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パウル・クレー 【手人形と詩】 の世界

パウル・クレー(1879年〜1940年)、スイス出身(ドイツ国籍)の画家。
日本でもよく知られ、人気も高いアーティストです。わたしもTaschenから出ている画集を一つもっています。

そのクレーが手人形(hand puppet)をたくさん作っていたことは知りませんでした。わたしの画集にも載っていません。それは息子のフェリックスのために1916年から1925年にかけて作られたもので、全50体のうち30体が現存し、ベルンにあるパウル・クレー・センターに所蔵されています。

クレーのことでもう一つ知らなかったのは、20歳前後から晩年に至るまで、たくさんの詩を書いていたことです。Project Gutenbergにアーカイブされているのを見つけました。

わたし自身はクレーに詳しいわけではないので想像ですが、手人形も詩もひょっとしたらあまり知られていないのでは、と思いました。そもそも手人形は作品として制作したのではなく、息子との遊びのためのもので、また詩は18歳の頃から書いていた日記に記されることが多かったようです。どちらもプライベートなものと言っていいと思います。

手人形と詩。パウル・クレーという20世紀前半に活躍した飛び抜けて個性的なアーティストをそこから見ていったら面白いかもしれない、どんな風景が見えてくることか。以下、その探索の経緯です。


ミスター・デス(死者)

下の写真の手人形は「ミスター・デス(死者)」と呼ばれていたものです。1916年制作で、高さ35cm。制作年度からいって、おそらく息子のフェリックスの9歳の誕生日に贈られた、最初の手人形と思われます。このときクレーは全部で8体の人形をつくり、人形劇用のシアターと共に贈っています。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

1920年に書かれた詩に、死者(とその世界)に関するものがありました。
以下にドイツ語オリジナル、英語および日本語への自動翻訳、筆者試訳で紹介します。

Gedichte(詩)
[1920]

ドイツ語オリジナル
Diesseitig bin ich gar nicht faßbar.
Denn ich wohne grad so gut bei den Toten,
wie bei den Ungeborenen.
Etwas näher dem Herzen der Schöpfung als üblich.
Und noch lange nicht nahe genug.

DeepL翻訳
[1920]
On this side I am not tangible at all.
For I dwell just as well with the dead,
as with the unborn.
A little closer to the heart of creation than usual.
And not nearly close enough.

*tangible: 触れられる、触知できる
*dwell:住む

DeepL翻訳
[1920]
こちら側では、私はまったく形がない。
なぜなら、私は死者と同じように宿るからだ、
生まれていない者と同じように
いつもより少し、創造の中心に近い。
そして、十分に近いとは言えない。

筆者試訳
[1920]
こちらの世界では、わたしは居ないも同然
それは死者の世界にいるから
生まれる前の人間と共にあるから
ほかの人より少しだけ、創造の核心にいる
十分ではないけれど

【感想】クレーはいったいどんな世界で創作をしていたのか。生まれる前の、あるいは死後の世界ほど創造に近い? アートはこの世の外にある?  この詩の前半部分は、クレーの墓碑にも記されているようです。

電気お化け

次は「電気お化け」と呼ばれた手人形。 1923年制作、高さ38cm。
奇妙な頭部と顔は、壊れた陶器のソケットから出来ていて、中に金属のタブと針金が埋め込まれています。手人形はどれも、マッチ箱、牛の骨、木の実の殻、石膏など、日常生活の中で見つけた廃品が使われています。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

Gedichte(詩)
Antwort

ドイツ語オリジナル
bin Sclav oder Herr wie Du
leb nicht kleiner auf Schuh.

DeepL翻訳
answer
am Sclav or Lord like you
do not live smaller on shoe.

*Sclav:奴隷(slave); ラテン語

DeepL翻訳
回答
私はあなたのようなSclavまたは主です
靴の上で小さく生きてはいけない。

筆者試訳
こたえ
あなたと同様、私は奴隷であり神です
縮こまって生きたりはしません

【感想】ドイツ語と英訳はほぼ同等の言葉の並びであるように見えます。ただ、「leb nicht」=「do not live」をDeepL日本語訳では命令形にしていますが、わたしは肯定文にしてみました。というのは1行目に主語がなく(binという1人称単数のbe動詞に当たるもので始まっている)、それに準じて2行目の主語も省いた、あるいは1行目のつづきである、と見えたからです。

老女中

次は「老女中」と名づけられた手人形。1919年制作、高さ38cm。
パッチワーク風の服が手作り感があって、地味ながらいい味を出しています。どういうものから出た端切れなのか。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

息子のフェリックスは人形劇が大好きで、それでクレーが手人形をつくってプレゼントしていたようです。後にフェリックスはそのセンスを生かしてか、オペラや劇場のディレクターの仕事をしています。

Gedichte(詩)
Kapitel 3

ドイツ語オリジナル
In Herzens Mitte
als einzige Bitte
verhallende Schritte
von der Katze ein Stück:
ihr Ohr löffelt Schall
ihr Fuss nimmt Lauf
ihr Blick
brennt dünn und dick
vor ihrem Antlitz kein Zurück
schön wie die Blume
doch voller Waffen
und hat im Grunde nichts mit uns zu schaffen

Google翻訳
Chapter 3
In the middle of the heart
as the only request
fading footsteps
a piece of the cat:
her ear spoons sound
her foot takes flight
her look
burns thin and thick
no turning back from her face
beautiful as the flower
but full of weapons
and basically has nothing to do with us

DeepL翻訳
第3章
心の真ん中で
唯一の願いとして
消えゆく足音
猫のかけら
耳のスプーンが鳴る
彼女の足が飛び立つ
彼女の表情
薄く厚く燃える
彼女の顔から後戻りはできない
花のように美しく
しかし武器に満ちている
基本的に私たちとは何の関係もない

筆者試訳
第3章
心の中にある
ただ一つの願い
遠のく足音は
猫のひとカケラ
耳のスプーンが鳴って
ピュンと飛ぶ
その顔が
チラチラと燃えている
顔から目が離せない
花のように美しいが
武器を備えてる
どうであれ、私たちとは関係なく生きている

クレーは猫好きで知られ、何匹も猫を飼っていました。フリッツ、ビンボー1、ビンボー2、ミッツィ、ナギー、スカンクなど。クレーは描いたばかりの絵の上を猫が歩くのを許していて、猫との「共同作品」がいくつもあると言われています。

猫のビンボーとクレー(1935年)


エンタリッヒ氏、自画像、ガルカ・シャイヤー

下の写真:左から「エンタリッヒ氏」(1919年制作)、「自画像」(1922年)、「ガルカ・シャイヤー」(1922年制作:クレーの芸術家仲間の女性)

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

【感想】クレーの自画像はまだいいとして、両脇の友人知人はどんだけ個性的な人だったのか、人間かどうかも怪しく見えるポートレイト人形。

広耳の道化師、バグダッドの理髪師、手袋をはめた悪魔

下の写真:左から「広耳の道化師」(1925年制作)、「バグダッドの理髪師」(1921年制作)、「手袋をはめた悪魔」(1922年制作)

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

息子のフェリックスが生まれたとき(1907年)、クレーはまだアーティストとしての収入がなく、妻のリリー・シュトゥンプがピアノ教師やピアニストとして働き家計を支えていました。そのためクレーは、育児や家事のいっさいを引き受け、その合間に芸術家への道を探っていました。

フェリックスが1歳のとき重い病気にかかり、クレーは通常の育児以上に息子に心を傾け世話をしていました。「フェリックス・カレンダー」と題した日記に詳細な記録をつけ、息子の日々の状態や投薬を記し、また初めて言葉を話したとき、ゲームをしたときのことなど書いて残しました。

手人形づくりが後に始まったのは、このような父子の親密な関係があったからかもしれません。小さな子どもが病気になるというのは、親にとって、病気の重さや状況によっては心張り裂けるような体験だったと想像できます。クレーが体験したことは不幸なことには違いありませんが、一方でその体験が育んだ幸福もきっとあったのでは。

Gedichte(詩)
1915

ドイツ語オリジナル
Mein Stern ging auf
tief unter meinen Füßen
wo haust im Winter mein Fuchs?
wo schläft meine Schlange?

DeepL翻訳
1915
My star rose
deep beneath my feet
where does my fox live in winter?
where does my snake sleep?

DeepL翻訳
1915
私の星は
私の足下の奥深く
私のキツネは冬にどこで暮らしているのだろう?
私の蛇はどこで眠るの?

筆者試訳
1915
私の星が昇った
足もと深いところに
私のキツネは冬、どこで暮らす?
私のヘビは、どこで眠る?

【感想】この詩も、「死者の世界と現世」を対比したように、反転した(逆転した)世界を描いているのでしょうか。クレーの天は頭上ではなく、足もと深いところに存在する……

マッチ箱の幽霊

下の写真は「マッチ箱の幽霊」と呼ばれた手人形。1925年制作、高さ57cmと他のものよりかなり大きい。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

息子のフェリックスは父の絵画を制作過程から熟知しており、誰よりも作品を深く理解し、またこれを自分の任務としていました。クレーの日記、詩、手紙を編集、編纂しています。


Gedichte(詩)
– helft bauen –

ドイツ語オリジナル
Vogel der singest
Reh das springest
Blume am Fels
im See der Wels
im Boden der Wurm
zu Gott helft bauen
den Turm
echo: «zu Gott»

DeepL翻訳
- help build -
Bird that sings
Deer that jumps
Flower on the rock
in the lake the catfish
in the ground the worm
to God help build
the tower
echo: "to God”

Google翻訳
– 構築を手伝う –
歌う鳥
飛び跳ねる鹿
岩の上の花
ナマズ湖で
土の中の虫
神に建設を手伝ってください

エコー:「神に」

筆者試訳
神の手伝い
鳥は歌う
シカは跳ねる
花は岩に咲き
ナマズは湖に
ミミズは土の下
神が創造する
塔に手を貸すために
🎶:カミノタメニー

スルタン

スルタン(イスラム世界における君主の称号)、1921年制作、高さ48cmと大きめの手人形。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

Gedichte(詩)
Kapitel 12

ドイツ語オリジナル
In einem Zimmer gefangen
große Gefahr
kein Ausgang

Da: ein offenes Fenster, hinauf, abstoßen:
ich fliege frei,
aber es regnet fein,
es regnet fein,
es regnet,
regnet,
regnet...
regnet...

DeepL翻訳
Chapter 12
Trapped in a room
Great danger
No Exit

There: an open window, up, push off:
I fly free,
but it's raining fine,
it's raining fine,
it's raining,
raining,
raining...
raining...

DeepL翻訳
第12章
部屋に閉じ込められた
危険極まりない
出口なし

窓が開いている:
私は自由に飛ぶ、
でも雨は降っている、
雨が降っている、
雨が降っている、
雨が降る、
雨が降る...
雨、雨、雨...

筆者試訳
第12章
閉じ込められて
危険が迫る
出口なし

そこに:窓が、上だ、体を押し出す
わたしは飛ぶ
でも雨がしこたま
雨がしこたま降ってる
雨が降ってる
雨が
雨が…
雨が…

 【感想】これも「反世界」あるいは「対立する二つの世界」を感じさせます。閉じ込められたのはどっちの世界なのか、クレーの生きていた世界はどっちなのか…… あるいは境界を行き来していた?

案山子の幽霊

黒地のキャラコにピンクとグレーの花模様の服を着た「案山子の幽霊」の手人形。1923年制作、高さ45cm。胸に白い十字架が縫い付けられ、くちばしのように尖った鼻、黒い目に見えるのはメガネらしい。

Zentrum Paul Klee, Bern(CC BY-SA 4.0)

パウル・クレー・センター

パウル・クレー・センターには、クレーの手人形30体すべてが所蔵されていて、2007年の展覧会では特別にそのすべてが一堂に並べられたといいます。通常は透明ケースの中に一体ずつ収められたものが、いくつか展示されているだけのようです。

クレーの手人形は、親子の間というプライベートな空間の中で生まれ、遊びとして活用されたものですが、パペットという性格から、人形ながらただ棚に飾っておくものではなく、そこには演劇性が十分に含まれていたと思われます。

フェリックスの人形劇好き、クレーの音楽への傾倒などから考えて、手人形は上演という遊びを想定した上でつくられていたに違いありません。死者や幽霊や悪魔、僧侶などの奇妙なキャラクターが勢揃いし、風刺やファンタジーに満ちた「この世ではない別世界」の創造を、クレー親子は楽しんでいたのではないでしょうか。フェリックス9歳の誕生日のために初めてつくられたのが単体ではなく、8体だったということから考えても、最初からそこには「ワールド」あるいは「共同体」があったと想像されます。

パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)所蔵の手人形は、息子のフェリックスの死後に、妻のリヴィア・クレーによって寄贈されたものだそうです。リヴィアはフェリックスの2番目の妻で、フェリックスが75歳、リヴィアが60歳のとき(1982年)結婚しています。フェリックスの死後、リヴィアと息子のアレクサンダー(フェリックスの最初の妻との子)が、パウル・クレーのアート遺産を管理しており、それが2005年のパウル・クレー・センターの開館につながりました。

孫のアレクサンダー・クレー(1940〜2021年)は画家、グラフィック・アーティスト、アート・コレクター。その継母(けいぼ)のリヴィアは父親がバウハウスの建築家で、自身もテーラーとして小さな工房をもつクリエーターだったと聞きます。アートを理解する親族がまわりに多くいたことで、クレーの作品は、手人形に至るまで大切に保存され、管理されてきたのでしょう。

パウル・クレーと息子のフェリックス

タイトル写真全容 ↓

パウル・クレーと妻のリリー


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