子育てに対する固定観念
子育ては二人でするもの
瞑想していたら
ぽろぽろといろんな固定観念が出てきました。
これ、もういらないなー。
子どもの育ちに関わるとき
夫婦で楽しく面白がりながら
わが家のスタイルであるけれど
なんだかそれも
ふと気がついたら
〇〇すべき
のような固定観念に
なっていることがあります。
風の時代は
男性だから女性だから
と昭和の時代のように役割決めるのが
ベストな時代ではなくて
男性性と女性性を
男のひとも
女のひとも
バランスよく使っていく時代。
だから
二人で子どもを育てていくことに
なんの違和感もないのだけれど
瞑想していたときに出てきた違和感は
あたり前になりすぎて
それがそうするべきになっていることが
あることや
親が子どもを育てるというよりは
親も社会も
全体で関わっていくという
意味に感じて。
娘が学校に休みはじめたとき
それでも学校とのつながりは
ずっと持ち続けていました。
学校に戻るのか戻らないかも
わからないけれど
学校は娘を一緒に育ててくれる
共同創造をしてくれる人が集まる場所
と感じているんですね。
いろんな情報を提供してもらえたし
こちらからも聞くこともできたし
ありがたいことに
いつでも戻れるように
調整もしてくれていました。
そして
周りにいる友人や
ヒーリングセッションでも
わたしはずいぶん話を聴いてもらってきた。
それがあったから
今の時代の子育てを
過ごして来れたように感じています。
そうおもい返してみると
全然
夫と二人で子育てを
していたわけじゃないけれど
深いところでは
子育ては二人でするものという
固定観念があったんだなー。
自分では気がつかないところで
ついついチカラが入ってしまうこともある。
こうするべきは
苦しさをうむから
もっとゆるゆると
周りのひとを巻き込んでいこう。
ママがひとりで頑張るっていうことでもなく
パパも頑張ればいいということでもなく
教育機関に任せていればいいということでもなく
子育てに関わることがないから
それでいいということでもなく。
子どもをとりまく環境も
変わり始めているけれど
もっといろんな分野の人たちが
無理なく横のつながりをもてる社会っていいな。
そんな心地よい関係が
もっと広がったらいいな。
ふとそんな風に感じたので
子育ては二人でするものという固定観念を
そっと手放してみたのです。
最後までお読みくださりありがとうございます!
たくさんの感謝の気持ちを込めて。