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休職中のあなたへ

懐かしいな、と思う。
マクドナルドで頼んだ、エグチとホットコーヒーを受け取りながら。
おねえさんの、驚くほど眩しい笑顔を、ほんの数秒見つめてしまった。

学校帰りのランドセル姿の小学生
iPadとヘッドセットで通話しながら歩く人
子連れの母たち
そして、マクドナルドのおねえさん

みな、自分の日々と役割をまっとうしている。
わたしはそれを、「仕事」とくくってよいと思っている。
学校に通うことも、子どもを育てることも、すべきことをしているという点で、仕事ではないだろうか。

わたしはいま、仕事をしていない。
会社に行こうと思ったら行けなくて、
言葉にすると信じられないのだけれど、電車に乗ることはなんとかできたのに、会社のあるビルに辿り着けないだとか、ベッドから起き上がれないとか、そんな感じだった。
でも、友達との約束には起き上がれるし、会社に行けないだけの怠惰ではなかろうかと、悩んだりした。
会社に何か悩みがあるかって、仕事の本来の面倒さ以外は特になくて、十人程度の小さな会社は風通しがよく、おしゃべりも尽きず、「なんでも話してね」という言葉に偽りはなく、飲み会に行かなくても気にされなくて、本当に居心地がよかった。
自分が極限状態でも、会社を無断欠勤することなく、「休みます」の連絡を入れ続けられたことは、もはや誇りといえよう。会社の求人情報にも書いて欲しい。「休みの連絡を気まずく思わなくても大丈夫、飲み会も行かなくてOK。自分のペースで働ける、風通しの良い会社です」

いやはやまさか適応障害ではないだろうなあ、
いやでも、このまま休み続けて病院の診断書ももらえなかったらマズイ。収入がなくなってしまう。
そう思ったら、わたしの場合は行動できるもので、心療内科を予約して受診した。もちろん「診断書の即日発行OK」のところを狙って

まさか自分が病気だとは思っていなかったのに、何かしらの病名をつけてもらって診断書をもらわなくては困る、というまったく相反した気持ちのまま訪れた病院で告げられたのは「非定形うつ病」という名前だった。
通常の“うつ病”とは異なるらしいけれど、気分を落ち着ける薬を飲んでください。そして、問答無用で3ヶ月間休めと。
「やすんで、わるいことはないですからね」
先生は、ゆっくりとハッキリ、そう告げた。

おそらく薬がよく効いて、飲み始めたら起きていられる時間が増えた。
それから、ソファーの上でごろごろアニメを見る時間が減った。
今までの自分は、「寝ているか、起きているか」「起きているときの大半は、ソファーで倒れている」という生活をしていたということに、ようやく気づいた。
あ、アタシって元気じゃなかったのネ……

しばらく経つと、気軽にコンビニや図書館に行けるようになった。
これまでのわたしは、怠惰でもなんでもなく、ただただヤマイだったのだ……

最近はポケモンGOのおかげで散歩も捗り、こうして隣駅のマクドナルドに来たりしている。

エッセイは家でも書けるし、本は家でも読めるし、コーヒーだってうちのが美味い。
でも、マックのコーヒーを飲む。
そういえば冷蔵庫の中身が尽きていた、ということを言い訳に、チーズバーガーを食べようとモバイルオーダーの画面を睨む。240円でエグチを選択して、ほんの少しの贅沢をする。
コーヒーとハンバーガーで360円って、バグじゃない?

痩せ細った失業保険で暮らしているので、贅沢はできない。
でも、元気になることって家を出ることで、それってお金がかかったりしちゃう。このあいだは、チュロスを、その前はミスタードーナツを食べた。

それから、少しずつ視界が広がって、マックのお姉さんの笑顔とか、子供の面倒を見るお母さんの姿が目に入る。
そして、「懐かしいなあ」と思う。




この人、母親と同い年……もっと上かもしれない。と思った。
新中野のスーパーで。
あるいは、薬局で

十年ほど前、わたしは新中野に暮らしていて、恋人と別れて心機一転引越して、さあこれからどうしようってときに骨折をした。
右手の、小さな小さな剥離で、最初は打撲と区別がつかなくて、発見まで1ヶ月かかった。
発見されたときも「なんともない」という医者の声を遮って、「でも痛いんです」と告げて、拡大したら骨折していた。2回目のレントゲンだった。

ほんの小さな怪我なのに、箸も持てないし、あのときはライブをすることと、ライブハウスで仕事をすることで暮らしていたのに、ピアノが弾けなくなった。
重たいものも持てないし、いま思えばバーカウンターに立つのもやっとだった。
とにかく、何にも握れなくなった。蛇口も、ドアノブも
最初は腕時計も、ブラジャーのホックも、自分で外せないほどだった。

引越して、心機一転して、仕事も新しいものを探したりだとか、いろいろしたかったのに、ぜんぶがダメになった。
少なくとも、そういう気持ちだった。
「外を歩くといいですよ」って、看護師だったかな、そういう専門職の友達に言われて、日光を浴びようと思ったけれど、散歩に行く気も起きなかった。
記憶の中の、新中野はいつも曇っている。

気分転換にパアッとお金を使いたいと思っても、そんな余裕があるわけもなく
日払い現金で受け取っていた給料を握りしめて、公共料金を払うことで気を紛らわせていた……いやはや、今思うと痛々しいけれど。これで「お金を使った」という気分になっていた。

あとは薬局に行って、シャンプーとか洗剤とか、「買わなきゃいけないもの」を買うことで、気持ちを沈めていた。
わたしは正しいお金の使い方と、正しい時間の使い方をしていて、とにかく間違った行動をしていない、というふうに思いたかった。

レジのおばちゃんは、母親と同い年……いや、少し年上だろうか。
いつもここにいて、テキパキ働いている。
その姿はイキイキと見え、「楽しそう」とすら形容できそうだった。

(アア、こんな年上の人だってちゃんと働いてンのにな……)

アタシって何やってンだろ……
やりたいこともできずに
掲げた夢を追う気力もないし、右手も動かない。
恨んだって仕方がないのに、醜い感情が消えない。
どうして、あの人の手は動いて、わたしの手は動かないんだろう。
絶対に、あの人よりわたしのほうが、ピアノを愛していた……




何やってンだろうな……
その痛みを、懐かしく思う。
社会の輪から外れた、自分のことを。

もともと、そんな輪には属していない。というような気概ではあったけれど、「属しているフリ」は続けていた。
社会の輪に属しているということは、給料をもらうということで、誰かの役に立つということだから、完全に輪から外れて生きるのは難しいだろう。と、思う。

でもいまは、外れている。
特に役割もなく、好きな時間に起きて眠って
「そんなの最高じゃん」って、その通りなのだけれど、うまく謳歌できない。たぶん、そういうタイプだから病気になったりしたんだろーけどっ、ていうのは乱暴だけど。きっと、そういうことだろう。

「思い込み四面楚歌を卒業できるといいね」と言われて、ハッとした。わたしは自分を追い詰める理由ばかりを探して、友達を深く愛し、会社の人も信用しているのに「申し訳ないなあ」「自分は何もできないクズだ」と勝手に落ち込んでいた。
誰も、そんなこと言わないのに。


「休むことが仕事だ」と言われるけれど、これがなかなか難しい。
何もできないほど痛ければ、のたうち回るしかないのだけれど
こうして、薬が効いて、外を歩けるようになれば、「何やってンだよ」と思ってしまう自分がいる。
エグチなんて食べてる場合じゃなくて、ハンバーガーにしとけよ、っていうか米を炊け、貧乏人!と思う自分もいる。実際に貧乏だし。
働くことができないと、お金を使うことが怖い。
失業保険は入ってくるけれど、直近の勤務時間の長さに応じるものなので、月に100時間も働けていなかったわたしの失業保険の心許なさよ……
ここまでたどり着いたあなたが、もしいま「頑張っても月に100時間働けていない」のであれば、すぐに病院に行って欲しい。休職は、最終手段などではない。もっと手前で切っていいカードだった。
「フリーランスだから、休んでる場合じゃない」と思う人もいるだろうけれど、休んで欲しい。どうせそんな身体で働いても、衣食住をひとりで確保するのは難しいから、早めに誰かに頼って欲しい。
走り続けた結果、待っているのは”うつ病”かもしれないぞ。自分のことを怠惰だと信じ、走り続けたわたしはそう言う。

そして、少し回復して、また焦るわたしの肩を、ぐっと掴む。
もう元気になったから、働かなくちゃ、頑張らなくちゃ……
「あせっちゃだめだよ」
先生の言葉が、ぐるぐると響く。
てめえ、他人事だと思ってよォ……


そうなのだ。だから「休むことが仕事」でいい。
まだそれで、今はそれで、大丈夫。

ギリギリで頑張って会社に行こうとして、死が過ったことも記憶に新しい。
あれは、不思議な体験だった。
先述した通り、会社は居心地が良くて、直近まで絶好調で働いていたのに、朝起きたら会社に行けない日々が続いて、「このまま会社に行けなくて、生きているだけでお金がかかって、そのお金を大切な人に払わせてまで生きている価値がない」それはすなわち死だった。
いま思えば、全然そうじゃないんだけど。
サイコロの目が、ぜんぶ「死」だった。不思議と。


こうして療養していると、どこかでこのまま消えちゃうんじゃないかとか、二度と社会の輪に戻れないんじゃないかとか、
罪悪感はあるけれど、好きな時間に寝て起きる暮らしは気に入っているとか、ていうかやっぱり、そんな状態で生きてていいのだろうかとか、いろいろ考えてはしまうけれど。

そして、いつかの自分に期待できなくなったり、健康になって、「普通」に暮らす自分が、想像できなかったりもするけれど。

いまは耐え忍ぶとき

いつかね、もちょっと元気になったらね、ゲームでもやろ。
もう少したくさん散歩をしよう。
お金のかからない遊びを考えよう。
あるいは、お金を稼げる何かを考えよう。

でもね、いつかね、もちょっと元気になったらね、そのときね。
いまはね、つらいね、我慢だよ。
これがきっと、復職しても何かしらがつらいのがたまらなくて、それが人生ハードモードの証なのだろうけれど。

昨日より今日が、マシにならなくても
明るい明日を信じられなくても
「生きてれば100点」という言葉すら、憎らしかったとしても
(わたしは家族に、「生きてて欲しいっていうのはそっちのエゴじゃん。わたしはもう限界だよ」って、最低なことを言ってしまった。でも、本当にそう思ってしまった。もう、そんなふうにならないといいね)

なんも、なんもしなくていい。
自分に、過度な期待をしなくていい。
決断するのも疲れるだろうから、生きようとするのも、また今度でいい。
社会の輪に入れなくてもいい。
いつか入りたいと思えなくてもいい。
ベッドにもぐりこんで、眠れなくてもいい。
何かを美味しいと、楽しいと思えなくてもいい。
いつか笑って話せるようになる未来を、思い描けなくてもいい。


いまは、「何やってンだろ」っていう痛みを、
もうどうしようもない現実を、一度乗り越えた絶望を、
懐かしく思っている。



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松永ねる
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