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母とのこと。続き。

衝撃の母の告白から2年ぐらい経ち。
別に何が変わるわけでもなく過ごした。元から好きじゃないしって思ってたし。



結婚して子供が産まれて里帰りしたけれど、お母さんと過ごすことにイライラして何一つ感謝なんてせず、泣いて帰りたいと旦那に訴えて早々に戻る。

ホルモンバランス崩れまくった初めての子育てをイライラを全部母のせいにした。
その後手伝いに来てくれる母にも冷たく当たってた。使えないなぁって。


でも、その後に娘が生まれて。
わたしを育てた感覚があるからか、もうひたすら可愛いみたいで娘も母に懐いていて、仕事のたびに預ける様になってた。
今が一番お母さんといい関係だな、穏やかだなって思ったのも覚えてる。ちょっと嬉しかったんだわたし。


そんな穏やかな時間が一変した出来事。
お母さんの認知症発覚。


最初は頻繁に電話がかかってきて、
あれがないこれがない、助けてって。大変だったけど、初めてお母さんにちゃんと頼ってもらった気がして電話のたびに会いに行った。

それが次第に、わたしへの疑いへと変わっていってからが本当に大変で。認知症あるあるなんだけれど、一番身近な人を攻撃するパターン。


失くなったものをいつも発見するのがわたし=わたしが隠した。預けたことを忘れる=わたしが取った。
しまいには、この家の全財産を狙ってると言い出す始末… 


またそれを本気にしちゃった母の弟(叔父)がわたしを目の敵にしてきて、疑われ、しまいには叔父が一千万円持ってってるし。


頑張っても何しても信じてもらえなくて、認知症だとはいえ酷い言葉をいっぱい浴びせられて、すごい表情でわたしをみて、叔父とタッグを組む母を見て、

わたしやっぱり愛されてなかったんだな。
お母さんはわたしなんていらなかったんだろうな。
本当の子じゃないから、こんな目にあうんだ。
って、またそこに結びつけた。



わたしの自律神経もおかしくなってしまい、子育てしながらありえない精神状態だったのもあるけれど、もう全ての嫌な出来事に対して、やっぱり!やっぱり!!って思ってた。
他人とはいえ、小さい頃から知ってる叔父にも罵倒されて、血が繋がってないからこんなバカにされるんだって、悔しくて悲しくて虚しくて。


わたしから逃げるように、叔父と勝手に施設を決め実家を出て行った母。裏では介護申請出したり何度も役所に行ったり、母を連れてかなきゃいけないタイミングはあったけど、玄関を開けてもらえないとか、ざらで。


役所に行って、ひどいことをする人がいるのよって、わたしを睨みつけて喋ってる母を見て、やっぱり心は死ぬほど痛くて。

心が痛いって時点で、わたしはお母さんのこと好きだから悲しかったんだよなぁって今は思えるんだけど。



なんかもう、本当にこの人はわたしのことが好きじゃなかったんだなぁ。欲しくもないのにお父さんが連れてきちゃったいらない子だったんだなぁって、
目の前のことが事実でしかなかったから、そう諦めることで折り合いをつけてた。
もうそれでいいやって。


そのまま施設に入居するも母が拒否してわたしは立ち会えず、いなくなった実家を片付けて、ただただ虚しくて、自分が育った空間が大嫌いな思い出になって。


自分のことを振り返るときも、全部そのせいにするようになった。



わたしは愛されてなかったから、誰かにありのままで愛されるなんてことはない。

過去に縛られて自己肯定感をめちゃくちゃ下げて、ただ起きている目の前の出来事にそれを全部かぶせて、


被害者満載のわたしが出来上がってたのです。
じゃあ、わたしはどうしたいのか、どうなりたいのかなんて何にもなくて、ただただ、母親のせいで今のわたしが出来上がったんだって、ただそれだけだったなぁ。



いいところだけ見てもらってみんなに嫌われないように作り笑顔で必死な自分と、

人と関わりたくなくて、本音なんて言わず、ママたちとの交流なんてくだらないって、誰とも話さず子供のお迎えに淡々と向かう自分と、

それなのに家族にはありのままのわたしを受け止めろって思いやりのかけらもないわたし。


だって仕方ないじゃん。過去が今のわたしを作り上げたんだからって。



最後のお話に続きます。
まとめるのが下手すぎるわたし。笑笑





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