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障害者雇用の現実
障害者の雇用を促進しようという働きが強まっている。
しかし僕は反対というか
「やらなくても良くない?」
という意見だ。
そもそも仕事とは
企業とは利益を追求する集団であり、従業員とは効率よく業務をこなす部品でなくてはならない。
そこに知能なり身体なりの問題で、効率よく働けない人間がいるというのは企業の方針に反するものだ。
障害者側の働きたいという気持ちは分かるが、能力がない人間には仕事を降りようがない。どう頑張っても障害者用キッザニアになるだけだ。
ほとんどの企業は障害者にもできる仕事がある、障害者にもできるように工夫されている、というより、企業側に無理矢理仕事を作ってもらっているという言い方が正しい。
キッザニアと効率的な仕事は両立できない。
障害者側の自己満足
自己満足で働きたいと主張するのは簡単だが、労働力にならないと結局《ぼくらのおしごとたいけんかい》になってしまう。
そんな情けをかけられて、かつ効率改善以外の面で無駄な時間と労力をかけさせる必要は無いと思う。
障害者雇用促進が進まないのはそういうところだ。無駄を無くそうとしている。能力がない人間は解雇される。障害者雇用は企業のあり方と矛盾しているのだ。
これで働く以外で生活費を稼げないというなら障害者雇用を促進した方が間違いなく良いと思うが、金は他の手段で貰える。
生活保護や障害年金だ。
贅沢をしたいならば能力を身につけるしかない。
労働で大金を手にするということは、相応の責任が伴う。特に知的に問題がある場合、何かあった時に責任がとれるだろうか。臨機応変が効かないといった面でも、障害者雇用を促進するのは難しいと思う。
障害者1人のおしごとたいけんに、何人ものサポーターが付く必要もあったりする。サポーターがつかなくても問題がないのなら潤滑にいくのだが、問題があるのだ。問題があるから障害者なのだ。
やはり複数人の足を引っ張るのが目に見えている場合(ほとんどそうだろうが)厳しいとは思う。
職場に配慮してもらうのが合理的だと聞くが、そもそも前述の通り、配慮は効率に反しているのだ。配慮するくらいの人間ならば、余程それ以外のスキルがない限り解雇して、他の潤滑なパーツを雇用すればいいのだから。
参考サイト