SNSは参考にならない
なんかこう、Xは参考にならない事ポストが多い。
発達障害や生活保護、ワクチンや癌、難病について調べようとしたとして、大抵出てくるのは政府に対する愚痴や極端な二元論、デカイ主語や根拠の薄い理論ばかりしかない。
そもそもSNSを身内ではなく、不特定多数に開示してやる人は、思想が強いからこそ不特定多数に開示して発信している節があるのでしょうがないのだが。Xほどではないが、noteもそうだろう。
考えが偏っていない中道的な人の意見を聞きたいが、そういう人に限って見えない。
強くない地味な意見はいいねがつかないのだ。
極端な意見に限っていいねが多い。強い意見や言い切りは、派手なので目につきやすい。
しかし確実に意見は錯綜している。噛み合っていないのに、思考の修正は起こらない。個々が一方的に吐き捨てているだけのゴミ捨て場と化しているため進展がないのだ。
議論しないんだから、愚痴と変わらない。
いいねは付くが、同じような強い思想を持った人たちだけ。自分より強い言葉を使う同類を見て、自分も触発されてエスカレートしていく。
noteもそうなのかもしれないが、Xは攻撃性を纏っている事が非常に多い。引用リツイートや、noteと違いタップしなくても概要意見が見えてしまう性質が攻撃性を刺激するのだろう。
しかし議論にはならない。
コミュニティノートという議論を促進する機能が出来ても「ゴミノートがついたということは、自分が正しい証拠だ!」というねじ曲がった閉鎖的な解釈をするので手の施しようがない。
最初からねじ曲がっていたからSNSにものめり込むのか、SNSにねじ曲げられたのか…卵が先か鶏が先か分からないが、少なくともSNSという文明のテクノロジーを使いこなせるだけの中道性を人間は持ち合わせていない。
誤謬と主観で満ちている。
中道的な意見を持っている人と交流するためには、現実に出るしかないのか?
発達障害者は、引きこもっていたりする。
生活保護の人は隠してたりする。
難病の人は病院にしかいない。
真実は、一生分からないかもしれない。