見出し画像

『姑獲鳥の夏』と約束したこと

姑獲鳥うぶめの夏』を読んでいる。京極堂のシリーズ第1弾。

いつかそのうち、と思っていた京極堂ワールドの門を叩いたのは7月初旬の父の十三回忌に帰省をした頃のことである。移動時間もたっぷりあるし、法要の各種待ち時間もたっぷりあるであろうし(法要のスケジュール感を毎回すっかり忘れてしまうのはどうしてだろう)、京極堂に入門するのにとてもいいタイミングのような気がした、のだ、あの時は。文庫なのに千円を超えるのか、と驚きながらもAmazonで事前に買い求め、カバーをかけてバッグに入れて帰省へ出発!

行きも帰りも移動時間はこんこんと眠り、帰省先では法要前日の準備(バタバタ)、法要当日(バタバタ。各種待ち時間などない。)、最終日はわたしの腕時計が行方不明となり朝から家族総出で家中を捜索(ごめーん)、『姑獲鳥の夏』を読む暇なし。

「帰ってくるたびに腕時計を探しているような気がするね。」と笑う母(ほんとうは呆れていると思う。わたしが反対の立場ならイライラせずにいられる自信がない。母は偉大である。)。そうなのだ、わたしは帰省のたびに腕時計探しという世にも無駄なミッションを創り出し、捜索活動に家族の貴重な時間を費やさせる放蕩娘なのである。たいてい見つけ出すのは母で、それはわたしが一度すでに捜索した場所だったりする。そうそう、前回は洗面台の棚のポケットから母が奇跡的に見つけ出したのであった。見つけ出した腕時計を高らかに掲げて「あったよー!」とやってくる母が金メダリストのように輝いて見えたものだ(オリンピックの余韻が冷めず記憶を盛大に盛る。もう誰もオリンピックの話をしていなくて寂しい。)。うっかり者の娘のおかげで母の探し物スキルが磨かれてゆく。みんなでわたしの腕時計を捜索することで、なんとなく一体感というかチームワークみたいなものが育まれているような気もするし、いつかの夏の思い出のひとこまとしていつか誰かの走馬灯を彩るかもしれないので結果的に良しとしたい。実家のリフォーム計画が進んでいるので、どこかにわたしの腕時計置き場を設けてもらえないかと密かに願っている。(それでも失くすに3,000点!)

結局『姑獲鳥の夏』はバッグに入れたまま帰省中は一度も開かれることなく(いつもバッグの重さに驚かれるのにはこういう秘密があったりする)、戻ってきてから少しずつ読み進めてはいるものの、暑さのせいか集中力が続かず、ちびちびにしか進まないので読み始めてから1ヶ月半も過ぎた本日現在、まだ半分ほど(厚さ2.5㎝メートル中、約1.3㎝。630ページ中327ページ。)しか読めていないのである。嗚呼。せっかく意を決して入門したのに破門されてしまう。

さて、本日お伝えしたいことはここからである(時間泥棒)。

事前情報としては知っていたのだけれど、京極夏彦先生の作品は、ひとつの文がページを跨ぐことがないように構成されている。それはつまり、どのページを読んでいても中断することを躊躇しなくてよい、ということを意味する。普段読書をする時は、なにがなんでも区切りのいいところまで読んでから中断したいので、キリよく終わっているところまで自動的に読み進めることとなる。そうすると読書ハイになって、10ページでも100ページでも、ボリュームによっては最後まで時間を忘れて一息に読んでしまう。

ところが、京極作品である。2ページ読む。お茶を飲む。8ページ読む。ハンドクリームを塗る。6ページ読む。トイレに行く。ハンドクリームが流れた。もう一度塗る。10ページ読む。横になる。あっという間に一週間が過ぎる。16ページ読む。観葉植物に葉水をする。あっという間に一週間。12ページ読む。洗濯を干す。2ページ読む。お茶を飲む。あっという間に一週間。という感じで中断に中断を重ね、ちっとも進まないのだ。いや、ちっとくらいは進んでいるのだけれども、なんだかゴールが果てしなく遠いのである。今後も、ちょこちょこ中断をはさみながら読み進める所存であるので、これまでのペースから推し量るに、読み終わりの目安は9月末、もしくは10月初旬となる見込みである。気がつけばすっかり秋、破門の季節だ。

京極作品、中断しやすくて最高だ(?)。どのページでも中断できるとはいえ、見開きの右ページだけ読んで中断してしまうと、栞を挟んで次に読み始める時に(それは5分後かもしれないし、一週間後かもしれない)どちらのページから読み始めるか忘れてしまうに決まっているので、見開きの左のページまで読み切って次に読み始めるページに栞を挟んで中断するというのが、わたしと『姑獲鳥の夏』とのたったひとつの約束である。

前回は洗面台の棚のポケットから母が見つけ出したわたしの腕時計、今回、どこから見つかったと思いますか?答えは、叔父の家のウォーターサーバーの上。そうそう、前日に訪ねた時にキッチンで手を洗おうと思って腕時計を外して置いたのだった。それはさすがの母でも見つけられないはずだわ。時間が迫っていたので「見つかったら送るからね」と慰められて行方不明の腕時計は見つからないまま帰宅の途につき、もうすぐ自宅にたどり着くというタイミングで「見つかったよ」とLINEで報告を受けた次第である。一週間後に所用でそちらに行くからという姉が届けてくれて、腕時計と無事に再会を果たした。めでたし。

すでに2,000文字を超えている!今日もとんでもない時間泥棒であることをちょっとだけ反省しながら『姑獲鳥の夏』を2ページだけ読もう。

書いているうちに見つかると信じて書いてみたのに、本日お伝えしたいことなど何もなかった。そんな日もある。今日も一日お疲れさまでした。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集