橋本治と遠藤周作

橋本治が遠藤周作に言及したことはほとんどないと思われる。
私が現時点で見つけ出せたのは、『とうに涅槃をすぎて』収録の、「両刃の剣--時代小説のおもしろさ、つまらなさ」の中で、下記のようにほんのちょっと触れているだけである。
"遠藤周作先生の『狐狸庵閑話』シリーズに、桃太郎侍みたいに年増の常磐津の師匠の膝枕で昼寝をしていたいけれども、しかしアレは江戸時代の風俗ではない、なんてことが出て来ますけども、ホントなんですね。"
しかし、橋本治は作家デビュー前のイラストレーター時代、1974年に『國文學 解釈と鑑賞』の、アニメ·遠藤周作、という号に企画者として名を連ね、そこには、原作遠藤周作『沈黙』の橋本治による劇画が掲載されている。さらに、遠藤周作交友録、というパートも構成·イラストを担当。梅崎春生、柴田錬三郎、安岡章太郎、吉行淳之介、阿川弘之、三浦朱門、瀬戸内晴美、北杜夫をイラストで描いている。
この企画の経緯がどういったものかはわからないが、遠藤周作への思いが何かあったのかもしれない。
私は、橋本治が書いていないけど、書いていてもいいのにな、と思われることを想像して思いを馳せる、ということをライフワークとしているので、遠藤周作と橋本治についても少し考えたい。
といっても私自身があまり遠藤周作を読み込んでいるわけではないため、まずは手始めに今考えられることだけを少し。

上記の『國文學』において、井上ひさしは遠藤周作のことを"戯作者"と評する。いわく、「いまの日本の文学者のなかで、戯作者の伝統をもっともよく引き継いでいるのは遠藤周作氏ではないか、と思われる。」「なぜそんなに先生を戯作者にしたいのか、と問う人がいるかもしれないが、こう答える。「戯作者の精神を受け継ぐことが、日本文学を豊かにする一方途でもあるから」と。」
遠藤周作自身はこれに近いようなことを以下のように言っている。
"オレがなあ、少年のころ、一番初めに読んだ古典というのは"膝栗毛"なんだ。弥次さん喜多さんを読んで感激して将来こんな人間になりたいと思ってな。"
"二番目に読んだのは戦時中。当時、忠君愛国とか、なんとか、みんな言うやろ。日本人が日本人らしからんようになってきた。おれは勤労動員でクタクタに疲れる、腹はすく。その時、膝栗毛を読んでると、弥次さん喜多さんというのは、おコウコのにおいがして、ああ、これが本当の日本人だ、と思ってな。
万葉集--皇国主義的万葉集を読んだりしてる当時の学生たちの言うことがようわからんかったためだけどさ。"
"あんな楽天的な旅日記というのは、外国にはないんじゃないの。「どうにかなるやろ」というのは日本的楽天主義で、これはもうほかには無いんじゃないの。戦争中、普通の庶民があれだけがんばれたというのは、軍国主義でもなんでもない。弥次さん喜多さん的な「何とかなるやろ」という気持ちがどっかにあったと思うわ。"
(『ぐうたら社会学』収録「酔談」より)
遠藤周作は本質的にユーモアの人なんだと思われる。これを読む限りにおいては、まず第一にユーモアがあったのではないかと。そこに橋本治と通じるものを感じる。橋本治の場合は、"ユーモア"という言葉より"冗談"という言葉の方が適当かもしれないが。
遠藤周作はユーモアを軸に、いわゆる"純文学"の世界と、狐狸庵ものと呼ばれるエッセイやエンターテインメント小説などの中間小説を縦横無尽に行き来していた。
橋本治は、中間小説でデビューし、無数の評論やエッセイ、古典文学の現代語訳を書きながら、小説も書き続け、晩年、純文学系の文芸誌に小説を発表するようになった。その仕事には常に"冗談"という橋本治の本質が通奏低音のように流れていたと私は感じている。
橋本治もまた、戯作者の精神を受け継ぎ日本文学を豊かにした一人だと私は思う。

このテーマは引き続き考えていきたい。

つづく



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