橋本治の後期雑文を読む5
引き続き『中央公論』の連載
2011年9月号より「なでしこジャパンと日本人の生き延び方」
なでしこジャパンが女子のサッカーワールドカップで優勝したことは、我々日本人が忘れていた「日本人の行き方の原則」を思い出させてくれたように思う。
まず、「人から注目されなくても気にせず、自分のなすべきことに集中する」である。次に、「貧しくとも、自分になすべきことがあれば、貧しさはマイナス要因にはならない」で、もう一つ、「自分のなすべきことは"なすべきこと"なのだから、決して諦めない。悲愴感を持たず、それをする自分を否定しない」である。こういう「貧乏人のがむしゃらなストイシズム」みたいなものが日本人の原動力だったことを、日本人の多くが忘れてしまったことが問題なのだ。
日本のスポーツマスコミは依怙贔屓で、ほめ殺しをもっぱらにしているようなもんだとしか思えないから、マスコミが声を大にして「頑張れ!」と言われて国民的ヒーローになった人間を見ると、「ああ、じゃあ負けるな」と思ってしまうようになった。
あまり批評能力の高くない人に持ち上げられるのはかなり危険なことで、しかも、あまり批評能力の高くない人の声は一般化しやすいので、すぐに大合唱になってしまう。スポーツ選手に限らないけれど、あまり実のないスターの知名度優先というのは、文化を衰弱させるポピュリズムの典型みたいなもんだろう。
逆境に男女差はなくて、その逆境を当たり前に引き受けて、自分で引き受けた以上へんな悲愴感も持たずにいるということが、「世界に冠たる、そしてあまり目立たない日本人」になる秘訣のような気がする。
2011年11月号より「SMAPを呼んで中国政府はどうしたかったんだろう」
少し前、韓流ドラマやK-POPが怒濤のように押し寄せて来ている状況を思って、「これは文化侵略の一種で、19世紀的に言えば阿片戦争になる一歩手前の状態なんじゃないだろうか」と、ちょっと大袈裟に考えてみた。
そんなことをぼんやり考えていたら、今度はSMAPの北京公演というのがあって、かつての阿片戦争の本場は「外来文化の流入」をどう考えているのだろうかという気になってしまった。
中国でもやっぱり韓流ブームはあるんだそうな。そして反日であると同時に日本への憧れもある。韓国や日本から輸入される文化に対応するような中国製文化はまだそう発達はしていないだろうから、中国は韓国と日本の両方から「異文化侵略」のような攻勢をうけている。
ショービジネスとしての洗練度とか完成度でいったら、日本より韓国の方が上だろう。今の日本人はショーの完成度なんかあまり問題にしていない。そして、その日本のアイドル文化やオタク文化は、日本政府が後押しするような形で海外進出を実現させているが、その日本文化が「どういう文化」なのかと考えると、答がない。それは、前例のないもので、前例のないものだからこそ世界に進出出来ているということになるのだと思う。
日本のアイドル文化の特徴は、「すぐにファンがメンバーの一員のようになれてしまう」というところにあって、その低い敷居を越して中に入ると、不思議な完成度の高さを発見する----そういうへんなところがあるのが、二十一世紀になって開花してしまった日本文化の特徴でもある。
そもそも「文化」というものは敷居の高いものだった。ところが日本には江戸時代以来、「敷居の低い文化」というのがちゃんとある。今や広まりやすいのはこちらである。そんなものは日本オリジナルでしかない。日本もまた別種の「文化侵略」をしていると思うのだが、それは以外と気づかれていないかもしれない。
2011年12月号より「車社会は自転車を受け入れるのか」
東京都で自転車の取り締まりが厳しくなった。きっかけは、競技場以外のところで乗れるはずのないブレーキなしの自転車で公道に乗り出す人間達が増えてしまったからだろう。
自転車に乗る人間は、交通法規というものが自分を取り締まるものだと思っていない。交通法規は、自動車に乗る人間を取り締まるもので、自転車に乗る自分は、取り締まりから自由な存在であると思っている。なぜかと言えば、自転車というものが、そもそも自由な存在だと、自転車に乗る人間が思っているから。
ハンドル捌き一つで、どこへでもスイスイ行ける。そういう自転車が車道に乗り出したら、横を走る車と(一方的に)技を競うようになる。自転車に乗って車道を走るようになった「元子供」にとって、自転車は軽業の道具のようなもので、歩道をモタモタと歩く人間はただの「邪魔臭い存在」なのだ。自転車に乗る「元男の子」にとって、自転車は内なる野生を目覚めさせてしまうものだから、そうなるのも仕方がない。「自転車は車道を走れ」はいいが、それを自転車にさせれば、漕ぎ手の野生を目覚めさせるだけだ。
自転車は、自動車より先に人に馴染んでいる。そこに後から車が乗り入れて来て、道路をふさいだ。だから昔は、歩道のない道路がいくらでもあった。狭い日本の都会地で、そうそう道幅は広げられないから、犠牲は歩行者の方に来て、歩道は狭い。その隙間を狙って、自転車が来る。だから自転車は「腕自慢の軽業」になる。それを避けるなら車道を削って自転車用の道路を作るしかない。もう自動車が遠慮する時代だろう。
つづいては、『文藝春秋』2012年1月号特集日本はどこで間違えたのかより「金と共に去りぬ----1980年代後半」
日本が後戻り出来なくなった、先へ進む道を考えることが出来なくなったのはいつかということになったら、簡単に答えることが出来ます。「バブル」でお馴染みの1980年代後半です。
1980年代に入る前に、日本人は「一億総中流」を達成していた。私はその貧乏臭さがいやだったけれども、バブルの金はそこへ流れ込んだ。そこで日本人は、ある重要な判断基準を捨てた。それは、「いるか、いらないか」であり、「似合うか、似合わないか」ですね。流れ込んだ銭の洪水は、そういう判断基準や価値の体系も押し流してしまった。だから銭の洪水が引いた後でも、「考える」ということが出来ない。その基盤が、銭の洪水で流されてしまったから。
1980年代に金だけは余ってへんに流通していたが、それはただの好景気ではなかった。色々なものが既に壁にぶつかっていて、そこに金が流れ込んですべてを曖昧にしただけだ。曖昧な時代は金と共に来たって、金の去った後でも、曖昧は直らない。
ついで『調査情報』2012.7.8号より「遠いか近いかオリンピック」
皇太子御成婚のおかげでテレビを見られるようになった日本人は、1960年の秋のローマ大会の閉会式で、電光掲示板に映る次回開催地を知らせる「TOKYO」の文字を見る。もちろん、ライヴではない時間差のあるフィルムによるニュース映像だが、それこそが「日本人の最初に見たオリンピック」で、日本人にとっての「オリンピックの歴史」は、その電光掲示板から始まるのだろうと、私は思う。
東京でのオリンピック開催が「本当のこと」になって、慌ただしさが徐々に迫って来る。どこもかしこも「工事中」になって、東京に住む中学生だった私は、「町が埃っぽくなって来た」と思う。オリンピックのために新しい施設を作ってやたらと金がかかるという習慣は、1964年の東京オリンピックから始まったものだが、その当時の東京にはそういうものがなかったから仕方がない。
東京オリンピックの後に公開されて日本国民の大動員に成功した市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』は、巨大な鉄球がコンクリートの建物をぶっ壊すシーンから始まるが、正にその通りで、日本人の好きなクラッシュ·アンド·ビルドの習慣は、東京オリンピックを迎える前の東京で始まる。
東京オリンピックは、「やれば出来る」という日本人の栄光の記憶で、日本の高度成長の時代はその誇らしい記憶をスプリングボードとして始まる。東京オリンピック以来、オリンピックそのものが日本人を熱狂させるイベントのようなものになってしまったのは、その東京オリンピック熱狂の記憶を日本人が再生させたがったからとしか考えられない。
東京オリンピックは日本の高度経済成長時代の幕開けであったと同時に、日本人が初めてグローバリズムに足を突っ込んだ経験でもある。若い世代はいつの間にかグローバリズムに慣れて、でももうグローバリズム自体も曲がり角にきていると思う。
つづく