Q.「空白恐怖症」の対義語はなんでしょうか
「空白恐怖症」。
この言葉を耳にしたことはあるだろうか?
という意味だという。
この記事を読んでいる人の中にも、この言葉の意味に共感する人がいるかもしれない。
私はどうかというと、共感はしない。
学校のクラスメイトや友人の中にも、常に予定が詰まっていないと不安だと話す人はいたので、
そういう人は確実にいるのだと思う。
しかし、私はむしろ、「スケジュールに空白がないことに対して」
恐怖感や嫌悪感を覚える方だ。
学業と部活動とを両立しようと励んでいた高校時代を振り返ると、
平日は学校と部活動で基本的に埋まっており、
土日も模試や資格試験、部活動の大会などで予定はいっぱいになりがちだった。
そんな予定だらけのスケジュール帳を目にする度に、心底うんざりしていた。
当時、時々何も予定のない「空白」の日があると、
前日からウキウキし、
「明日は何も考えずに朝ゆっくり起きられるし、基本的にのんびりしながら読みたかったあの本を読もうか、録画してあるあのテレビ番組を観ようか、うふふ・・・」
などとハッピーな気分でいっぱいになっていた。
そんな私にとって、大学時代はとても居心地が良かった。
「大学生」という肩書きがあるため、所属の不安からも逃れられるし、
取りたい授業を積極的に取り、
予定のない多くの時間は映画や音楽、本の世界に浸ることに使った。
そして時々友人と会う予定などが入っていて、丁度良いバランスを作り出せていたと思う。
しかしながら、私が空白大好きでいられるのは、
根本的に一人じゃないと思えており、その恵まれた環境のおかげだと感じる。
あとは、空白や余白の時間を持つことを大切にして生きる母の考えに、
大きな影響を受けていると思う。
人はそれぞれ、生きてきた道のりが異なる。
そのため、空白が苦手で、恐ろしくさえ感じられて、
予定が詰まっている毎日でないと安心できないという考えの人も沢山いるのは、極めて自然なことなのではないかな、と想像する。
「空白恐怖症」という言葉は存在するが、
私が空白がない状態を嫌がり、大きなストレスに感じることにも、
何らかの名前は付けられるはずだ。(「詰め詰め恐怖症」とか?笑)
つまり、根本的にはそれぞれの性格の違いなどによって生じる
好みや得手不得手の違いに過ぎないのでは、と思う。
だから、「空白恐怖症」vs「詰め詰め恐怖症(仮)」みたいな
二項対立ではなく、
当然存在するグレーゾーンも含めて
互いの違いに寛容になれたらいいのにね、と思っている。のです。
お読みいただき、ありがとうございました。