ー その結果、休みの日や楽しみだった予定の時ですら、目の前のものを感じ、見ることが難しくなった。
休職した当初、家族で楽しみにしていた旅行に行ったが、ずっと心ここにあらずで過ごした。
何をしても、大好きな温泉に浸かった時でさえ、心の反応はとても鈍かった。
休職して早2週間が過ぎた。
瞑想を毎日の最低限タスクに取り入れつつ、「ながら」をしない生活を心がけてみている。
テレビの時間も減らし、変わりに好きな音楽をかける時間を増やしてみた。
何が自分を苦めていたのか、気づいた習慣をそっと変えてみて、どう感じるのかを確かめながら、一つ一つ試している。
少しずつだが、思考に余白ができるようになり、何より早口ではなくなった。
発散する自分と、受け止める自分。
罰する自分と、罰せられる自分。
傷つける自分と、傷つけられる自分。
後者の自分に寄り添ったらどうなっていくのか。意識して過ごしてみたい。
自分も人々も、幸せで健康でありますように。
おやすみなさい。
燦