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しんどい時はいっそ目をつむる
先日近所の図書館に行った。
私にとって図書館とはどういうところかと言うと、いわば言ってしまえば「スーパーマーケット」のようなものである。
というのも、我が家には生まれた時から親の方針でテレビがなく、本が娯楽だった。
週に一度は図書館に連れて行ってもらい、まずは入って右の児童書のエリア、そこからマンガのエリアに入り、最後にちょっと絵本を眺めたりする。
スーパーマーケットでもそんな風に自分なりの回る順番が決まっている人もいるのではないだろか。
回る順番が決まっているところ、必要なものとして生活の中に組み込まれているといった意味では図書館とスーパーの感覚は個人的に本当に似ていると思う。
社会人になっても図書館に通う習慣は続いていて、引っ越しをする時の基準に図書館が近くにあるかどうかがある。また、図書館は引っ越した後にはまずチェックする場所の一つである。
枕元には必ず本がある。
そういう生活を30年間続けてきた。
しかしここ最近の私はどうかと言うと、気分が上がらず本を読むことができていなかった。
図書館で借りても読み切ることができないので、自分で買った本を申し訳程度に枕元に置いて、時々寝る前に開くが数ページで集中力が切れ脱落。
忙しくはなく時間はあるのに、気持ちが向かず本が読めない。
そういうもどかしい日々を送っていた。
だが、そんな中でも小説は読めないが月に一回「ニュートン」という科学雑誌を借りて知識のアップデートをする、という習慣を去年からストイックに続けていた。
そういうわけで冒頭に書いた図書館にも、借りていたニュートンを返しに行ったのだった。
自転車で10分弱で行ける場所にその図書館はある。
自動ドアを開きカウンターに進み本を返却する。
その際に
「新しく入った本!」や、
「育児のすすめ!」
などのポップアップと共に特集してある本を見るも、心が重く気持ちが躍らない。
深いため息と共に自動ドアを開け、図書館を背にする。
「なんかもうだめだな~。何もいいことないな」
とか思いつつ歩きだしたのだが、
そこで……
ふとなんだか分からないが、急にひらめいたのである。
「いや、やっぱり何か借りてみようかな。借りたい気持ちにならないなら、手当たり次第でもいいじゃん。何か借りてみようよ」
と、なんだか理由は分からないのだが急に思ったのである。
そう思うと、くるりと向きを変え、再度自動ドアを開け図書館の中に入った。
ズンズンと司書さんが座っている方に歩き、スタスタとカウンターを通り過ぎる。
そして本棚が並ぶエリアにたどり着いた時に、またひらめいた。
「そうだ。目をつぶって選んでみよう」
そこで目をつぶって、呼ばれる方に歩いていく。
暗闇の中耳を澄ます。
呼ばれる方はどっちかな。どこに呼ばれてるかな。
今から思うと棚にぶつからなかったのも不思議だが、目をつぶったまま一冊の本に手を伸ばす。
それがこの本だった。
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「ランチ酒」(原田ひ香著)。
酒を飲んで食べる小説である。
手に取った時、
「欲求不満なのか………?」
と我ながら自分に問いかけた。
東京から地元に戻って思うように酒が飲めない。
出先でちょい飲みして帰ってくるのが好きだった。
そして目次を見ると、秋葉原、日暮里、池袋、神保町、そして渋谷……と懐かしい地名が並んでいる。
これだけでもう涙腺が崩壊しそうになる。
酒と東京と。そして中身を読むと分かるのだが、主人公は私と同年代のアラサーの女性である。
あまりにも自分とマッチしている。この引き寄せは偶然なんだろうかと思ってしまう。
もちろん内容は読んで知ってほしいのだが、ざっくり説明すると、
「見守り屋」という職業の女性(祥子)が、仕事を通じて様々な人に会い、そして食べる、飲む。そして恋をする。
そんな小説である。
話は図書館に戻り、本を得た私はさらにもう一冊を得るため、再度目をつぶって歩き出す。
今度手に取ったのが、これだった。
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「ペイントクラフト~私らしいウェルカムボード50~」
………普段の私だったら、絶対に手に取らない。そもそも私は家に拘りがなく、むしろキャンピングカーでの移動生活でもいいと思っているくらいである。人を家に呼ぶ趣味もないし、外からの見え方を意識したこともほぼない。そんな私がこの本を手に取るとは。目をつぶっていなければ全く起き得ないことだった。これも、ここからの人生が人を家に呼ぶようになるというような暗示だろうか……と思ったり。
そんな思いを持ちながらもカウンターに行き、その2冊を借りた。
実に約半年ぶりのニュートン以外の貸し出しだった。
図書館用のトートバッグにずしりと心地よい充実感のある重み。
知らず知らずのうちに浮かぶほほえみ。というか、すでににやつきである。
にやにやしながら
「ありがとうございましたー!!」
と元気よく司書さんに挨拶し、図書館を後にする。
我ながら、来た時とは別人である。
図書館を背にした私の足取りは軽かった。
そして後日5時間ぶっ通しで本を読むという、久々に活字を貪る一日を過ごしたのだった。
「もう無理」「やる気が起きない」
そういう、どうやっても力が出ない時は、無理に力を出さなくてもいい。
いっそのこと目をつむるのはどうだろうか。
力を抜いた時に、案外ワクワクはすぐ近くにあるかもしれない。
力を抜いてみよう。
それを図書館と「本を読む」ということから学んだ出来事だった。
【終わり】