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美しい鳥籠 


「今日は、このかごの中にさぎを入れました」
 テーブルの上に置かれた美しい鳥籠とりかご。その籠を見つめながらアルベルは話をする。覚えたての日本語で、ゆっくりと。 
「昨日は、白鳥だったわね」
 私は微笑みながらアルベルの髪を撫でた。

 小さな鳥籠には、白鳥も鷺も、もちろん入らない。鳥は、いない。銀色の鳥籠、その屋根や扉には、花型の繊細な透かし彫りが施されている。

「あっ、今、さぎが羽を、羽をあける」
「広げたわね」
 私はアルベルの日本語を助けた。
「うん、広げた。きれいです」
 窓から入る陽の光が、アルベルの頬で小さくちらちらと踊っている。アルベルの視線は、鳥籠の中で羽ばたく鳥を見ているかのように、上下左右に移動する。
「ナオミにも、鷺の声、聞こえますか?」
 私はうなずいて、籠の中をのぞいた。

 鳥籠の底には、名刺大の紙が重なりあっている。孔雀くじゃくすずめはと、さまざまな鳥の名称が、漢字で書かかれた紙。アルベルが図鑑や辞書を見ながら書いた鳥の名称。漢字。
 その漢字に生を吹き込んで羽ばたかせる。それがアルベルのできること、アルベルだけが見える世界。
「きれいな鳥たち」
 私がつぶやくと、アルベルは鼻の頭に皺を寄せて笑った。子供らしい得意気な顔。

 母国で壮絶な恐怖体験をしたアルベルは、空想の世界に避難した。避難したまま出てこない。
 私は精神科医でもカウンセラーでもない。子供たちの食事の世話をするだけの係。
 でもアルベルは、この施設の中で、私とだけ会話が出来るようになった。
 きっかけは絵本。私が見せた絵本の『鳥』と『漢字』が、アルベルの心の中の何かに響いた。
 私は、賢いアルベルに日本語を教え、アルベルが見る世界に寄り添おうと努力した。
 可愛いアルベル。そう、私は、アルベルの、首をすくめて隠れてしまった心と、ただ手を繋ぎたかっただけだ。
 
「今日も、新しい鳥を入れました。でも、それがどんな鳥なのか分かりません。ナオミは知ってますか?」
「あら、どんな鳥なのかしら」
 私は、鳥籠の中を見た。そこには『紅葉鳥もみじどり』と書かれた紙が新しく入っていた。
「あら? アルベル、これは、鳥じゃないの。紅葉鳥はね、鳥って漢字がついてるけど」
 アルベルが首をかしげる。
「紅葉鳥は鹿なの。シカ。分かる?」
 アルベルが眉間に皺を寄せた。そして、鳥籠を見つめたまま、唇を振るわせ始める。
 私は、アルベルの表情から、アルベルが見ているものを知る。たぶん、今、アルベルの鳥籠の中では、鹿が暴れていて、鳥たちは逃げ回って、羽が飛び散っている。

「アルベル、鹿は草食よ。鹿は鳥を食べない」
 私の言葉は、パニックに陥ったアルベルの耳に届かない。
 アルベルの震えは、唇から全身に拡大していく。瞳の中心が叫び声を上げる。
「アルベル!」
 私は、鳥籠の扉を開けて、急いで一枚の紙をつかんだ。
 『紅葉鳥』と書かれた紙。私はその紙を手で引きちぎった。漢字を『紅葉』と『鳥』に分けた。

「アルベル見て!こっちは鳥」
 私はその紙を籠の中に入れた。
「こっちは紅葉。きれいな赤い葉っぱよ」
 私は紅葉と書かれた紙を手で細かくちぎって、籠の上からばら撒く。
「ほら、赤い葉っぱがひらひら」
 ひらひらひらひら。私は想像する。今、アルベルが見るものを。色づいた木々、ひらひらと舞う葉、飛ぶ鳥。平和で美しい光景。
 振り返って、アルベルの顔を見ると、さっきよりも目を見開いていた。顔は真っ青だ。
 私は、何か重大なミスを犯した。

 アルベルが、私には分からない言語で何かを叫んだ。
「アルベル? お願い、日本語で言って」
「なぜ、なぜ、紅葉鳥を、鹿を引き裂いたのですか? なぜ、鹿を殺したのですか?」
 アルベルが私を見つめて、声を振るわせながら叫んだ。その目には、恐怖と憎しみ。
 
 あぁ、私は分かっていなかった。
 アルベルの中にある恐怖のひとかけらも、アルベルが作る物語の一片も、分かっていなかった。
 アルベルの叫び声。

「ナオミ、ナオミ」
 誰かが私を呼んでいる。
 目を開けると、天井の白熱灯の光が頭の中にまで差し込んでくる。人工的な白い光は嫌いだ。目にも頭にも痛い。
 白が多い。壁も白い。今、私の名前を呼んでいる人たちも白い服を着ている。
「ナオミは、何に興奮したのかしら?」
 白衣の人たちが、私の周りで囁き合っている。
「紅葉鳥って漢字を書いた後、叫び始めたみたいです」
「紅葉鳥? 紅葉鳥って、鹿のことですよね」
「そうです。鳥じゃないんです。ナオミが好きな鳥の名称ではありません」
「鳥ではない。自分が書いた漢字が鹿だと気づいて、暴れだしたのかしら」
「たぶん」
「アルベルというのは? 泣きながらアルベルと言ってましたよね」
「さぁ、なんでしょう。全く分かりません」
「とりあえず、拘束して。インジェクション注射
 白衣たちの声が遠のく。

 あぁ、誰にも、私の物語は分からない。
 誰にも、他人の物語は、分からない。
 窓には銀色の鉄格子。鳥籠。羽。

              2023.11.9 新作




⭐︎この作品は、シロクマ文芸部さんの『紅葉鳥』というお題で書きました。が、〆切を過ぎたのと、書き出しがお題の言葉ではないので、シロクマ文芸部のハッシュタグは付けずに投稿しています🙇‍♀️


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