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お守り本 「今のわたしになるまで」

最近、テレビも、音楽すらもかけず、何もせずにぼーっと過ごす時間が増えた。ただただぼーっとしている。何かはしたいけれど、動きたくない。でもどこか不安を抱えている状態。心地よいぼんやりとした時間を過ごすのは、なかなか難しい。

休職初期は、「せっかくたくさんの時間があるのだから、有意義に過ごさねば」という思いでいっぱいだった。
自分はどうやったら復活できるのか考えて、1日のルーティンとかも考えてみたりした。でも、その通りに過ごせない日も多く、そうなると自分を責めていた。

そう考えると、ただただぼーっとできるようになったのは、よくなってきているのかなとも思う。以前は嵐のように次から次へと吹き荒れていた自分の頭の中の思考も、最近はゆっくりになった。この点を考えると、やっぱり長い間休んできた意味はあったなと思う。むしろ、意味がなかった時間にはしたくないというか。

ただ、自分のことを許してあげるのが難しい。
どんな自分なら好きなのか?と自分に問うてみると、「やるべきことをやる」という考えが浮かんだ。
これは、今の何もしていない自分を否定している意味になるのかな、と感じた。

・・・

こういう日々の中、うつを経験している人のエッセイに救われることがある。こういう感覚が辛いのは自分だけじゃなかったのかと思えるだけでも、かなり救われる。

特に最近は、usaoさんの「今のわたしになるまで」という書籍を何度も読み返している。

元々はツイッターに上がっていたもののため、好きな部分を一部抜粋してみる。

申し訳ない気持ちや自分を責めてしまう気持ち。

朝が来るのが怖かったし、朝起きた瞬間、絶望から始まってたなぁ。
と思ったり。

自分のことより相手のことばかり考えてしまう自分に気づけた。

何にもできない日がたくさんで辛かったけれど、
K氏の言葉に私も救われた。

些細な刺激にもエネルギーが吸われて、誰かに一言声かけられるだけでその返答に相当疲弊していた時期もあったなと。自分の知らない自分を知っていってあげたいと思えた。毎日日記を私もつけている。


病気の症状なのか、
自分の元々の性格のせいなのか、
結局自分が変わらねば抜け出せないと思って、
さらに自分を追い詰めがち。
それこそが、病気で気持ちが落ちている、
ということなのかな。
たまには病気のせいにしてみてもいいのでは。

ふと浮かんでしまう気持ち。

自分も、
過去とはもう違う自分である
ということを受け入れて、
それに合った働き方を目指したい。


他にも、書籍の中には「元気そうでよかった」というとても優しいはずの言葉が重荷に感じるようなシーンもあった。優しさを受け取るにもエネルギーがいるみたいな。
私も、休職して一番体調や気分に波があった時期に、同僚の結婚式に頑張って行って明るく振る舞っていたら、そう言われたことがある。
本当は座っているのすら辛かった。その後一気に体調は崩れて、動けない日々が続いた。

元気そうに振る舞っているだけで本当は辛いということ。自分がわかっていれば良いのに、相手に簡単にそう言われると悲しくなってしまうのは、相手にわかって欲しいという気持ちもあるのかな。わがままな心だ。


ただ、ふと本を読み返しても以前のように涙が出てこない自分に気づいた。
やっぱり、少し心は回復しているみたいだ。

この期間をもらえたことにも、
見守ってくれる両親や友人にも感謝し、
大事に1日を過ごせるようになれたら、嬉しい。

ひとまずは、
自分にとって休むこととは?
を探求する意欲をもてるといいな。


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