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クリスマスの落とし物 

 十二月二十五日、僕は、言葉を拾った。
 
 クリスマスのその日は、午後から雪が降り始めた。テレビでは、ホワイトクリスマスになってロマンチックだ、とかなんとか言っていたけれど、僕には関係のないことだった。
 恋人はいない、友達はデートの約束で忙しい、おまけに冷蔵庫が空っぽのクリスマス。
 僕は食料を買うためだけに外出した。コートのポケットに両手を突っ込んで、近所のスーパーへと俯いて歩いた。白い雪がアスファルトに溶け込んでいく様子を見ながら、積もる寂しさもこんな風に身体に染み込んでいくんだよな、と思いながら歩いていた。
 俯いて歩く僕の視線の先には、ハイヒールを履いた女性の細い脚があった。そのストッキングの薄いベージュの色を見て、寒そうだなぁ、と思ったそのとき、女性から何かが落ちた。カタンと音を立てて道路に転がった。
 反射的に、僕はそれを拾う。
 言葉だった。『死ね』という言葉。
 驚いて、前を歩くハイヒールの女性の後姿を見た。キャメル色のコート。また、カタンと何かが女性から落ちた。
 二つ目の落とし物も拾う。
 『殺してやる』という言葉だった。

 二つの言葉を拾った僕は、少し迷ってから、前を歩く女性に声をかけた。
「あの、これ、落としましたよ」
 振り返った顔を見て、あっ、と声を上げそうになった。
 毎朝、電車の中で見る女性だった。同じ通勤電車の3両目に乗る女性。名前も、どこに住んでいるのか、何をしているのかも知らない。でも、僕は、絵に描けるくらい、彼女の顔を覚えていた。
 振り向いた彼女は冷たい表情をしていて、僕を見ても、その表情を変えなかった。同じ車両に乗る僕の姿など、彼女の視界には入っていなかった、残念ながらそういうことなのだろう。
「これ、あなたのものですよね」
 僕はそう言いながら、拾った言葉を差し出した。『死ね』と『殺してやる』。
 二つの言葉は、硬くて重くて冷たかった。

 彼女は、僕の顔を見てから、僕の手の中の言葉を見て、しばらくじっと静止していた。
 雪は、相変わらず僕と彼女の周りでしんしんと落ちていく。しんしんしんと無い音を立てる。遠くからは、陽気なクリスマスソングが聴こえる。
「物騒な落とし物をする怖い女、そう思ったでしょ?」
 顔に似合わない低い声でそう言って、二つの言葉を、親指と人差し指でつまむようにして取った。そして、自分のコートのポケットに入れる。
「ありがとう」
 そう言って、踵を返して、また歩いて行こうとした。
 彼女の肩は細くて、その肩に白い雪が落ちて、キャメル色のコートに染み込んでいく。
 僕は、勇気を出して、もう一度声を掛けた。
「あの、僕と一緒に、その言葉を捨てに行きませんか」
「捨てる?」
 彼女はまた振り向いて、首を傾げた。
「僕も捨てたことがあるので。同じ言葉を」
 僕と彼女は見つめ合った。
「同じ言葉? 本当に?」
「そうです。抱えきれなくなって、捨てました」
 僕たちの横を、雪のせいでスピードを落とした車がそろそろと用心深く走る。
「そうね、もう抱えきれないから、落としちゃうのよね」
 彼女は、走り去る車を眺めていた。
「じゃあ、捨てるわ」
 僕ではなく、走り去る車に、そう言ったみたいだった。

「こっちです」
 僕は、知る人ぞ知る、燃えない言葉を捨てる場所の方を指さした。
 二人で雪道を歩いた。僕は彼女の一歩前を歩き、ときどき振り向いて、ちゃんと彼女がついてきているか確かめた。
 街には人が溢れている、道行く人々は『楽しい』『うれしい』『幸せ』などの言葉を抱えている。抱えきれないほどの『ワクワク』をぱらぱら落としながら歩く人もいた。とってもとっても、メリークリスマスだった。
 そんな街を、僕は黙って歩く。ポケットに『死ね』と『殺してやる』を入れた女性を連れて。

 言葉の捨て場所は、賑やかな商店街から細い道に入って、しばらく歩くと見える小さな空き地にある。元は井戸だったらしい。上部は鉄製の蓋できっちりと閉められている。『燃えない言葉の処理場』と小さな看板もあった。
「ここです」
 僕は錆びた蓋を持ち上げて、彼女に言った。蓋を開けると穴が地下にまっすぐに伸びている。穴の先は暗くて、どれくらいの深さがあるのか分からない。
 彼女は、ポケットの中から『死ね』と『殺してやる』を出してきて、穴の中にそっと入れた。二つの言葉は音もなく落ちていった。僕たちは、身を乗り出して、穴の中の暗闇を見つめた。
 しばらくすると、彼女は一歩下がって、身体を揺すった。すると、彼女の身体からいっぱいの言葉がガチャガチャと落ちてきた。僕が読めたのは『うそつき』『裏切り者』『死にたい』だった。
 彼女はそれらの言葉を拾い、次々と穴の中に捨てていった。黙ったまま、真剣な顔をして捨てていった。僕はその横顔を、毎朝電車の中でしているように、そっと見つめた。
 穴に落ちて行く言葉は、音を発しない。
 僕は、彼女が全て捨てたのを見届けてから、錆びた鉄の蓋を閉めた。
「この穴、どこに続いているのかしら」
「さぁ、どこでしょう」
「なんで、この穴じゃないと駄目なのかしら」
「んー、どうしてでしょう。跳ね返ってこないから?」
 彼女は、クスッと笑った。
「何も知らないのね」
「でも、捨てたあとの、気持ち良さだけは知ってます」
 雪が積もり始めた。
 彼女は、まっすぐに僕を見る。
「どこかで会ったこと、ある?」
 僕は、もう少しで雪の中を駆け回りそうだった。犬のように。
「電車で。毎朝です」
 彼女は、思い出そうとするような表情をした。でも、もともと視界に入っていなかった僕の姿を思い出せるはずはない。
「名前を教えて」
 初めて見る笑顔で、そう言ってくれた。僕は自分の名前を告げて、彼女の名前も教えてもらい、このチャンスを逃すまいと頑張った。
「温かいお茶でも飲みに行きませんか?」
 
 二人で並んで歩き始めた。来た道を戻る。
 歩きながら、僕はポケットの中に大切にしまっていた言葉を取り出して、横にいる彼女に手渡した。
『メリークリスマス』
 指先が触れたその拍子に、僕の身体から『どきどき』があふれ落ち、道路にちらばった。どきどきどきどきどきどき。
 それを見た彼女が、クスッと笑ったから、ますます僕の中から、溜め込んでいた言葉が落ちる。
『電車の人』『可愛い』『好き』
 彼女は目を見開いて、本格的に笑い始めた。
 そして、僕が落とした言葉を、今度は彼女が拾ってくれた。


参加させていただきます。
お題→ #十二月

⭐︎インスタに投稿していたときに書いた作品『落ちた言葉』を改題&いろいろと修正しました。もう三年前になるんだ!とひとりで驚いてます。

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