偶然の再会

 ある現代芸術家の展覧会に行ってきた。新聞にでかでかと記事が載って以来、ずっと行きたかった展覧会。日常がバタつく中で、一人で行くのか誰かと行くのか、いつ行くのか、本当に行けるのか…目指す場所が行き慣れない、少々面倒で交通に不便なところだということも手伝って、全く予定が立たないままに、前売り販売期間が過ぎてしまった。
 お互いの多忙を理由に、長らく無沙汰をしていた親友と、春休み中に会おうと約束していたものの、仕事に忙殺されて休みを取る間もなくGWを迎えようとしていた頃、恐らく普段は私よりも忙しいであろう彼女から連絡をもらい、ようやく連休中に会えることになった。欲があり過ぎる私と、欲が無さ過ぎる彼女とは、その其々の理由から優柔不断で、〝会う〟と決めても、いつも先が決まらない。何処で会うのか、何をするのか、時間は、待ち合わせは、etc、etc、etc…。
 展覧会に行きたい旨は伝えていたが、当日券なので前売りより200円高いことや、数年前のGW、一人である展覧会に行った際、恐ろしい混雑で入場制限が掛かり、チケット持参なのに何時間も並ばされた挙句、館内も通勤ラッシュの満員電車状態で、鑑賞どころではなかったことが思い出され、私の自己主張だけで計画を遂行するには気が引けた。
 彼女は確実に私より絵が巧い。しかし芸術に造詣が深いかと言えば、怪しいところ。興味が無いのか、なかなかGOサインも出なかった。
 結局、他案であったUSJやランチなどに決め手を欠いたせいか、展覧会へ赴くことになったのだが、半月も前から予定を立て始めて、全てが決まったのは前日の夜中であった。
 当日、私は寝坊した上、渋滞に巻き込まれ、更に乗り換える予定の駅で降り損ねるといったドジを踏んで、約束より10分も早く着いていた親友を30分も待たせる羽目になった。
 私達が約束の時間に丁度良く出合ったことは、未だ嘗て無い気がする。遅刻の八割は私が原因だが、珍しく私が早く着いたりすると、今度は彼女がとんでもなく遅れて来たりする。寛容な彼女に倣って、私も遅刻を責めることは無い。そもそも八割方私が加害者なのだから、二割の被害があっても責められる分際ではないのだ。
 彼女は待ち合わせ予定の駅から、先に現地入りし、易々とチケットを購入して、思いがけずがらがらだった明るいロビーのソファに座って待っていてくれた。(有り難いことです)
 GW初日だというのに、美術館は、〝まさに美術館〟といった装いで、GWとは思えないほどの静寂に包まれていた。平日の美術館のようなGW中の美術館。開催中盤に差し掛かった最近になっても、新聞や駅の広告に大きく宣伝されているような、話題を呼ぶ作品展のはず。広告やポスター展開での宣伝はお金がかかるのではないかと思うのだが、人が入らないから宣伝を続けているのかと、あまりに人が少ないので心配になった。
 とはいえ会は面白味に溢れていた。私達が呟いていた疑問を、後からやって来た家族連れが人の耳に届くほどの声で話していたりする。芸術を叫ぶ人の心は奥が深く、凡人には理解出来ない事が多い。声を発している人の心を掴めない私達は、皆同じ凡人なのだろうと、私は心の中で自らを諭すように噛み締めた。
 展覧会の主役は、作者その人であった。世界中の有名な画家たちが描いた其々の自画像に、作者本人がなりきって作中に存在する。写真なのか絵なのか…特殊メイクなのか、もっと別のものなのか…。表現方法は写真なのだが、私は絵を見に行くつもりでこの展覧会に行きたいとずっと思っていた。親友は私に便乗しただけで、実際どんな展覧会なのかよくわからないまま、やって来ていた。
「何かさっきの絵の人と顔似てるな…と思ってん」
 作中の人物が、すべて作者その人であることを私が話すまで、彼女ははっきりと気付いていないのであった。
 名画をだまし絵的に表現した円形フロアを何度も見直しながらぐるぐる回って過ごした後、「こんなに面白い展覧会はなかなか無い」などと感心しながらゴールへと辿り着き、地上を目指して地下二階から地下一階へ脱却する。ゴールかと思ったらゴールではなかった。付録のような展示に「おぉっ」と呟き、更に声を出して笑いたくなるような個性的な上映ゾーンで暫く過ごした後、笑い声一つ立てずに上映に見入っている人々の間から抜け出す。二時間立ちっぱなしだった足が痛むのは、靴に合わない分厚い靴下を穿いたせいで足が入らなくなった靴に、シンデレラの姉宛らの凶暴さで、自らの足をねじ込んで来たせいである。
 ゆったりしたひとり掛けソファに座り、腕置きに置かれている展覧会の目録を捲る。作品をすっかり気に入って、売店でも販売しているそれを購入するつもりでいた私だったが、二千円という金額を見て諦めた。学校という場所に於ける交際費の、度重なる出費に目を剥き、大抵のことからは逃げていたが、どうしても逃げ切れなかった諸々のせいで、想定外に財布を薄くしていた上、給料日前で銀行に行く機会さえなくしていた私は、お気に入りを所有したいという願望を、ポストカードという控えめな形で満たそうと腹を括った。
〝付録〟のフロアでは、名も存在も知らないが、後で調べて肩書を知った、あるグラフィックデザイナーのポスター展が開かれていた。別料金を取られないのを良いことに、足を踏み入れる。左サイドの目標に辿り着くまでには、別の人々の作品が展示されていた。
 画材がシルクスクリーンと書かれている。
「何かこれ、聞いたことあるよなぁ…。学校で使ったっけ?」
 陰影をつけた正方形が並んでいる。
「こんなん、やったなぁ」
「私、「こんなんちゃうっ」って言われて、何回やり直しても横から消されたわ」
 苦い思い出が甦った。
 短大時代、専門の学校でもないのに、音楽と美術、体育の授業が恐ろしく厳しかった。音楽は元々勉強していたこともあって、特別苦労はしなかったが、美術と体育は未だにトラウマになっている。特に美術は、次から次へと押し寄せる課題が間に合わず、単位をもらえなくて卒業できない…と焦っている悪夢を未だに見る。かなりリアルで、魘されて目覚めるのだが、実際の私は卒業していて、資格も所得出来ている。必要な単位を得たからこそ、証書を手にしているのである。しかし、当時の作品は手元に一枚も残っていない。処分した記憶も、提出した記憶も、何故か殆どないのだ。提出しては突き返され、やり直しを命じられてはまた一から取り組むのだが、その間にも新たな課題がどんどん増えて行く。毎回半泣きであった。 
 ある絵の前で足を止める。絵に惹かれたわけではなく、作者の名前に目が行ったのだ。
「私、この名前知ってる気がする…」
 思わず呟くと、隣でまじまじとその名を見つめた親友が言った。
「これ、N先生ちゃうん?」
「そうや!」思わす小さく叫んだ。
 彼女がスマホで検索すると、知った顔をした男性の写真が画面に映し出された。短大時代の美術教師その人であった。
「有名な人やったんや!こんなところに飾られてるなんてすごいなぁ!」
 親友が素直に感心している。
 展示されているのは三点。兄弟のように共通項のある作品たちを評価するには、私は凡人すぎる。はっきり言ってよく解らないのだ。凄いのかも知れないが、私にはその凄さが解らない。
 実際、デザイン関係の仕事をしていた我が父でも、度々〝展覧会〟というものをやっていたので、お金を取らない美術館の一角に、こういった形で作品が展示されることに、彼女ほど免疫が無いわけではない。凄さが解らないのは、そのせいかも知れなかった。
 スマホの検索結果によると、ウィキペディアには載っていないものの、業界ではそれなりに名の知れた人だったようである。しかもその人は既にこの世の人ではなかった。
 授業で週に一度か二度しか顔を見ていなかった人と、思わぬところで再会したというのに、一昨年に故人となっていたのだ。
 N先生は芸大でも教鞭をとっていて、恐らくそちらの方がメインであっただろうと想像はつく。私達は大勢の名も知らぬ生徒の一員で、彼にとっては米びつの中の米粒ひとつほどの存在でしかない。なのに卒業から十数年を経ても、悪夢を見せる影響力。そして何故、他の友人でなく、同じ米粒の一員であった親友と、滅多に無い再会をし、更に滅多とない美術鑑賞なんぞをした時に巡り逢ったのか…。
〝偶然は必然〟などと言うが、必然な意味も解らないほど、それは奇妙な再会で、やっぱり必然などではなく、全くの偶然でありながら、震えの来るような偶然に他ならない気がした。
 N先生はその死を、米びつの中の一粒に伝えたかったのだろうか…などと考えるのは、何だか自分がとてつもなく自意識過剰であるように思える。しかしもし、私が展覧会に一人で行っていたなら、このフロアをスルーして帰っていたかも知れず、絵の存在も鬼籍に入った事実も、知らず仕舞いだった可能性がある。
 展覧会ではなく、USJに行っていたら…。
 いつものようにランチに終始して、ひたすら喋って笑っていたら…。
 そんな風に考えると、やはり私達は何か見えない力に呼ばれたのかも知れないと感じるのであった。

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