サポート側(与える/助ける/教える)の留意点は〇〇を意識した言動をするということ~障害児教育から学んだこと~
私の様々な勘違いや気づき
一つ下の実弟が健常から3歳の時、
医療ミスで 重度の知的障害となった。
特別支援学校(昔は養護学校)に通う弟の学校の参観日や運動会などの行事に顔を出すことで さすが幼少期の頃は
純粋な気持ちが強く(笑)
障害を抱えているお子さんの先生になりたいと思い その気もちは
続き教員採用試験5回目でやっと合格し 実現させることができた。
そこから 長年 障害児教育に携わってきた私にとって
様々な気づきを与えてもらった。
年を重ね 仕事として やっていくうちに 色々な人間関係や環境によって
純粋な気持ちだけで 仕事はやっていくことはできず 人の命を預かる上で
けがをさせない できないことをできるようにするなど きれいごとだけで
お子さんを見ていくだけではない 世界だった。
私の中に 「教えてあげている」 という上からのような立場で
無意識に児童生徒さんたちに接していた時期があった
さらにまだ独身だったころは 今思えばつまらぬ一般常識を
障害のお子さんにも押し付け それがいいと思っていました。
集団に合わせて行動するなど 書き出したらきりがないほどあります。
場合によれば 教師それぞれの自分の狭い価値観を押し付けるという
子供たちから 学ぶことは
障害児教育を長年して 数えきれないほどあり感謝しかない
彼らは私たちに 逆に学びを与えてくれる役割に生まれてきたのだろうなと
つくづく思う
「養護学校」→「特別支援学校」
「養護・訓練」という教育課程が→「自立活動」
最近では「障害」→「障がい」とか
確かに言葉は大切で あり 変更した方がいいような
言葉も確かにあります。
ただ 表面的な言葉だけ変えても意味は ない!
文科省や上からのお達しでいろいろ
県立特別支援学校においても様々なルールや言葉がかわるものの
根本 障害を持つお子さんのことに対して何もわかっていない
お偉いさんが 自分たちのために そういった表面的な言葉だけ変えたって
またその言葉が差別となることもあり言葉だけどんどん変遷することも。
現場や障害をもつお子さんや家族のことも
理解しないものが 何を偉そうにと・・・。
一度体を使って 障害をもつお子さんと共に過ごしてから
物申せと言いたいところです
表面的に差別していないような言葉に変えたって 実際の言動は
差別をしたり 自分さえよければいいという世の中であれば
そんなことは 意味もないのである 何もしないよりまし?
という声もあがるでしょうが 表面的にやってますアピールは
余計現場を混乱させることもある
助ければ いいってもんじゃないということ
また働く前は 困っている人 障害を持っている人には
全てこちらが全面的にお手伝いしてあげる 助けてあげる
という考え方でした。
勘違いしてはいけいないのは
人の状態 状況によって 全面的にフォロー支援する必要な時もあるのは
勿論のことです。
最近は 「え?!助けてあげないの?」っと思うような現場で
スルーする人も見かけるので 何とも言い難いですが・・・。
サポート側の留意点は 〇〇という視点
学校という場やその他 様々な状況によっては
サポートする側は その人の未来のことも考えて接することは
とても大切だということ
家族でない限り また家族でさえも その人をずっと見続けたり
サポートすることはできないということ
そうつまりは 少しでも「自立」ということも視野に入れる必要があること
○○は「自立」となります
これは 子育て 介護 カウンセラー セラピスト 等の
サポート側も同じでしょう
利用者さんやクライアントさんの状態によりますが
いつまでも 頻繁にサポートし続けるのではなく
できることは 自分でするということ
ただ 体や心のメンテナンスは定期的に必要なこともあるので
一概に言えませんが
ビジネスの話でよく耳にするのは 例えば ダイエット商材で
痩せさせないようにして 継続させて課金させるなども 耳にします
私が長年携わった障害児教育でも 特に毎日生きていくうえで行うこと
自分で 食事/排泄/衣服の着脱/お風呂等
全部周りの人がやる事ってどうでしょう
できることまで 周りの人が奪ってしまうのは 悲しいことだと思います
また知的に問題はなく 中途で体に障害を持った人が
今まで できていたことが
人に助けてもらわないと トイレに行けないとか 物が持てない
食事が一人で食べることができない 着替えができないなど
お願いしなくては いけない辛さを話されていたことを
聞いたことがありました。
「ありがとう」「ごめんなさい」「すみません」って
何度も何度も・・・
与えられるより 与えることが できる方が 幸せ
お手伝いができる サポートできる 仕事ができる身体を
持てていることに感謝しかない
「助けてもらっていいなあ」「優先してもらっていいなあ」
そういった
場面もでくわすこともこれまで 何度もありました。
皆さんもありませんか?
障害の弟に対して私も 両親が 世話をしないといけないことは
理解しつつも 小さい時 弟優先なことに目が行きがちでしたが
その分 知的障害の弟は自由がないわけです。
自分がやりたいことをするのには 大人の手が必要であり
すぐ実行もできない
私に布団をかけてくれないと「大泣き」したことが
ありました。今は亡き母は 根負けしてかけてくれましたが
障害のある弟の将来をいつも心配しながら子育てをし続けながら
私が大泣きしていたことにも 辛かっただろうなと・・・。
改めて 本当にご苦労様でしたとしか言いようがないのです
だから いつまでも結構
母の亡くなったことに引きずっている部分があるのですが・・・。
依存から自立へ
自分のビジネスや人物に 依存させてしまうこと
自分で判断できず 相手に決断してもらう状態にされるのではなく
自分で選択できる状態にしていけるようにしていくのが本来の
サポート側の役割でしょう
与える/助ける/教えるという立場
教師や親をはじめ 相関関係の時 相手を助けすぎないということは
大切で 自分でできる楽しさ 喜びをどの人にも
味わわせてあげることに 意識を向けることも大切だと
思います
勿論 依存する時期や必要な時もあるので
その見極めも 留意することだと感じています
与えすぎないということ
その自身でできる力を持っているんだと信じてあげることも
大切だなと思います
では 今日も一日お疲れさまでした
明日は日曜日 お休みの方は 充実した1日を
お過ごしください
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