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察する文化 〜note〜
先日ある公務員の友人が「最近の若い人は察することができないから、とても細かく伝えないといけないんだって」と言った。
またその時、別の友人は「察するって日本らしい文化でいいよね。それができない大人も多い。」と言った。
「察する」って何?
物事の事情などをおしはかってそれと知る。
推察する。
他人の気持ちをおしはかって同情する。
おもいやる。
推し量る/見越す
知っていることをもとにして、推測する。
キャリアコンサルの講義で決めつけないことを学び続けているからか、「察する」ってそれこそ烏滸がましい世界なのではと思うようになってしまった。
「知っていることを元にして。。」自分の経験内の情報から相手の気持ちを「分かった気になる」ということだよね。
それぞれ違う立場のキャリアの中で、経験値も違う見てきた世界も違う。
分かろうとすることはよくても、聞いてもないのに「分かった気になる」のはすごいことなのか。
それを間違ったから「察する」ことが下手な人になるのか。
間違え方によったら相手をとても傷つけないか?
察するはスキルなのか???
そんなことをしているから、「伝える能力」が落ちているんじゃないだろうか。
「伝えなくも分かってる」本当か?
分かってなかったら裏切りか?
期待を裏切る人に繋がるのか?
この公務員の友人は「今後は、すぐにやってをいつまでにやってなど全て具体的に言わないといけない」と言った。
今後はよりよくなるのではないだろうか。
抽象的な言葉を具体的に。
受け取る側のスキルに頼らず伝える側も努力しないといけないということ。
すぐにやって→〇〇までにやって
急いでやって→〇〇までにやって
ちゃんとして→具体的に?どうするの?
普通は→それ何基準?
いつも→1ヶ月で具体的に何日?
みんな→具体的に誰のこと?何人中何人?