時の流れが早いのはいい事?
「時の流れが早いのは充実している証」
なんて言説を聞くことは多い。
充実…?
本当にそうなのだろうか。
僕が人生において一番時間の流れが早く感じたのは会社員を辞めたフリーター時代だ。
何も無かった時代。
しかし時間の流れはビックリするほど早かったと解釈している。
毎日同じ生活をしていた。
いわゆるルーティーン。
始めた月の事は覚えているが、それ以降から辞める直前の事は以外はほぼ覚えていない。バイトを掛け持ちして、精神を病んで自殺を考えた事くらいだろうか。
あと携帯端末を変えた。
実態
何も無さすぎても時間は早く進む。
というか新しい体験が無い方が、時間の進みは早い。空白期間が多くなりがちになるので、脳みそが容量を割くため勝手に消していっているのだろう。
引き出しに入っている記憶で、使う頻度の少ないものは捨てていっている。
言語や歩くことを忘れないのは、毎日使っているから。
そういえば自転車は冗談抜きに10年以上乗っていない。
補助輪なしでは乗れないかもしれない。
人の顔も忘れてしまうのだろうか。10年以上会っていない人はザラだ。
何も無さすぎても…。
無職でも時間の流れは早いのだろうか。
ルーティーンオブルーティーンだが…。
当事者になる前は、無職生活を無間地獄だと思っていた。
暇すぎて外出したくなるだろうと。
ならない。もう3ヶ月くらい経つだろうか。
たしかに外出はしたくなるかもしれないが、時間の流れが遅いとは感じない。
ルーティーン化されているので、時間感覚が麻痺している。
しかし、今日という日をひたすら繰り返している…という感覚でもない。僕の脳はネットと繋がっているからだ。
これが無いと無間地獄だな。ありがとうスマートフォン。
YouTubeに引きこもり引っ張り出し業者と共に当事者が出るが、言動が幼かったりする。
これが相対性理論か。
ネットの功罪
ネットで得られた希望と絶望なら、絶望の方が大きい。
境界知能やADHDについて知ったのはネットだったから。
周りの人の近況なども見られる状況で、努力ではどうにもならないということを知った。
何故だか上手くいかない…そして心なしか精神状態も悪い。ネットによると境界知能や適応障害といった、今までモヤモヤしていたものに対して納得のいく答えや真実がうじゃうじゃ出てくる。そんな真実を突きつけられた状態で働いても、余計に自分を責めることにしか繋がらない。こんな残酷な真実を突き付けられたうえに叱責されて精神状態も悪くなる。しかし現実から逃げて引きこもれば楽しい情報があり、ストレスもない。こんな環境で堕落しない方が不思議だと思う。
パンドラの箱と言っても過言ではない。
ネットが無ければ家で味わえる楽しみも減るため、引きこもるメリットも減る。
オマケに都合の悪い真実や答えを知ることは先送りにできるので「どうせやっても無駄だ」とか「あー、努力じゃどうにもならないんだよな」と絶望はしない。
パンドラの箱を開けることにより《努力ではどうにもならない》という答えを得てしまった。
旅人が砂漠を一生懸命歩くのは、オアシスがあると信じているからだった。そんな中で端末を手に入れて、グーグルアースといったネットに接続したとする。
─────オアシスは無い
その真実を知った時、旅人はもう歩くことをやめるだろう。体力の無駄だ。
豆知識
雑学本で見たのだが、人生というのは体感上19歳で終わっているとのこと。
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