外出の楽しみ

 来週末、約二ヶ月ぶりに外出らしい外出をする。大体、三ヶ月に二回くらいの割合で、何十年と通っている場所だ。
 最近は食べることに楽しみが集中しているので、この二年くらい、帰り際に一人でお茶して帰る。基本的に一人ごはんが出来ない人。しかしその店は、駅の改札から近く、周辺の人通りが大層なのに、一人でゆっくり寛げる。と言っても、食べて飲んで、手帳にちょっと書きたいことを書いたらすぐに出るので、特別ゆっくりしているわけでもない。壁向きのカウンターと、向かい合ってはいるが衝立が立てられたテーブル席風のカウンターのみで、座れても十二人程度の客席の殆どは、一人客だ。なので私でも一人で入れる。
 完全に、自宅に帰り着くまでの一時間、空腹に耐えられず、また、習慣になってしまった“お茶の時間の美味しい珈琲”を飲みたくなる、中毒症状を抑えるのが狙いだ。一時間耐えて帰り着いても、時刻は夕食まで一時間を切る。帰ってお茶していたら夕食が食べられない。帰りの電車でもバイクでも、お腹が減って、珈琲が飲みたくて、苛々ぴりぴりする。そこで意を決し、何十年もその前を通り過ぎていながら、約二年前にやっと、その店に足を踏み入れたのだった。
 そこはパン屋のイートインである。ケーキや洋菓子も売っている。が、私が頼むのはいつもパンセットだ。店内のパンのうち、好きなものを2つ、そして珈琲か紅茶で、600円+消費税。昨今、びっくりするような金額のパンが主流になった世の中で、ここも決して安くはないが、200円以上のパンを2つ選んでも、飲み物は200円しない。そう思えば至極お手頃である。コロナ禍にイートインスペースが閉鎖され、泣く泣く斜め向かいの某パンチェーン店でお茶した時は、味のクオリティに対し、値段が高くてもう二度と来るかと思ったが、こちらのパンは私と相性ばっちりで、紙コップ一杯量の珈琲も値段以上だ。
 久々の外出。主要な目的は観劇なのに、私は既に帰りに食べるパンのことばかり考えている。その店で出会った餡バターパンを、もう何ヶ月も見ていない。季節のフルーツを使ったものも豊富なので、お気に入りが無ければ限定品を食べていたが、ホームページなどでメニューが紹介されていないだろうかと思い立ち、夜中に検索をかけてみた。
 ホームページ…は無かった。しかし、思いがけないニュースが飛び込んでくる。店が…約一週間前に閉店したのだった。
 何十年も前からあった店だ。初めてその場所を通った時からあったから、いつからあったのか考えたことも無かったが、調べてみると半世紀以上も営業していたのだと知った。私が通うようになって、僅か二年弱。何故に⁈
 半ばパニックになる。来週、何処でお茶しよう⁈完全に、外出の目的が変わってしまっている。自覚はあるが、最近は観劇より、帰りのお茶の方が私にとって重大要件なっていたようだ。
 若い時は今ほど、食べることに対して執着していなかった気がする。昔から一人ごはんが出来ない人だったので、外出しても食べずに過ごして帰って来ることもしょっちゅうあった。小遣いは服飾品に消え、軽食を持参してロビーのソファで済ませたりしていた。飲み物も、ペットボトルに入れたお茶やジュースだった。
 食べることは生きること。生きることにそれほど執着していない気がするのに、食べることにはめちゃめちゃ執着しているこの矛盾を、どう説明すれば良いのか…。
 翌日、改めてパソコンを開く。乗り継ぎ駅付近で、美味しい珈琲とパンを口に出来る、一人でも入れそうなカフェを探す。無い…。
 乗り継ぎ駅は大都会で、何処もかしこも人込みだ。近くにあるショッピングビルのレストランや飲食店街は、カップルや友達連れでいつもごった返しており、横を通り過ぎるのも気後れする。全く安らぐ気がしないのだ。
 外出まで一週間を切った。食の期待を裏切られ、楽しみすら不安に変わっている。私、ヤバいかも知れない。

いいなと思ったら応援しよう!