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ユズル
2019年2月23日 10:44
ときどき、フワッと子供の頃に感じた心の動きを思い出すことがある。それは感情というほどハッキリしたものではなくて、なんといえばいいのかわからないけど、とても曖昧な、雲のような形のない、ふわりとした感覚。その言葉に出来ないほどの弱い感覚、心の動きが、懐かしく、安心感、安堵感に包まれていてとても温かそうなので、なんとかして掴もうとするんだけど、スゥっと消えてしまう。そして「あれ?」「ちょっとま
2018年8月11日 08:18
僕の家の経済状態は一般の人が引くくらい悪かった。母は全然働かない。収入は生活保護のお金だけ。父からの金銭的な支援もなかった。母は見栄っ張りなので、僕の父からの支援を断っていたフシがある。だから僕の家は本当に貧しかった。中学に上がると、僕は割と勉強が好きになった。でも学校の授業だけでは正直ついていけない。学校の授業はカリキュラム通りにドンドン進むので、わからないことが出てくるとドンドン取り
2019年1月6日 15:12
僕はその朝、ゴミ溜めのような家から逃げ出した。就職氷河期の煽りを受け、まともな就職先もない状況でとりあえず生活をしないといけないので、条件がいいとは言えないがとりあえず派遣で働くことにした。そしてその派遣会社は1ルームの寮を所有していたので、派遣の人に相談し寮を借りることにした。ようやく僕は毒持ちの母親から逃れられる。毒家族から距離を置けることになったのだ。入寮当日。CDラジカセと数
2018年12月5日 20:16
僕は就職活動用に買ったネクタイに輪を作り、首にかけた。目をつむり、体重をかける。ネクタイが頸動脈に食い込み、頭が一瞬熱くなる。意識が遠のいていく。ラジカセから音楽が流れてる。その音楽が、少しだけ歪んだ。その瞬間、僕は頸に巻き付いているネクタイを緩めた。死ぬのが怖いという感情よりも、なんてあっけないんだという感情が先に来た。死ぬことがあまりにも簡単すぎる。生きることよりも、あま
2018年12月3日 20:18
就職氷河期真っ只中に僕は高校を卒業した。就職先は決まらないまま、高校の時からアルバイトしてたお店でとりあえずそのままアルバイトを続けた。18歳になったので深夜のシフトに入ることができるようになり、週に3日ほどシフトを入れていた。だけど週に3日働くだけで生活なんてできない。ましてや給料日に祖母が「給料出たやろ。お金貸して」と金を借りに家に乗り込んで来る。母は「家にいるだけで金かかる。生活
2018年11月13日 07:56
まともな勉強ができない家庭環境で、偏差値は最低エリアを行き来し、それでもなんとか私立の工業高校に受かり通うようになった。あまりお利口な学校ではなかったので、バカみたいな髪型をした生徒や、やたらと喧嘩をしたがる生徒がたくさんいる、掃き溜めのような学校だった。本当は公立の高校に行くのが貧困家庭としては正しい選択なんだろうけど、偏差値の一番低い公立の高校ですら受からないレベルの学力しかなかったため
2018年9月24日 07:52
父の葬式が終わり、また毒家族の元へと帰ってきた。中学三年の秋。まわりは受験に向けて塾に行ったりしていて、慌ただしく勉強している。でもうちにはそんな経済的な余裕はなかった。母は、父の保険金を期待していたようだが、父は離婚が成立したときに保険を解約していたそうで、そんなものは1円も出なかった。子供を一人育てているにもかかわらず、全く働かない母。なんなら僕が新聞配達をして稼いだ1万円程度のお金
2018年9月8日 09:05
中学3年のとき、父が危篤状態なので「すぐにきてほしい」と電話がかってきた。離婚後、母と僕は九州へ、そして父は関西に残り一人で生活をしていた。末期ガンでもう助かる見込みがないとのことだった。僕と母は新幹線に乗り、急いで病院へ駆けつけた。父の親戚の人たちはとてもシッカリしていてまともな人達なので、僕の母が「毒持ちな人」だってコトに気づいていたと思う。あまり母を父に近づけないようにしていた
2018年8月23日 08:11
働かない母、強いられる貧困。僕は新聞配達をし、母に食費を徴収されていた。残りのお金で僕はタバコを買い、そして不良の仲間入りをしてしまう。学校で不良に混じってタバコを吸うようになった。そのうち、なんとなく家でもタバコを吸うようになった。そんな僕を見ても母は注意するどころか、タバコを吸っていることを認めていたように思う。今考えるととてもバカみたいなことなんだけど、不良息子の母親と周囲から
2018年8月7日 18:18
子供というのは自分の家庭が社会のすべてだ。どんなにひどい家庭であっても、生活は毎日続き、当たり前の日常になっていく。僕は中学校に入学した。僕が住んでいた地域は、以前も話したように治安があまりよくなかった。中学には時代遅れな服装や髪型をした、いわゆる不良たちが何人もいた。はっきり言ってそういう人たちとは関わりたくなかった。平穏無事に中学生活を送りたかった。しかしそんな僕の思いを打ち砕く
2018年8月1日 08:41
アル中の祖父の心無い一言で、母はお化け屋敷のようなボロいアパートを借り、僕と二人きりの生活を始めた。だがこの二人きりの生活は、母親をどんどん怠けさせることになる。今まで他の大人たち(僕の父や、祖父母)がいたから嫌々ながらも家事をこなしていた母だったが、僕と二人きりの生活が始まり、そういった周りの大人たちの監視の目がなくなった途端に、母は家事をほとんどしなくなった。深夜遅くまでダラダラと
2018年7月29日 08:52
両親が離婚、母方の実家を仮の住まいとした居心地の悪い生活が始まった。そこには子供のことを考えるような大人はいなかった。酒浸りの祖父、ギャンブル狂いの祖母、子供を引き取ったクセに働かない母。愛情なんてこれっぽっちも感じられない家庭。でも子供にとっては、どんなに嫌な家でも帰ってくる場所はそこしかない。ちょうど冬休みに関西から九州に引っ越してきたので、冬休みが終わると新しい土地で、新しい学
2018年7月28日 08:41
両親の離婚を経て、母方の実家を仮住まい先とした生活が始まった。突然環境がガラッと変わった。小学四年生の僕は新しい環境、特に最悪な大人たちがまわりにいる環境に全く馴染めなかった。祖母と母親は毎日パチンコに行く。子どもたちには白米とぬか漬け、味噌汁だけ用意して、毎日閉店までパチンコ店に入り浸る。祖父は毎日酒を飲み、子どもたちをいじめる。「俺はお前のことが好かん」と、まだ新しい生活に馴染
2018年7月27日 18:29
そんなわけで九州のイチ地方都市の片隅に母親に連れられて引っ越してきた。九州へ向かうフェリーの中から見た星空が、えげつないほど美しかったのを覚えてる。母の実家である。祖父、祖母、叔母や叔父、そしてイトコ達。これから語っていこうと思うんだけど、まともなやつはほとんどいない。そもそも祖父と祖母が子供のことなんてお構いなしで、自分の欲求を満たすために生きている。そういう時代だったのかもしれないが