適応障害は嫌いな食べ物である

ストレスというのは人それぞれ。現象の強弱ではなく、感じ方の強弱。
銃弾飛び交う戦場にいてもトラウマにならない人もいれば、花火の音が遠くで聞こえただけでビクビクする人もいる。

属性弱点というか。
炎タイプなら水に弱く、水タイプは電気タイプに弱いみたいな感じで、単純な上下関係ではなく三すくみのようになっている。

何をストレスとするかは人それぞれ

僕は土下座を強要されることはストレスに感じないが、意地でも土下座したくない人間もいるだろう。プライドの形が違うからだろうか。プライドが無いわけではないのだが、自分の基準では、土下座ではプライドは削られないと感じている。だからストレスにはならない。

海で泳ぐ事を快感だと感じる人もいるだろうが、僕のように泳ぐのが嫌な人間もいるだろう。僕は海洋恐怖症なので、海で泳ぐのはストレス。プールならいいが。

現象や環境だと分かりにくいかもしれないので、食べ物で置き換えてみる。
ある人にとって好きな食べ物は、別の人にとっては嫌いな食べ物だろう。
パクチーはみんな嫌いだと思いがちだが、中には好きだと言う人がいる。
ストレスに強い人というのは、嫌いな食べ物が少ない人に置き換えてもいいと思う。嫌いな食べ物が多いということは、ストレスを感じる機会も多いということ。

僕にも嫌いな食べ物がある。ニオイを嗅ぐだけでストレスだ。しかしその食べ物を周りの人間は平然と食べていることがザラ。ストレスには感じていないのだろう。

好き嫌いというのは生まれつきの感性なので、克服できるものではない。無理なものは無理。我慢して耐えられるだろうが、やはり限度はある。

現象の強弱ではなく、感じ方の強弱。対象は同じでも、感じ方が違う。それは同じ食べ物を目の前にして好き嫌いが分かれるのとも同じだ。

適応障害

本題。
同じ環境、内容、扱い、能力でも、適応障害になる人間とならない人間がいる。これは感じ方の違いでしかない。

職場環境がトマトだとしたら、同じ量を同じ胃の大きさの人間が食べていても、トマト嫌いの感性を持った方の人間はストレスに感じる。普通の人もいる。好きだと感じる人もいる。好きだと感じる人はワーカーホリックタイプ。


ここで現象や環境に例を戻そう。
歌う環境があったとして、同じ歌唱力、同じ歌唱量、同じ評価でも、歌うのが嫌いな人間は適応障害になりやすい。好きな人は依存症…いや、依存唱になる。ちなみに僕は普通。カラオケ3時間コースくらいならば苦痛ではない。好きな人は1日中いても平気らしいが、そこまでいくと僕も適応障害になりそうだ。歌うのが嫌いな人は1時間でも長期間その習慣が続くと適応障害になるのだろう。

怒られるのが嫌いな人間は、スパナで殴られるような怒号飛び交う施工管理の職場に向いてない。しかしドMや自分に厳しいストイック人間からすると天職だろう。

僕は書くことが好きだが、書くことが嫌いな人もいるんだろうな。

適材適所。
ある人にとっての天国は、別の人にとって地獄。




メンタルの弱さ?

似たような事を書くので、くどいと感じた方には申し訳ない。
好き嫌いとは強弱なのだろうか。記事の最初あたりに書いたが、三すくみであり、好みの問題とも考えられる。
怒られて適応障害になる人間はメンタルが弱いのだろうか。
《怒られてすぐ萎縮するが、海は夜だろうが鮫がいようが平然と泳げるし、肉体的な痛みに関してはストレスを感じない》といったタイプはメンタルが弱いのだろうか。

イモトアヤコはヘビ恐怖症だ。しかし節足動物は平気。僕は節足動物恐怖症だ。しかしヘビは平気。むしろ好き。
どちらがメンタル弱者なのだろうか。

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