【エッセイ(ミニ)】那覇から金武町まで
コロナ禍になるずっと前のこと。
待ち合わせの食事会に遅れそうだったので那覇市内でタクシーに乗りました。
乗ったタクシーは、走り出してからタイミングよく赤信号にかからず
スムーズ走行。
年配の男性運転手さん(おそらく70代)が
「あいっ。お客さん、赤信号にかからないねー笑。」
と言われたので
「ラッキーですねー笑。」
と返事をしました。そのあとも会話は続いて
「でもねー、こないだ観光客を乗せたら那覇の県庁前から、沖縄市(※沖縄本島の那覇より北)まで一度も赤信号にかからなかったさー。お客さんもよろこんでねー。あれは運転の歴史上はじめてだったさー。」
「すごいですねー笑。ほかにも(運転手さんの歴史上すごいこと)あるんですか?」
「ベトナム戦争のときにねー、米兵を那覇から金武町(きんちょう)(※沖縄本島中央にあって沖縄市より北)まで
連続4回、往復したことがあったさー。
当時は人種間の差別もあって、大変だったけどねー。
連続4回はあれ以来ないねー。あれもはじめてだったさー。」
とのことでした。
沖縄にとってベトナム戦争はバブル景気のようなものだったと当時、米兵たちにお酒をだすお店を経営されていた方から聞いたことがあります。
海兵隊員はベトナムへ出兵が決まった隊員を送りだすパーティーでお金(給料)を使い、無事に帰還すると祝いでお金を使い、また出兵が決まると有り金を(帰還できるかわからないから)すべて使ったんですよと、話していました。
私が乗ったタクシーの運転手さんのように、中部から那覇まで飲みにゆく兵隊を乗せたタクシーは多くあったようです。
ベトナム戦争時代からタクシーの仕事を続けている運転手さん。
わずか20分くらいの乗車時間でしたが、もう少しお話を聞きたかったですね。
2022年5月15日。沖縄は本土復帰50年を迎えます。
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