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インターネットで窮屈になっている気がする
昔、
ゲーム機でいうと
DSとか3DSの頃のネットというのは
まだ距離があったからかもしれないが
世界が無限に広がっていくような広大さを感じた。
一つのゲームから
世界中の人に繋がれること
世界中からいろんなゲームが出ていること
それをみんなで共有して
認識して
遊ぶこと
それはもっとのびのびとしたものだったと思っている。
ドラクエ3のリメイクを私は遊んでいない。
色々理由は省くが
いまの私には遊ぶ必要がないと感じたからだ。
そんな私がドラクエ3の感想を見ていると
もちろん、ネットにあげる言葉だからというのもあるが
みんな人の目を気にしているのが
少し悲しいなと思ってしまった。
自分が楽しいから面白かった。
そんな発言がやっぱり今のインターネットでは許されないんだよなぁと思った。
それを言うにしても
何重にもいろんな何かを重ねないといけない。
ちなみに買わなかっただけあって
私はあのドラクエ3には否定的な意見を持っている。
だが、遊んでいる人が楽しかったんだったら
それで良いじゃんとも思っている。
いろんなことにネットで傷ついてきた。
私がXを離れたのは
傷ついてくる側の人間が傷つける側の人間に譲る気がないと思ったから。
そしていつも傷つけてくる側は同じ人種だと思ったから。
そういう人は
これは個人の意見だが
別に作品が好きでも嫌いなわけでもない。
ただ目立ちたいから
強い言葉を使って威圧して
配慮できる思考を持つ人を縮こませていると思っている。
そしてその人たちが譲る気がないから
何かを発言する時
人の意識はどんどん萎縮したり
デリケートになってしまう。
前だったら笑って流せてた人の意見も
敏感に反応して
普段しないような批判をしてしまう。
そういう負の連鎖が起こっているように感じた。
わかりやすいのでドラクエ3のリメイクでたとえただけで
基本どのゲームでも
どの作品でも
なんなら世間の意見というもの全てが
そういうネットの視線に怯えながら
みんな発言している気がする。
そこにはもう広がっていくような広大さはなくて
ただ誰かの気に食わないことを言わないように
気を使わないといけない世界が広がっている気がした。
ネットの意見は配慮しないといけない。
それは前に記事にも書いた。
暴力的な言葉などは
使ってはいけないと。
それとは別の問題で
本来だったら
私も含めて
人の意見に対してもっとおおらかにならないといけないのに
それをさせない
ピリピリして疲弊した空気が
いつもインターネットを取り巻いていると
最近感じた。
それは威圧する人がいるからだ。
自分以外の意見を絶対認めない人が
怒鳴り込んでくるようなことを
みんな経験してきたから
怯えるようになったんだ。
なんならそういう姿勢を
有名人が見せるようになって
怯えるようになった人もいると思う。
圧をかけて圧をかけて
ゴリ押せば願いが叶った人が
たくさんいるのがこの時代だと思っている。
それに耐えて、耐えて、
びんぼうくじを引いた人が
報われてない時代だとも思っている。
これからそれがどうなるのかは
正直わからない。
業という言葉が存在するのなら
あの人は報いを本当に受けるのだろうかと
感じている人が
これからどうなるのかわからない。
ただ好きなものはやっぱり好きで良いと思う。
そして、自分の好きが誰かに汚されたとしても
馬鹿にされたとしても
批判されたとしても
それを大事にしていれば良いんだと思う。
私はあのドラクエ3のリメイクは嫌いだけど
自分のお金で買って素直に楽しかった人は
もっと堂々と好きと言って良いと思う。
そして別のゲームにマウントなんて取らなくて良いと思う。
売り上げとか他の会社のゲームとか同じ会社のゲームとか
比較して
比較されて
そういう意見を気にしないといけないのはわかる。
自分もそういうところあるから。
でもそんなこと気にしないで
遊べてた頃を
なんなら人とすれ違ったり
人のプレイスコアを見たり
他社のゲームが意識しあって良くなっていってた時代とか
ちょっと思い出して
あああの頃は呑気で良かったなぁと
感じたのであった。
あとこれは
シリーズがスタッフや時代、スポンサーの匙加減で
メチャクチャになったり
ボロボロになった時代をどこも経験して
それがトラウマになってるのも大きいんでしょうね。
みんなが怯えず
また能天気になれる時代が
戻ってくると良いですね。