懐かしきドバイ⑤:クルマ・交通事情
前回の8は、以下ご参照願います。
9.すごすぎる?クルマ社会
私がいた2004年~2008年は、ドバイメトロなんて便利な交通機関は無かった(ちょうど着工中でした)ので、移動手段はもっぱら、車のみ。
道路事情
歩けば数分という近い距離でも、車に乗る。
その辺のコンビニまで散歩がてらぶらぶら歩く、というようなことは無いし、できない。
そもそも数分歩くだけで強烈な暑さにやられるし、デイラ地区等の旧市街を除けばすべて新興開発地域なので、最近でこそ最寄りのメトロの駅まで歩くこともあるだろうけれど、歩行者を考慮した街づくりがなされていなかった。
横断歩道や歩道橋が無いために、道路の反対側にある店やレストランに行くのに車に乗らねばならないことすらあった。
外を歩くという当たり前の習慣が、いつしか無くなってくるのである。
尚、オイルマネーで超リッチな国だけあって、かつてはラクダが歩いていたであろう荒野を走る道は、どこも綺麗に整備されている。
ドバイとアブダビを結ぶシェイク・ザイード・ロード等の幹線道路は、高速道路でもないのに、片道6車線で走りやすいし、道路標識もアラビア語に英語が必ず併記され、分かりやすい。
ただ、当時は交通量が少なかった時代の名残りであろう、信号機が無い「ラウンドアバウト」の交差点が結構あり、自分で運転するときは、慣れるまでは結構戸惑った。
絵のように1車線なら簡単だが、追い越し車線のままロータリーに入ってしまうと、曲がりたいところで思うように出られず、何周もグルグル回る羽目になることがよくあった。
スーパーカーの追いかけごっこ?
そんな道路を超リッチなアラブ人が運転するクルマは、例外なく高級車である。
ベンツやBMWは勿論、フェラーリ、ランボルギーニ、ロールス・ロイス、ベントレー・・・、日本では滅多に見られないような、世界中のスーパーカーを至る所で見かける。
ショッピングモールや高級ホテルのロビーではいつでも、さながらモーターショーのような、高級車が居並ぶオンパレードが見られる。
バレット・パーキング(キーを預けて停めておいてもらうサービス)の係員は、ぶつけず運転するのはさぞかし緊張するだろう、と思ったものである。
で、荒野や砂漠の真ん中を滑走路のように伸びる道路を、そんな車が疾走するのである。
クルマがどんなに凄いかは関係なしに、とにかくスピードを出し過ぎるドライバーばかりで、当然重大な事故も多く、怖い思いをした。
衝突事故での車の潰れ方はすごくて、原形を留めないものが多かった。
自分が運転する時は勿論、後ろに座っている時も運転手任せでは危ない、決してウトウトしていてはいけない、と思ったものである。
事故現場は頻繁に目撃したが、その度にあんなにスピード出すから悪いと何故わからないのか?と不思議に思ったものであるが、後で読んだある本の「イスラム教徒は因果関係を重視しない」という解説に、妙に納得したことがある。
なるほど、すべての事象が「アラーの神の思し召し」としか考えないのなら、事故に気を付けて安全運転しようと思わないのかもしれない。怖いけど。
ところで、猛スピードで疾走するクルマをどうやって取り締まるか?であるが、そこはドバイ。ご存じの方も多いと思うが、ドバイ警察は世界中のスーパーカーを揃えているのだ。
大捕り物に遭遇したことはないが、こんなパトカーに追いかけられれば、そう簡単に逃げ切れないだろう。
タクシー、バス
ドバイのタクシーは町中にたくさん走っているが、たいてい清潔で新しい車(トヨタカムリが多かった)だし、メーターも必ずついていて、ぼったくりの心配無用で、概ね安心して利用できた。
この、タクシーが普通に利用できるというのは、当時の湾岸諸国では決して当たり前ではなかった。
当時のUAEでもアブダビですらボロい車が多かったし、運転手に言葉が通じるか怪しいし、近隣諸国ではどこでも、乗るのは勇気がいる感じであった。
仕事でよく出張に行った隣国カタール・ドーハ、今ではすごい発展ぶりだけれど、当時は町に流しのタクシーが走っていない田舎町だったので、事前に「運転手付きレンタカー」を手配していた。
ただ、運転手の中には道に不案内な人もいて、何故かビジターの私が道を指示しないとどこにも行けない、という場合すらあった。
ドーハでの話は更に脱線するが、一度とんでもない運転手に当たった。
顧客とのアポの時間があるのに、「お祈りの時間なので」と言って出発を待たされたり、道の途中で勝手に友人を同乗させたり、指示した日本料理店に辿り着けず、「お、韓国料理店だ、ここでもいいだろ」と言って違う店で降ろしたり。。
ドバイでは路線バス網も充実していて、車両も冷房完備でわりと綺麗だし、運賃も安く、庶民の貴重な足になっていた。
ただ乗客の殆ど全てがインド・パキスタンからの出稼ぎ労働者、しかも男性ばかりなので、こちらも特に女性が乗るには勇気がいる。
出稼ぎ労働者を乗せるドバイのバスと言えば、公共交通のそれよりも寧ろ、町中の建設現場に労働者を運ぶバスの方が印象的であった。
故郷に家族を残し、決して高くない賃金で酷暑の中で奴隷のように働き、疲労困憊し無表情の労働者がすし詰めに乗ったバスは、さならが囚人護送車のように見えた。
ドバイの豪華絢爛な摩天楼は、彼等の命懸けの作業の賜物であるが、そのふもとを数珠繋ぎに走る建設労働者のバスを眺めるたびに、これもこの町の原風景の一つ、と思ったものである。
アブラ
整備された道路を疾走する高級車に加え、何路線も開通したメトロ。
ドバイの交通インフラ事情は、この数十年で激変したことと思う。
そんな中、今でもどっこい生き残っている、化石のような乗り物がある。
クリーク(運河)を行き交う渡し舟、アブラである。
写真で見る通り、古い木造の小舟で、清潔とも乗り心地が良いとも決して言えるものではない。
しかしながら、このアブラに乗って眺める、両岸のデイラとバールドバイの旧市街こそが、正真正銘の古き良きドバイの姿なのだ。
ブルジュ・ハリファや、シェイク・ザイード・ロード沿いの高層ビル群だけが、ドバイの原風景では決してないのである。
アブラの乗り方は至って簡単。時刻表も改札もない。船着き場にわらわらと乗客が集まってきて、満員になり次第、出発。船頭さんがカタカタ揺らす箱に運賃を入れる。私が在住当時は、運賃わずか50フィルス(0.5ディルハム、当時の為替レートで約15円)だった。世界一安い船旅だったかもしれない。
クリークにはアブラだけではなく、ダウ船と呼ばれる木造の貨物船が、今も現役バリバリで行き来している。
この旧型船が、イラン等の近隣諸国は勿論、遠くは東アフリカまで行くこともあるらしい。
クリークの港で船乗りたちがダウ船にあらゆる荷物を積み下ろしする光景は、古来の商売人の町・ドバイの昔の姿を彷彿させるものであろう、と思う。