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映画の感想:「Lost King」を観て 

映画「Lost King」を観ました。感想を述べてみます。

1.      リチャード3世


 歴史上の人物はしばしば伝説がつきまとう。さらに、その人物は有名な作家などによって描かれれば、それはまるで人々の間では揺るぎない事実であったかのように信じられる傾向がある。この一つの例が映画「Lost King」で描かれたリチャード 3世であると思われる。

 リチャード3世と言えば、イギリス人はもちろんシェークスピアの作品を知っている人が、すぐに思い出すのが「リチャード3世」という作品である。この作品の中では、リチャード3世は容貌が醜く冷酷非道な人物として描かれている。一般に人々の間では、彼は兄の息子の王エドワード5世から王位を奪い、その弟とともにロンドン塔に幽閉し、そして最後には殺害してしたと伝えられてきた。

2 リチャード3世の鑑定


 これらのことに疑問を持ち、2012年実際にイギリスのレスターの駐車場からリチャード3世の遺骨を発掘する指揮をとったのが、主婦でアマチュアの歴史家フィリッパ・ラングレーであった。それでは、どうやってその遺骨がリチャード3世であると断定できるのかというと、それはDNA鑑定である。人物の確定のために、現在ではDNA鑑定はよく使われる。しかし、兄弟や子どもなどの近親者もいない500年以上も昔の人を、どうやって鑑定ができるのだろうかという疑問が出てくる。それはミトコンドリアDNAの鑑定でできるらしい。つまり、ヘンリー3世の母方の子孫で、女性系の代々の子孫が現在生きていれば、その人のミトコンドリアDNAを調べれば鑑定できるのである。

3 面白いと思った点


 この映画を観て面白いと思ったことを何点か述べてみる。
 第一に、専門家という人々が定説として信じていることに対して、素朴な疑問の解明のため、定説に対して果敢に挑んでいく姿である。ラングレーさんの姿から、私はかつてシュリーマンがトロイの遺跡を発掘した時の経緯を思いだした。ラングレーさんと同様にほとんどの歴史家がアマチュアのシュリーマンの説を信じようとしなかった。

 第二に、いつの時代でも成果を横取りしようとする人はいるものだと思った。リチャード3世の発掘ために奔走し、現場で発掘の指揮を取ったラングレーさんは、リチャード3世の遺骨が発掘されると、発掘に協力をした大学がまるで自分達だけの手柄であるかのように宣伝し、ラングレーさんの影は薄くなったのである。

 第三に、イギリス人は歴代の王や女王が好きなのだろうと思われる。その証拠の一つとして、イギリスのお札はその時代の国王や女王の姿が印刷されている。ラングレーさんはリチャード3世の従来の評価に疑問を持ち、彼に関する調査を進めていくうちに、彼が大好きになった。そして、彼の汚名を晴らそうと必死だったのだろう。きっとリチャード3世はあの世でラングレーさんに感謝しているであろう。

 第四に、映画の中でラングレーさんにまるで付きまとうように、リチャード3世の幻影があらわれてくる。しかし、他の人にはその幻影はみえない。ラングレーさんは彼に様々な疑問を投げかけ、問いただしていった。この手法はラングレーさんが発掘にのめりこんでいく姿を表現する面白い手法だと思った。

4 リチャード3世が悪者になった理由


 どうしてシェークスピアはリチャード3世を冷酷非道な人物として描いたのだろうか。リチャード3世(在位1483~1485)からおよそ100後に、シェークスピアが「リチャード3世」を書いたのは1592年ごろと言われている。この時代は「ばら戦争」で戦死したリチャード3世から王位を取ったヘンリー7世の末裔の君主エリザベス1世(在位1558~1603)であった。そのためであると言われている。
 

5 最後に


 歴史上の人物がどのような人物であったのか、時代によって大きく変ることがある。その役割を果たすのが著名な作家が描く人物像であったりする。歴史とは単なる事実を述べるのではなく、人物に対する解釈の仕方によって、大きく変るものだと思った。

6 参考資料


 映画の公式HP
    https://culture-pub.jp/lostking/

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 リチャード3世 - Wikipedia
 ウイリアム・シェイクスピア 「リチャード3世」 福田恒存 訳 新潮文庫


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