橋本治の後期雑文を読む3

引き続き2010~2011年の『中央公論』の連載から。
2010年4月号より「デパートを失う街」
京都の四条河原町の阪急と、東京有楽町の西武デパートが閉店になるという。「有楽町マリオンという形で親しまれて来た、有楽町西武デパートが----」という言われ方をしているのを聞くと、「そうか、親しまれてたのか」と、自分と世間のあり方のギャップを感じる。1984年に「有楽町西武がオープン」という話を聞いた時に、私は「え?なんでそんな余分なものを造るの?」と思ったりもしていたから----。
私にとって、「盛り場」を定義するものは、「デパートがあって洋画のロードショー館があるところ」だった。更に、「屋上に遊園地があり、その下に大食堂があり、広いオモチャ売場がある、総合商業施設のビル」だった。つまり、デパートというのは、「買物をするところ」であると同時に「ファミリー向けの娯楽施設」でもあった。この「ファミリー向け」というあり方が揺らいでしまうと「デパートの危機」が訪れるというのが私の考え方で、1984年オープンの有楽町西武は、「ファミリー向け」というデパートのあり方が揺らいでしまった後の時代のものである。
「盛り場」という言葉がまだ生きていた時代には、デパートが「ファミリー向けの娯楽施設」で、洋画のロードショー館は「街に向けられた先進文化の発信基地」だった。ロードショー館のない街は、いくら人出が多くても、「格落ちの二流」という感じがした。街にそういう格があった時代、更に格上の街とは「大きな劇場のある街」だった。
築地に歌舞伎座、日比谷に東京宝塚劇場を持ち、真ん中の銀座通りにデパートが並ぶ銀座は、その点で日本一の格式を誇る盛り場で、なくなってしまった日本劇場は、そこにあってレビューを上演する劇場だった。私にとって、そういうものが存在するのが「文化のある街」で、やがてバブル経済がやって来る時期の1984年には、その劇場がなくなり、ロードショー館はビルの最上階に上げられ、子供のためのオモチャ売場や大食堂がない、ワンランク上の「高級商業施設」であるようなデパートが出現する。経済活動は盛んになって、そこで「文化」と「ファミリー」は、どこか隅の方に押しやられる。
やがて街の中心部にあったデパートは寂れて行く。それは街の中心部にあって「文化とファミリーの共生」を成り立たせていたものの消失でもある。

2010年7月号より「本の未来を考える」
iPadが発売された今年、「紙の本はなくなっちゃうんじゃないか」と、出版関係者は大騒ぎをしていたというような話だったけれど、実際に聞いてみたら「そうでもない」とも言う。事態への対処のしようがないから、別にたいした「衝撃」でもないのかもしれないと、相変わらずパソコン系統のものを所持していない私は勝手に思うし、「もうめんどくさいから、みんな電子書籍化しちゃえばいいんじゃないの」くらいのことも思う。
大体、本が電子書籍化されて、売れるようになるんだろうか?そもそも「本が売れない」という現実があるのに。私は、そもそもコンピューターと本は、世代間対立のような相性のよくないもんじゃないかと思う。初めはそうでもなかったのに、いつの間にかそういう方向に走り始めちゃったんじゃないのかと。
一時は、文庫本というものが「本のネット上の収容」に近いようなあり方をした。でも、新刊本の文庫化のサイクルが早くなると同時に、「文庫化された本がさっさと消えて行く」という事態も生まれた。つまは「一時売れればいい」で、更に勘ぐれば、「一時、本という形を取って、そのステイタスを確保しさえすればそれでいい」と考えられるようになったんじゃないだろうか?これは、本が消耗品になるということである。
極端なことを言ってしまえば、本というものは「ある時代を生き抜いた老人」で、「もう寿命なんだからどっかに片付いててもらえばいい(らしい)。その老人の真似をする人間も、もう時代遅れなんだから----」というような気がする。本への「畏敬」の裏には、「憎悪」だってあるかもしれない。

2010年9月号より「3Dと人類の未来」
ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』が大ヒットで、映画の興行収入の記録を書き換えるのも時間の問題らしい(と思われていたがもう書き換えた)。昔風に言えば「飛び出す映画」の3Dである。「これで人類の未来はどうなるんだろう?」と、私は大袈裟なことを考える。
ハリウッドが3Dに本腰を入れ始めたのは、「テレビでは出来ないこと」で、「割高の料金が設定出来る」ということでもあるらしいからで、「普通の映画が不振だから、映画を見世物にしよう」なんだろうと思われる。
私は別に、映画が見世物化してはいけないと思わない。60を過ぎても私の見る映画は「CGを使って大量の火薬が爆発する内容のない映画」ばかりだから、3Dにはまってもいいはずだと思うのだが、どうもそうならない。私は、自分の方から画面の中に入って行きたいだけで、向こうから画像に飛び出して来てもらいたくはないのだ。向こうからやって来られると、取捨選択の権利が奪われて、げんなりする。
子供の頃の私はそうではなかった。「どうして絵が飛び出して来ないんだろう?」と思っていたのだが、「かつての自分はなぜ画面が3Dになっていないことに不満だったのか?」を理解した。つまるところ、頭が幼稚で、「見て学ぶ」という能力がまだなかったのである。
自分と対象との間に距離があれば、「考えて対象を近づける、考えて対象に近づく」ということが必要になる。横着でわがままで思考能力がないと、「考える」が面倒になって、「そっちから来いよ」という横柄な態度をとるようになる。子供の私はそういう生き物だったので、「3Dがはやる」ということは、昔の自分みたいなわがままで横着なガキだらけになる----その需要に合わせるということになってしまうのではないかと思う。「人類の未来はどうなるんだ?」と不安がるのはそのためなのである。

2010年11月号より「人はなぜB級グルメを求めるのか」
用があって郊外の住宅地へ出掛けた。駅舎にショッピングセンターが併設されているようなところではない。駅前には小さな商店街がある。いわゆる「シャッター通り」とは違う、昔ながらの駅前である。そこに日本そば屋があって中華料理店があった。
帰りにその中華料理店に入った。私にとっては、もうそういう店が珍しい。今や、そういう店がどんどん減っている。私の生活圏に、そういう店はないに等しい。その日に入った店のメニューにはジャージャー麺があって、嬉しくなって頼んでしまった。帰って来たら、テレビでB1グランプリのニュースをやっていた。
日本全国から地方の「B級グルメ」と言われるものが集まって、日本一を決める。第5回目となるその日のB1グランプリ会場にやって来た人間は40数万人だという。「これはなんだ?」と思ったのは、きっとその少し前に食べたジャージャー麺のせいだろう。
B1グランプリで上位になる食べ物には、ある共通点がある。戦後の一時期-----昭和の20年代から30年代の初めにかけて、まだ貧しくはあったけれども「町」というものが健在だった地域に生まれたささやかなご馳走だったということである。
A級グルメというのは、中央集権的な味だ。B級グルメのBは「ビンボー」にも通うBだろう。中央集権的な基準からすれば「貧しい」かもしれない。しかし、中央集権的な画一性からはずれたところで健在だったローカリティは、戦後という新しい時代をそれぞれにアレンジして定着して行った。
グローバリズムで大変なことになっている日本人は、どこかで昭和30年代の日本の味を求めている。「全国共通のローカリティ」というものを今の日本人が求めているのは、興味深い。

つづく






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