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健屋花那さんと文学(③海外文学編)
はじめに
この記事は、「健屋さんの活動を振り返りつつ、文学作品を紹介していこう」というものです。第1回「近現代日本文学編」、第2回「日本古典文学編」に続き、今回は第3回「海外文学編」です。それでは早速、海外文学の世界へ脚を踏み入れて頂きましょう。
オー・ヘンリー
オー・ヘンリー(O. Henry、1862 - 1910)はアメリカ合衆国の作家。本名はウィリアム・シドニー・ポーター(William Sydney Porter)で、彼の短編小説や、短編小説よりもさらに短い分類である掌編(しょうへん)小説(しょうせつ)は高く評価されています。彼が短編・掌編の名手たる所以と、健屋さんによる朗読の美しさを感じられるのが、次の作品の朗読です。
『賢者の贈り物』
【朗読】賢者の贈り物【健屋花那/にじさんじ】
公開日:2019年12月25日
健屋さん曰く、クリスマスといえば自分の中では昔からこのお話とのこと。健屋さんの朗読には、聴き手を物語へ惹き込む力があります。この『賢者の贈り物』でもそれは大いに発揮されています。
作品についてみていきましょう。1906年の作品で、原題は『The Gift of the Magi』。直訳してもやはり『賢者の贈り物』なのですが、原題にあるMagiとは『新約聖書』における『マタイによる福音書』にて、イエス・キリストが誕生した時にエルサレムへ集ったとされる3人の賢者(元はギリシャ語でμάγοι(マゴイ)という。これはμάγος(マゴス)の複数形。)のことです。朗読動画の20分という短さを見て分かるとおり、極めて読みやすい掌編小説です。
クリスマスイブ。貧しい夫婦のお話です。妻のデラは、夫婦にとって一番の誇りであった自分の美しい髪を切って20ドルで売ります。自慢の立派な金時計を、古い革紐を付けているために堂々と見ることができなかった夫のジムを思って、彼のために作られたかのような白金の時計鎖を買ったデラだったのですが……
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
H・P・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft、1890 - 1937)はアメリカ合衆国の作家です。本シリーズの①近現代日本文学編にて紹介した宮沢賢治と国は違えども同じ時代を生きました。現在こそカルト的な人気を博し、夥しいまでの派生作品を誇りますが、当時はほとんど無名の作家でした。
健屋さんはテーブルトークロールプレイングゲーム、すなわちTRPGに関しても精力的に活動・交流の幅を広げています。このTRPGというコンテンツには様々な種類がありますが、その一つであり、支配的なウエイトを占めているのが、「クトゥルフ神話TRPG」と呼ばれるものです。
クトゥルフ神話。それは、ラヴクラフトがその創作物において描き出した、架空の神話体系です。彼と交流のあった作家たちや、彼の死後に活躍した人々の手によって、クトゥルフ神話をめぐる創作作品は脈々と描かれ続けています。
『狂気の山脈にて』(原題:“At the Mountains of Madness”)
健屋さんが周央サンゴさん、黛灰さんとのトリオ「ンゴ灰那」が配信にて初めてプレイした『狂気山脈』、そして「ンゴ灰那」として最後のTRPGとなった『カエラズノケン ~狂気山脈第三次登山隊の顛末~』。その元となったのがラヴクラフトの小説『狂気の山脈にて』です。原題は『At the Mountains of Madness』で、1936年に発表されました。
南極の黒い山脈にてミスカトニック大学の探検隊の前に現れた「古のもの(Old Ones)」の覚醒と反撃を描きます。
【CoC狂気山脈】狂気!ンゴ灰那山脈!【前編】PL:周央 サンゴ、黛 灰、健屋 花那
配信日:2021年3月22日
【CoC狂気山脈】狂気!ンゴ灰那山脈!【後編】PL:周央 サンゴ、黛 灰、健屋 花那
配信日:2021年3月23日
ラヴクラフトってどんな人?
H・P・ラヴクラフトはアメリカ合衆国のロードアイランド州プロヴィデンス生まれ。小さな頃から天文学や地理学といった自然科学の分野と、神話、古典といった人文学の分野に興味を持っていた彼は、独自の世界観をその作品にて表現します。パルプ・マガジン(※1)『ウィアード・テイルズ』で活動し、彼の描き出す恐怖・狂気は、「コズミック・ホラー」と呼ばれています。『狂気の山脈にて』のほか、ラヴクラフト及びクトゥルフ神話を代表する短編『クトゥルフの呼び声』(※2)、「窓に!窓に!」がインターネット・ミーム化している『ダゴン』(※3)など、多数の作品を世に出しました。
その死後には「教祖」と言って差し支えないほどの存在となり、クトゥルフ神話を扱う作品においてラヴクラフト本人が登場させられることも。
ラヴクラフトの思想的な部分に関しては、彼の特定の人種に対するまなざしに関して、センシティブな話題が提起されることもあります。しかし、ラヴクラフトが生きた当時のアメリカでも1896年に最高裁判所がルイジアナ州の列車内のアフリカ系アメリカ人の隔離を合法とするなど、公的にも差別が行なわれてきました(このときはラヴクラフトもまだ幼かったのですが)。個人的にはラヴクラフトがどうというよりも、彼の生きた社会がそのようであったとも思えるのですが、話がそれるのでここまでにとどめます。
ラヴクラフト:脚注
(※1)パルプ・マガジン
安価かつ大衆向けの雑誌のこと。ラヴクラフトの作品を掲載していた『ウィアード・テイルズ』はその中でも怪奇小説や、SF、ファンタジーなどの専門誌です。
(※2)『クトゥルフの呼び声』
原題は『The Call of Cthulhu』。1926年発表。
海底都市ルルイエに眠るクトゥルフたちに遭遇した人間の恐怖を描く作品です。
(※3)『ダゴン』
原題は『Dagon』。1919年に発表された短編です。ラヴクラフトによる初期の作品として知られます。ダゴンとは古代パレスチナでペリシテ人が信奉していた神性の名です。
ルイス・キャロル
ルイス・キャロル(Lewis Carroll、1832 - 1898)はイギリスのオックスフォード大学で教鞭を執っていた数学者。本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン (Charles Lutwidge Dodgson)といいます。代表作である『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス(※2)』の主人公アリス。彼女は、ルイス・キャロルが属していた学寮の学寮長の娘アリス・リドル(Alice Liddell)がモデルとされています。
『不思議の国のアリス』
きらきら、ひらり、こうもりさん! おまえは一体何してる?
この世界の上を空高く、お盆のように飛んでいく
きらきら、ひらり――(※1)
演劇ステージ 無料パート【#にじフェス2022_Day1】
(上演日:2022年10月1日)
2022年10月1日および2日に開催されたにじさんじフェス2022。そのメインステージのひとつ「演劇ステージ」にて健屋さんが参加しています。その演目が『不思議の国のアリス』。アリス役は物述有栖さん、チェシャ猫役は文野環さんという、じつに納得のキャスティングです。健屋さんは「少女」の役で出演されています。筆者は現地で観てきました!
さて、『不思議の国のアリス』は1865年に刊行された児童小説。原題は『Alice's Adventures in Wonderland』。ディズニー映画が世界的に有名ではありますが、「なんでもない日ばんざい!」の歌など、原作小説にはなかった要素も多いです。
ルイス・キャロル:脚注
(※1) 「きらきら光るこうもりさん」
マザー・グース(童謡)である「きらきら星(Twinkle, twinkle, little star)」の替え歌。原文では「Twinkle, twinkle, little bat~」となっています。「きらきら星」自体がフランス語の歌曲の替え歌であるため、この「きらきら光るこうもりさん」は「替え歌の替え歌」であるといえます。ここに掲げた文は拙訳。
(※2)『鏡の国のアリス』
原題は『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』。『不思議の国のアリス』の続編で、本作から7年後にあたる1871年に出た作品です。ハンプティ・ダンプティが登場するのもこっち。
アーサー・コナン・ドイル
イギリスで最も有名な作家といえば、間違いなくアーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Conan Doyle、1859-1930)はその1人に数えられるでしょう。しかし、コナン・ドイルが書いたのは、シャーロック・ホームズを主人公とした探偵小説だけではありません。チャレンジャー教授らが絶滅生物がまだ生きているという「失われた世界」を冒険する小説『失われた世界(The Lost World)』などのSFのほか、歴史小説なども書いています。
とはいえ、今回紹介する短編はおなじみシャーロック・ホームズシリーズから。
瀕死の探偵(The Adventure of the Dying Detective)
【ラジオ】すこやか放送 第三回 ゲスト:シェリン・バーガンディ【健屋花那/にじさんじ】
(配信日:2019年10月11日)
健屋さんがデビューしてから1ヶ月も経たない頃、健屋さんによるラジオ企画「すこやか放送」第3回にて、「オススメの探偵小説はありますか?あるいは好きな某探偵漫画で好きなお話を教えてください」という旨のお便りを送ったところ、健屋さんから紹介して頂けた小説が『瀕死の探偵』でした。
ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー
ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(Gottfried August Bürger、1747-1794)は、ドイツの詩人です。ビュルガーそのものは日本においてもそれほど有名ではないようで、Wikipediaにも2024年3月現在において日本語版の記事はなく、岩波書店から出版されている『ドイツ文学案内』(1963年)にも載っていませんでした。そんな詩人と健屋さんのどこに接点があるんだ!?とお思いの方もいるかと存じますが、今しばらくお付き合いくださいませ。
ほら吹き男爵の冒険
責務とは、愛国者や軍人、つまりは勇敢なる者にとってきわめて広い意味を持つ、ずしりと重い言葉なのです。大勢の暇な御仁にとっては、くだらないたわごとでしかないでしょうが。
ビュルガーの生きた時代にあたる18世紀。ほぼ同時代に実在したプロイセンの貴族に、カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フライヘル・フォン・ミュンヒハウゼン(Karl Friedrich Hieronymus Freiherr von Münchhausen、1720-1797)という貴族がいました。すなわち、ミュンヒハウゼン男爵です。彼はロシア帝国の軍人としてオスマン帝国との戦いに従軍します。武勇伝などには尾ひれがつくものですが、ミュンヒハウゼン男爵の話も盛られに盛られ、民話や風刺の要素も加わって、「ほら吹き男爵」の物語たちができあがりました。その中でも特に知られているのが、このビュルガーの手による作品です。本作は『ほら吹き男爵の冒険』と呼ばれますが、ドイツ語の原題は“Wunderbare Reisen zu Wasser und Lande: Feldzüge und lustige Abenteuer des Freiherrn von Münchhausen”(『水陸への素晴らしい旅:ミュンヒハウゼン男爵の出征と愉快な冒険』)です。長いですね。
この「ミュンヒハウゼン」というワードにピンと来る方も多いかもしれません。
【#shorts】声に出して読みたい医学用語シリーズ【健屋花那/にじさんじ】(公開日:2023年4月7日)
健屋さんの投稿したshortsのひとつ「声に出して読みたい医学用語シリーズ」では、その一つに「代理ミュンヒハウゼン症候群」が挙げられています。
すなわち、保護者が子どもの病気や怪我の状態を意図的に仕立て上げる精神疾患(こう書くと加害行為ばかりを想起させますが、医師に子どもの症状について虚偽の申告をしたり、検査の際、尿などの検体に異物を混ぜたりということもある模様)をいいます。自分自身の病気や怪我の状態をつくり出すものを「ミュンヒハウゼン症候群」といいますが、自分ではなく子どもなど近親者の傷病をつくり出すことから疾患名に「代理」とつきます。
この疾患名の「ミュンヒハウゼン」こそ、『ほら吹き男爵の冒険』の主人公ミュンヒハウゼン男爵が元になっています。
ちなみに『ほら吹き男爵の冒険』の作者名は先に紹介したとおりG.A. ビュルガーですが、閉塞性血栓性血管炎の異称「ビュルガー病」のビュルガーはまた別のビュルガーさんであり、無関係です。
『ほら吹き男爵の冒険』は、ワニとライオンに挟まれ、返り討ちにした話、戦の武勇伝など様々な「ほら話」が語られ、その舞台は海の中や地底にもひろがり、なんと月にまで進出します。
ドイツ語で「男爵」は「Freiherr(フライヘル)」といい、「Frei(フライ)」が「自由(※英語の“free”に相当)」、「Herr(ヘル、あるいはヘァ)」が「男性(英語の“Mr.”に相当)」を意味し、即ちその語源は「自由身分の男性」となります(※1)。『ほら吹き男爵の冒険』の男爵の話は荒唐無稽で自由闊達。まさに「Frei」な「Herr」であり、彼の爵位「Freiherr」にも妙な説得力があります。
セルバンテスの『ドン・キホーテ』やダンテの『神曲』、シャルル・ペローの寓話集などの絵でも知られるギュスターヴ・ドレが挿絵を描いており、光文社古典新訳文庫などでも、幻想的な絵、ユーモラスな絵などを楽しむことができます。個人的なお気に入りは、太陽が凍傷にかかっている絵です。
ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー:注釈
(※1)君塚直隆(2023)『貴族とは何か ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮社)p.72
劉 慈欣
中華人民共和国のSF作家です。日本語読みだと「りゅう じきん」。英語表記だとLiu Cixin。
この名前だけを聞いてもピンと来ない方も多いかもしれません。しかし、次に紹介する小説の名前は、お近くの本屋さんでも見たことがあるという方が多いのではないでしょうか。
三体
劉 慈欣の代表作が、『三体』です。「異星人の侵攻」と聞くと、よくあるSFであるかのように思われるかもしれませんが、本作はそれだけで語れるものではなく、古典力学の三体問題を基盤とした本作には、例えば登場人物の下地に「文化大革命」があり、環境問題が提起されていたり、VRゲームが登場したりと、様々な要素が科学的に、ダイナミックに描かれた大作である印象を受けます。
本作は2022年にアニメPVが公開されており、それについて健屋さんがツイートしています。
『三体』日本語字幕版アニメPVが公開されたそうです!読み応えもあってめっちゃ面白いって噂なんだけどみんな知ってた!?「三体星艦隊は400年後に到着予定、人類の運命は...!?」って聞いたんだけど……一体どういうことなんだろう……気になります👀#PR #三体 pic.twitter.com/jVlyXwvNEQ
— 健屋花那💉💘歌ってみた「解氷」公開 (@sukosuko_sukoya) October 3, 2022
健屋さんを連想させる作品
おまけに、健屋さんが言及したり、好きであったりするわけではないけれど、健屋さんを連想させる作品を3作ほど紹介します。
アルトゥール・シュニッツラー『夢小説』
彼はマリアンネをより強く抱き締めたが、
興奮など微塵も感じなかった。むしろ艶のない乾いた髪や、
しめっぽい服の甘ったるい匂いに軽い嫌悪を抱いていた。
健屋さんが何者かと問われたときに、「夢女子」と答える方も少なからずいらっしゃると思われます。
さて、前々回の記事において健屋さんの書いた夢小説について紹介しました。夢小説とは多くの場合、特定のキャラクターとオリジナルキャラクター(「夢主」ともいう)の交流を描くジャンルです。この「夢小説」というものは専ら日本のサブカルチャーにおいて存在しているのか……?と思いきや、ドイツ語文学の世界に『夢小説』という題の作品が存在しているのです。
本作は、オーストリアの作家シュニッツラー(※1)が1926年に発表した作品。原題はドイツ語で『Traumnovelle(トラオムノヴェレ)』。『Traum』が「夢」で『Novelle』が「短編小説」という意味ですが、「夢小説」は「夢小説」でも、例えばハヤカワ文庫の『夢がたり』や文春文庫の『夢奇譚』という邦題が原題のイメージをよく捉えたタイトルではないかと思います。
主人公は医師のフリドリン。彼は診療のために夜のウィーンへ。しかし、そこで浮気心のままに、様々な夢か現(うつつ)かも曖昧な恋の火遊びの機会に遭遇します。しかし、どのアバンチュールも実ることのない夢物語。結局、フリドリンは妻のアルベルティーネに全てを告白するという物語です。
ちなみに、本作はスタンリー・キューブリック監督の映画『アイズワイドシャット』(1999年)の原作でもあります。
エミール・ゾラ『パリの胃袋』
真っ当な奴というのは、なんて悪党なんだ!
エミール・ゾラは自然主義文学を代表する、フランスの作家。代表作は『居酒屋』です。
胃袋といえば、健屋さんの胃「すとまっくん」。「パリ」といえば、クイズ大会にて健屋さんが「『ともえざと(巴里)』は『パリ』」と答えたことを想起します。しかし本作の蓋を開けてみると、実は健屋さんのイメージとは似ても似つかない内容です。
原題は『Le Ventre de Paris』。直訳すれば「胃袋」というよりも、『パリの腹』です。
エミール・ゾラによる『ルーゴン=マッカール叢書』(※2)と呼ばれる作品群を形成する1作品で、19世紀パリの「中央市場(レ・アル)」が舞台です。ここは欲望の坩堝(るつぼ)。市場で売られるために殺された動物の血と内臓の生臭さが漂います。
主人公は、無実の罪でギニアへ流刑となった夢想家フロラン。彼はギニアから逃亡した先のパリで働き、市場の人々と交流を築いていくものの、政府への反乱の計画を立てていたという咎(とが)により逮捕されてしまうというのが物語の流れです。
本作には度々「honnête(オネット)」という言葉が登場します。「正直な」「まっとうな」という意味です。『パリの胃袋』における「honnête(オネット)」には、「真っ当に」生きる人々の「自分が平穏無事に暮らせればそれでいい」という精神が込められています。朝比奈弘治の解説するところの、「生活の安定を願うあまり外の世界には無関心になり、他人の不幸には目をつぶってしまう(※3)」という「善良な市民」の性質を、本作は描き出しているといえるでしょう。そんな「honnête(オネット)」さが、欲望のままに大量にモノが行き交うパリの市場を形成する人々に現れており、それこそが『パリの胃袋』もとい丸々と肉付いた『パリの腹』なのです。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』
新駅の工事場から湿った材木の匂いが強くする。
明日ブーヴィルには雨が降るだろう。
邦題にある『嘔吐』とは健屋さんの代名詞ですが、原題は『La Nausée(ノゼ)』。これは、日本語に直訳すると「吐き気」の意味です。刊行は1938年。日記の形式を取る小説です。
主人公は、アントワーヌ・ロカンタンという孤独な男で、フランス革命の時期を生きた人物ド・ロルボン侯爵の研究のためにブーヴィル市内の図書館に通っていました。そんな彼はある日から、事あるごとに、幾度となく手の中に「吐き気」を感じるようになります。あるとき、ロカンタンは公園のベンチで、マロニエの根を見て吐き気に襲われます。その際に、彼は吐き気の正体に迫る「啓示」を受けるのです。すなわち、存在しているすべてのモノ――それは人間も含めて――は、そこに存在している理由、根拠など微塵もないということ。そこに「モノ」が存在しているだけで、「本質」はないということでした。
本作を書いたジャン=ポール・サルトル(※6)は実存(じつぞん)主義(しゅぎ)(Existentialisme)の作家です。実存主義はもともと哲学分野の言葉で、「すべての物事には本質・真理があるんだよ」という古代ギリシャ以来の伝統的な考え方を批判するものです。キェルケゴールやカール・ヤスパース、フリードリヒ・ニーチェといった人々が築き上げてきた流れがあります。したがって「実存主義とは?」ということについて講義するにはかなりの分量を必要とします。ここではそれについては割愛せざるをえませんが、興味のある方は齧(かじ)ってみてはいかがでしょうか。
脚注
(※1) アルトゥール・シュニッツラー(1862~1931)はオーストリアの作家。
『夢小説』の主人公フリドリンと同じくウィーンの医者であり、きめ細やかな性愛を巧みに描き出す作家でした。代表作は『輪舞』(1900年)や『恋愛三昧』(1895年)など。
(※2) ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart)は全20巻からなる作品群。
エミール・ゾラが1871年から1893年にかけて取り組んだいわばライフワークです。『パリの胃袋』のほか、ゾラの出世作である『居酒屋』もその1つです。作品で描かれているのは、1850年から1870年頃にかけてのいわばナポレオン3世による第二帝政の時代。そして、この時代を生きるルーゴン=マッカール家の人々の発展と凋落(ちょうらく)です。フランスの社会に生きる、あらゆる社会層の人々を描き出した作品群としても優れています。
(※3) 引用元
エミール・ゾラ 作、朝比奈弘治 訳(2003年)『〈ゾラ・セレクション〉第2巻 パリの胃袋』(藤原書店)p. 442より。
(※6) ジャン=ポール・サルトル(1905~1980)はフランスの作家および哲学者。
『嘔吐』以外の代表作としては『存在と無』(1943年)が挙げられます。人間は自由であるものの、「自由という刑に処されている」という考えを述べた著書です。健屋さんも時折「自由には責任が伴う」ということを口にしますが、それに通じる主張といえましょう。
おわりに
以上、「健屋花那×文学」というコンセプトのもと、全3回に分けて何人かの作家とその作品を紹介して参りました。読者の皆さまがお好きな作品はございましたか?
「文学」と聞くと「難しい」と感じて身構えてしまう人も多いかと思います。むろん、難しい文学作品はこの世に沢山存在します。この「難しい」という印象の中身は、人やケースによって様々であると思います。内容が哲学的で難しい。作品に込められたメッセージや意味を読み取るのが難しい。自分が生きている国や時代の文化・考え方とかけ離れているから難しい。あまりにも長くて難しい。「難しい!」と思うと片手サイズの文庫本でも、それがそびえ立つ壁のように感じてしまうものです。実は意外と読んでみると思ったよりも理解しやすくて、面白くさえあるという場合もままあるのですが、なかなか「難しい」ものには手が出ないものです。
しかし実際には、自分にとって身近な人や事柄に関連したところに、「文学への扉」というものは存在しているのです。今回は「健屋花那」というカテゴリから、扉の取っ手をお示ししてみたつもりです。『嘔吐』のサルトルなどは、数百ページにも及ぶ大著を世に出した作家ですが、健屋さんの朗読に関係する宮沢賢治、オー・ヘンリー、小川未明の作品は短く、「本なんか読んだことない!」という方にも読みやすいと思われます。健屋さんに関係する文学の紹介を通して、健屋さんの活動を振り返ると同時に、読者の皆さまにとって何か1作品でも、新たな文学作品への入り口になったり、文学作品を読み返したり、というようなことのきっかけになれば嬉しく思います。
それでは皆さん、明日も素敵な読書ライフを。