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境遇が先か、性格が先か

今の自分の性格は、生まれつきのものなのか、それとも後天的にそうなったものなのか分からない。

僕はよく「優しい」と言われるが、人生が上手くいっていないから自信が持てず、消極的になっているから優しいように見えるのか、それとも本当に生まれつき温厚なのか。自分でもよく分からない。

何となく思うのが、社会不適合者でなければ、縋っていた思想は違ったと思う。
今は仏教や哲学に縋っているが、仕事や人生で上手くいっていたとしたら、ビジネス書や経営学などを学んでいたかもしれない。タラレバなので分からないが。

ではなぜ仏教や哲学を学ぶようになったのか。

仏教に惹かれたのは《四苦八苦》や《盛者必衰》《諸行無常》という本質的な価値観に触れたからだ。
「昔なのにこんな本質を見つけていた人がいたんだ!」
と、仏教に惹かれた。厳密に言うと平家物語に惹かれたのかもしれないが。

四苦八苦は大人になってから強く共感した。ここが分岐点だ。人生が上手くいっていた場合、四苦八苦の中身にはあまり共感しなかっただろう。

哲学もそうだ。
他人より人生で躓く機会が多いため、何かと人生というものを考えることが多い。
「なんで生きてるんだろう」
「人間の価値とは?」
「どこを目指せばいいんだろう」
病んでいるとも言える。

事実、正社員時代は精神がひたすら落ちていた。
《反出生主義》という単語を1日に何度も検索していた。これが哲学的なのかは分からないが…。
少なくとも生きる意味を考えていたのは確かだ。

職場ではお情けで雇われていて肩身が狭い。
プライベートでも人付き合いはない。
お酒も飲めないため、職場の人間と飲みに行くことも出来ない。というか職場に居づらいため、職場内で喋ることも出来ない。
将来のビジョンも無い。

関心は外側ではなくどんどん内側に向いていく。行き着くのは哲学だ。

これは生まれつき持っている思慮深さなのか、人生が辛すぎて病んでしまったのか。もう僕には分からないが、思い通りの人生を歩めなかったのは確かだ。


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