悔いと思考とお天気と ③

 天気がひとつではない理由は、実はそれが人の人生と同じだからなのかも知れない。天気が人生に似ているのか、人生が天気に似ているのか、そんなもの、人が勝手に思うだけで、そもそも何の関係もないのか、本当のところは判らない。勝手な解釈でしかない。
 しかし気分が滅入っているとき、好天が続くのは酷だと身に染みて感じている。 
 明るすぎる。
 眩し過ぎる。
 特に春先の好天は暑すぎず寒すぎ、体には唯々快適なので余計に負担を感じる。つまらんこと考えてんと、しっかり前向いて元気に生きろ!と、叱責されているようで、気鬱には重い。本当に健康で元気があるなら、こんなに気持ちの良い天気はないのだが、そうでなければ辛いだけ。辛い時に元気な人にテンション高く檄を飛ばされる…そんな気分である。
 何週間ぶりかにどんよりと曇って、ほんの少しだがしとしとと雨が降った日、心も少し水を吸ったような気になった。
 走り続けなくても良い。
 こんな日は天気のせいにして、唯、寝ているだけで良い。
 自分を甘やかしたって良いではないか…。
 ずっと何かに甘えてきたわけではない。誰が私を甘やかしてくれるというのだ。
 久しぶりに大雨の予報が出て、丸二日は少し心が休まるかと思った。何も出来ないことを天気のせいに出来る。しかし大方の予報が外れて、本降りになったのは一晩だけだった。このところ日頃の行いが悪いのか、家を出る直前に集中豪雨に遭い、建物の中に辿り着いたときには止む…ということが続いた。なかなか偶然としては流せない。
 明日から暫く、再びの好天らしい。これだけお日様マークが並んでいれば、予報が外れることは考えにくいな…。
 朝が辛い日々は続く。

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