夢の話

 先日、高野山まで自転車で行こうとして、河内長野の山の中を走り回る…という夢を見た。途方もない道のりに、何度も諦めを感じつつ、石段の上から見た木に咲いている白とピンクの花を愛でたり、石段を自転車のまま降りたり、石段の下の方で遊んでいた小学生に、道を教えてもらったりした。夢の中では高野山に辿り着かないうちに目覚めてしまったが、この時からまだ一週間程度なのに、またもや神仏に関りがあるような夢を見た。

 コロナ禍になってからずっと会えていない友達がいる。会っていないのはコロナだけが理由ではないが、現在まで続いている友人の中でも、私にとっては特別な存在の人。3年近く会っていないというのも、ちょっと今までにないことだ。今は積極的に会いたい気分ではないので、会おうと連絡する気はないが、やはり気にはなっているのか、時々夢に出て来る。この日の夢も、その類かと思った。
 移動手段を別にして、何だか合宿にでも参加するように、リゾートに来ていた。天気は雨。上がったものの、リゾートなので、小洒落たワンピースなど、ジャングルみたいな森を散策するには不似合いな服しか持っていなかった私は、ホテル内にある、未だ開店前のブティックを下見することにした。
 そして場面が変わる。
 私は僧侶をガイドに、山道を歩いている。山道だが、それは参道で、何処かの社寺仏閣を目指しているらしい。朝の山道である参道には光が差し、木漏れ日がきらきら美しい。僧侶は言った。
「この辺りにはヤタガラスが遊びに来るんですよ。ほら、この子は毎朝やって来る」
 見ると、僧侶の足元には黒い生き物がいて、頭に少し禿があった。禿げたその子がヤタガラス…。はっきりと認識できない私はヤタガラスを知らないから、ちょっと黒い猫にも見えた。
 目覚めた後、頭の中で繰り返す。ヤタガラス…ヤタガラスって何や?カラス?
 夢占いの本を調べようと思って調べ損ね、気付けば夜になっていた。布団に入る前に思い出し、本を開く。ピンとする言葉は書かれていなかった。
 ヤタガラスをググる。表れた幾つかのワードに、気になるものがあった。そのひとつが【熊野古道】である。
 熊野古道は、私が現実で行ってみたい場所の一つだ。何年も前から口にしているが、誰も乗ってくれない。一人旅が出来る質ではないので、結果、実現出来ず仕舞いである。
 夢の中で歩いていた山道を、何故か、熊野古道ではないかと感じていた。行きたいと思ってはいても、どんな場所なのか、実現の見込みが無いのでちゃんと調べたことはなかった。もしかして、少しは写真などを見て頭の何処かに記憶されていた可能性がゼロとは言えないが、熊野古道ってどんな場所?と聞かれた時、情景が浮かぶ自信はない。気になってさっき写真を探ったら、夢の中の山道が、熊野古道にとても近いことが判った。
 ヤタガラスは日本神話に登場する導きの神とされ、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした、一般的に三本足のカラスなのだとか。私が夢に見たのは、姿が木漏れ日によってモザイクのように曖昧な姿だったから、黒い生き物が3本足のカラスだったかどうか、はっきりわからない。しかしガイドの僧侶は、その子を「ヤタガラス」だと言っていた。そして案内されていた場所は熊野古道で、向かっていた先はわからない。
 伏見稲荷大社のように、赤い鳥居が連なっているようにも見えたが、間隔は広かったように思う。そもそもガイドが僧侶で神主ではない時点で神仏ごちゃまぜなので、いずれもはっきりしない。木漏れ日が、全てを輝かせる一方で、全てを曖昧にしているようにも思えた。
 本によると、カラスも僧侶も、良い書かれようをしていなかった。
 しかし、悪い気のしない夢であった。
 ネットを探ると、僧侶もヤタガラスも、良い解釈しかされていなかった。
 意味するところはなんだろう…?
 風向きが、変わってきている予感はある。すべてのきっかけが確かにあったが、具体的に何かが変わったというわけではない。これから変わるのか、それとも気のせいなのか、わからないが、この先に何かあったら、夢が予言や予感の標となる可能性について、改めて考える機会になるかも知れない。

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