無いものを得たら幸せになれるの?
今無いものを得られたら幸せになれるのだろうか。
結婚出来れば幸せになれるのか?
万人から認められれば幸せになれるのか?
友達が沢山できれば幸せになれるのか?
正社員になれば幸せになれるのか?
不老不死になれれば幸せになれるのか?
高級マンションの大家になって、働かなくても毎日莫大な金が入ってくれば幸せになれるのか?
いや、なれない。
結局用意された幸せだ。
金も結婚も、人間が不自然に決めたシステムなのだ。
小さい頃からそうだった。
誰かが用意したシステムでは俺は幸せになれない。
俺もそうなると思う。
今一番手に入れるべきは人との繋がりだろう。そして職。僕にはどちらもない。
マツコ・デラックスは敏感らしい。色々なことに悩む。
なので中村うさぎに「アンタは書くべき人間」と評された。
僕は鈍感になりたい。
幸せになりたいからだ。
不幸になりたい人などいないハズだ。俺も敏感ゆえ、こうなってしまったのか。
お金を得てもそれ以外の足りないものに気付いてまう。
井の中の蛙大海を知らず状態で一生楽しく過ごせればいいのだが、どうしても大海を知ってしまう。知ろうとしてしまう。考えてしまう。
知らぬが仏じゃいられない。
しかし知ってもどうにもできないのもまた事実。
真実を追求するより苦しみを取り除く方を優先するのだ。というか真実など知らなくていい。足るを知るのだ。
しかし一度大海を知ってしまったら、もう二度と元の思考には戻れないのも事実。
「人生に意味はない」
「神は死んだ」
「得た以上必ず失う」
この価値観が、お金も人脈も砂にさせる。
一種のニヒリズムに取り憑かれてしまったのだ。
僕はニーチェのように発狂死するかもしれない。
これが生まれ持った思想なのか、能力が原因で無力であることを後天的に思い知らされたことから植え付けられた思想なのか、自分には分からない。
過去のトラウマというやつだろうが、トラウマや能力ハンデがなければまた考え方は変わっていたのだろうか。
少なくとも自動車の運転に対して恐怖心を抱くようなことはないと思う。
能力が原因で人生の質がダダ下がりした側面があるのは事実だ。
失敗しすぎて自動車運転が楽しめなくなったことは後天的な刷り込みとして、お金や人脈へのニヒリズムはなんなのだろうか。
先天的な考え方や性格なのか、それとも後天的な失敗体験が積み重なって、人生に対する見方がネガティブになってしまったのか。
同じ環境でも叱責されたり、低い評価を下されたり、失敗体験を積み重ねると、挑戦に消極的になる。
仮にだが僕も顔に自信があればテレビ出演にも積極的になる。しかしトリーチャーコリンズ症候群や火傷痕など、容姿に大きな問題を抱えるとテレビ出演どころか人に会うのも嫌になる。顔を見られる度に眉をひそめられるからだ。
そして僕はこれの能力版である。
能力が無いゆえに眉をひそめられ、職場に居づらくなるのだ。そして何かをやろうとしても自信がなくなる。
「自分は何かがおかしいのだろう。少なくとも能力は低い」
それは運転や趣味といった日常生活にも及ぶ。
幸せになるためにはまず辛い記憶を消して能力を人並みにする必要がある。
そうすれば得ても砂にならないと思う。
少なくとも車の運転は怖くならない。