柳宗悦 民藝展 立原道造 ヒヤシンスハウス 藝術コロニィ
「…本展は「東京↔地方」「官↔民」「近代↔前近代」「美術↔工藝」といった、柳が対抗しようとしたものが名称につく東京国立近代美術館が、柳の批判に対してどのように応答するのかというチャレンジ…」
美術手帖
「#民藝」の #柳宗悦 展
西洋に傾倒した「白樺派」から出発し、朝鮮の工藝と出会い、日本の民藝を発見する。それは骨董趣味やお国自慢ではなく、
ラスキンやモリスのように「美」(Goodness)から出発した社会形成(Kingdom)をめざす…
これはエコロジーへの視点にも^_^
竹橋の国立近代美術館で来年2月まで⭐︎
「…今回とりわけ注目するのは、「美術館」「出版」「流通」という三本柱を掲げた民藝のモダンな「編集」手法と、それぞれの地方の人・モノ・情報をつないで協働した民藝のローカルなネットワークです。
民藝の実践は、美しい「モノ」の蒐集にとどまらず、新作民藝の生産から流通までの仕組み作り、あるいは農村地方の生活改善といった社会の問題提起、衣食住の提案、景観保存にまで広がりました。「近代」の終焉が語られて久しい今、持続可能な社会や暮らしとはどのようなものか―」
#読書週間
「…だが美術的な美のみが美であろうか。またかかる美が最後の美であろうか。現実に即してこそ美の福音がありはしまいか。民衆に美が交わってこそ、美の社会が可能ではないか…」『工藝への道』1928
「…情愛の教えが彼等には嬉しさに余る福音である。軍政に彼等は沈黙するかもしれぬ。然しその冷さを如何なる心が喜び得るであろう。
余は朝鮮の芸術特にその要素とも見られる線 (Line)の美は実に彼等が愛に飢える心のシムボルであると思うのである。美しく長く長く引く朝鮮の線は、実に連々として訴える心そのものである…」「朝鮮を想う」1919
「…ゴシックの藝術は共通の思想と意志とから生れた民族の藝術である。富んだ者も貧しい者も同じ藝術的喜悦を持っていたのである。
会堂は凡てのものの家庭であった」「中世紀の藝術(ゴシックの藝術)1921
【ヒヤ1】紅葉秒読みの別所沼公園
建築家、詩人の #立原道造 が浦和で夢見た #ヒヤシンスハウス で本格展示
アートコロニイプロジェクト&アートコロニイ展「記憶のありか」
11月7日まで^_^
「夢はいつもかへつて行つた
山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへった
午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり
火山は眠つてゐた」
立原 道造「のちのおもひに」
⭐︎
「…僕は やがて 自分の晩年をロマンのなかに悲しく描きはじめてしまふ。
浦和に行つて沼のほとりに、ちひさい部屋をつくる夢、
長崎に行つて古びて荒れた異人館にくらす夢…」立原道造書簡1937年 小場晴夫宛
⭐︎
「…浦和が僕にあたらたしいふるさとを与へてくれればいいとねがひます。「さがしつづける者は見出す」といふ希望にみちた諺を信じるならば、いつか僕は帰郷することができるでせう。
どの村?いまは知らない。しかしいつかはそれを知るでせう。
浦和に建てるためのヒアシンス・ハウスの図面を同封しました。
旗のデザインをして下さいましたら、たいへんにうれしく存じます…」
(一九三八年二月中旬[推定]、深沢紅子宛)
「…ところで、浦和は、軽井沢と東京の行き来の際、彼が列車で通過した郊外都市であり、元は中山道の宿場町にほかならない…」
『立原道造: 故郷を建てる詩人』岡村民夫、水声社2018年
#読書週間
http://www.artplatform.jp/
【ヒヤ2】市民の憩いの場、浦和別所沼⭐︎
新聞に日常品を転写した「瓦版」作品は毎日入れ替わるとか^_^
#立原道造 の #ヒヤシンスハウス では、展示に止まらず、12月までディスカッションが継続、
藝術コロニィ
を考えるそうです⭐︎
過去の遺物としてではなく、
生活都市で、新たな「民藝」を創造する!
かも^_^
「…文学の領域に随筆或いはエッセイというジャンルがあることを考える。
これは家常茶飯の人生に触れ、その持味をきわめて生かして行くことを本領とする芸術である…
…エッセイはそれぞれの芸術専門家を要しない、人間でさえあれば、人生に真摯に生きさえすれば、よきエッセイは彼から生まれる。
…住宅とエッセイの本質する精神は一致している。
住宅のすぐれたデザイナアは、それ故にしばしばすぐれたエッセイストである…」
「住宅・エッセイ」立原道造
「立原の卒業設計は、日常を忘れるべく愛した浅間山麓を敷地としながらも、単に牧歌的な楽園を夢想したものではなかった。田園にありながら、都市に準ずる機構がきちんと整備された現実性のある計画だったのである」
『立原道造の夢みた建築』種田元晴2016
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#読書週間
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