見出し画像

インスタが痛いよぉ

高校生の時にインスタをはじめとするSNSの術中に嵌まった。

別に見たいわけじゃない、でも何か刺激的な情報があるかもしれないから見てしまい、後悔するという負のループに陥った。

そんなに仲良くない同級生の、友だちや恋人と写っている休日の写真を次から次に見ても気持ち良いわけがないのだ。

むしろ気持ち悪い。

こういう文章書くんだ、こういうよくある写真の撮り方して悦に入ってるのかな、上辺なコメントを交わしてるな~とか、
性格悪めな感情がむくむくと沸き上がってくる。

その頃、なぜかだんだん人のインスタを見ることへの虚無感は消えていき、SNSに費やす時間も減っていった。

理由は分からなかったけど、時間が解決するものもあるんだと思った。
成長したからSNSから離れられて、適度な距離を取れるようになったのかな。

そう思っていたら、最近またインスタの罠に嵌まってしまった。

ふと魔が差して、もはやLINEも繋がっていないかつての同級生のインスタを見たのだ。

止めた方がいいよ~と頭は告げているのに、心が止まらなかった。

ひとつ見ると、フォロワーやコメントから他の知人のインスタへ芋づる式に繋がっていくのがインスタの罪なところだ。

いろんな人の投稿を見て、

ウワァーキラキラしてる、まさにインスタ的投稿が並んでいる・・・

恋人との記念日投稿、友だちに囲まれた休日の投稿、社会人としての一面を見せる投稿、恋人との記念日投稿(えっもう一年経ったの)…

「リア充」フルコンボを決めていた。

僻みではなく私がしたい暮らし方ではない(できないことも多い)から羨ましいとは思わないけど、こういう生き方をしている人も確実にいるんだ…

いくらきらめく瞬間を切り取っているとしても、「きらめいてる」ように映る時間を過ごしている、その気力体力がある…

それらを感じて、遠い宇宙空間にひとり運ばれていくような心地がした。

…いけないいけない、またSNSの嫌な部分に嵌まっていた。

適度な距離を保つのはむずかしい。

ふとした瞬間に、「たまには覗いていきませんか?」とやつは問いかけてくる。

今の私なら大丈夫かな?と余裕をかますと、やられる、、。

まぁ、定期的にSNSの痛みを知るのはいいことでもあるかもしれないが。

ということで、今はまた、特にインスタと距離を置いている(当社比)状態です。

心穏やかに暮らしたいものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーお読みいただき、ありがとうございます。