【小休憩#4】自分というコンプレックス
私は根本から自分のことを肯定できてないんだなと思い知らされた。
コツコツと勉強もできないから頭も悪い。
そのツケが大人になって表れる。
例えば人に長く説明するとき、長続きしないとき。
人とお喋りするのは大好きなのに、自分だけがしゃべってる番になると相手があくびしたり他のことをしだしたり、ん?それどういうこと?と単純に聞き返されたりすると「私は本当にしゃべるのが下手くそなんだな」とめちゃめちゃ悲しくなる、情けなくなる。
勉強も、小学生のとき、一時的に勉強をコツコツ楽しんでいたときもあったけど、結局はたくさん習い事ややることがたくさんあって、全部器用にできなかった。
私はきっと不器用なんだ。
それは最近になって「不器用」という言葉として現れてきた。
大学生をしながらアルバイトをしてる人たちや、結婚したり、誰かと一緒に住みながら働いたりしている器用な人たちを見るとめちゃめちゃ劣等感にかられる。
私は不安障害というのもあって、学生の頃は学校のことでてんやわんやだった。
アルバイトなんてできやしないほどの余裕のなさ。
今はパートをしてるけど、それでも全然余裕がない。
気持ちに。
結婚もしてないし、貯金もない。
パートだけじゃ自分の力だけで衣食住の生活なんてできない自分の情けなさに、暗い小さなところにうずくまりたくなる。
例えば国立大学や有名大学に合格できるほどの頭が良かった人や、世間的にそういう類いに入らない所でもめちゃめちゃ自分の才能を開花させてる人たちが、なんでそんな風に輝けるの?と羨ましくなる。
インスタで可愛い!と思った女の子が国立大学でしかもコンテストにも優勝して卒業後には事務所に入ってたり、真面目にコツコツ勉強して推薦入試受けるような人が社会人になってめちゃめちゃ必要とされてたり。
私は中の下なんだなと(思い込みもあるかもしれないけど)思い知らされる。
大学は2回経験したけど、それが自頭がよくなったとは到底言い切れない成績だったし、何もかもが中途半端で私の中では褒められたというか、認められた試しがない。
大学院に行きたかったけど、行けなかった情けなさも本当に心の奥底にある。
可愛いと言われて被写体としてモデルのようなことしたり、頭がよければそれ相応の人にも褒められ、自分自身も満足できるような仕事や生き方したいって思ってた。
真面目で不器用。
これが私を生きにくくさせてる要因なんだなと思う。
0か100の考え方もいまだに抜けない。
だから苦しい。
いっぱいいっぱいになると、とにかく家事をめっちゃ頑張ったり、予定詰め込みすぎて結局はイライラして壁にものをぶつけたり投げたりしたくなる衝動に刈られる。
そのくらい私はしんどいんだ、生きていることが。
なんのために生きてるか、本当に分からない。
三浦春馬さんの気持ちがわかる気がする。
外では笑顔で振る舞っていても、影では心が死んでいたんだ。
涙が溢れて止まらなかったんだ。
あまり詳しくはニュース見てないから憶測でしかないけど、外で机上に振る舞っている人ほど危ないんだろうなと自分自身も含め思う。
そんな思いしてまで生きていたくないよね。
お仕事がどうなろうとどうでもいいというか、そんなのも考えられないくらい、いつの間にか首吊りしていたんだろうな。。
そうなってしまう感情が今の私に似ていて、なんか、私もそうなってもおかしくないかもなあ、なんて。
考えたりします。
もっと可愛いと言われる人生でありたかった。
頭がいいねと言われる、blueと話すとめちゃめちゃ楽しいと言われる人生でありたかった。
そしてもっと私のことを必要としてくれたり気にしてもらえる人生でありたかった。
もっと自分を大切にできる術を身に付けられる人生でありたかった。
もう生きていたくないと思ってしまうような人生でありたくなかった。