ヤバい雑誌

 読書という行いが習慣化してから随分経つ。本というものは情報を形にして有料で提供している媒体だから、内容が必ずしもそうでなくても、書かれている言葉や文体に、誤りの余地はないものだと疑いもしなかった。しかしそれなりに、色々なジャンルの本を読むうち、実は誤字脱字がないわけではないのだと知ることになる。本の中身は、本という形になるまでに緻密に精査され、校正という技術を経て誤りを限りなく正されてから世に出るものだと思っていたから、現実を目の当たりにする度、出版業界の一部には、非常にいい加減な仕事をする者もいるのだと唖然とした。
 以前続けて読んだある著者の自己啓発本は、出版されたすべての本に、誤字脱字が頻繁に登場した。本だって人が作るものだから、間違えないことは絶対ではないだろうが、明らかに学習していないから同じことを延々繰り返している。しかも、ひとつふたつという可愛い単位ではない。校正というもの自体、されずに本になったのではないかと思わせた。
 内容はそれなりに良いことが書かれてあるのに、誤字脱字だらけだと信用が薄れる。今の私は、その人の新刊が出たことを知っても、手に取ることは無くなった。
 最近は買わずに、本を図書館で借りることが基本だ。そこで出会えた〝これは!〟という本に、私は書店で初めてお金を払う。持ち帰った後は書棚で永久保管され、滅多にページを捲られることは無い。
 図書館で借りる本というものは、私以外の人の手に既に取られていることが殆どだ。読む者というのは似たような心理を抱きがちなのかも知れないが、誤字脱字に気付いた読者の手によって、丁寧に校正されていることが少なくない。誤字の上に×を付け、正しい文字に置き換えられている。違ってますよ、これが正しいんですよ、という親切心なのか、間違っているとこ見つけたよ、というアピールなのかはわからない。いずれであっても、それはそれで迷惑である。自分の本なら好きにすれば良い。しかしこれは、間違っても図書館の本。公的財産であり、多くの人が共有するものだ。間違いに気付いたなら、図書館の職員に伝えるか、直接出版社に問い合わせれば良い。前者であっても後者であっても、回収して誤字脱字のないものに交換する…なんてことはきっとしてくれないとは思うが、綺麗に印字された機械の文字の狭間に、鉛筆で手書きされた人の字が飛び込むことの目障り感や、現実に引き戻される違和感を、他の読者が持つことはなくなるから、余計なお世話は不要なのである。

 先日、気になった新刊書を取り寄せたら、それが雑誌だったということがあった。普段、雑誌を読むことは殆どなく、読んでも流し読みで、興味のあるところを選別して他はすっ飛ばしている。しかし折角取り寄せたのだからと、中には殆ど広告も無いし、内容、写真共に興味深かったこともあり、隅から隅まで読みつくしてみた。結果、一週間以上かかり、雑誌って、ちゃんと読めば結構大変なんだと少々疲れたのだが、この魅力的な雑誌が、あまりに誤字脱字に溢れていたので、余計に疲れたようであった。月刊誌でもなく週刊誌でもない、シーズン単位の不定期出版誌だったのに、あまりにも校正が雑なのである。更に、記事を書いた記者の文章能力レベルが、大分疑わしい。本文と注訳の重複が多すぎて何度も同じ文章を繰り返し読まなければならないばかりか、外国人が慣れない日本語で書いたのかと見紛えるような解読出来ない日本文が、そこかしこに散らばっている。改めて、写真だけ見て喜んで閉じてしまえば良かったと後悔した。
 偉人が書いたもので解読できないものは多々ある。一般人が書いたものが、ベストセラーにしたいほど面白いことだって多々ある。私は私で、素人らしく、自分が書いたものを読み返した時に、「言ってる意味わからない」と思うこともあれば「なかなか上手く書けている」と自己満足することもある。だがしかし、複数回シリーズ化されているほどの人気雑誌なのに、中身の日本語がめちゃくちゃって、懇意にしている読者たちは、写真しか見ていないということなのだうろか?
 誤字脱字が多すぎて、文章力が小学生以下で、とっても疲れたこの雑誌。しっかり覚えているのは唯一つ。紙質を髪質と書き、同じページの別のシーンでは髪質を正しく紙質と書いてある。何で誰も気づかんのや?
 少数精鋭なのか、精鋭ではなく唯々少数なのか、いずれにせよ、写真に惹かれてそれなりに売り上げがあるから、シリーズ化されているのだろう。
 私の方がもうちょっと小マシなことが書けるし、誤字脱字だって見つけられる。雇ってもらえないかと心から思った。

いいなと思ったら応援しよう!