
拝啓 鷺沢萠さま
さいしょは、そんなつもりじゃなかった。
うまく書けない、という夜を、あれこれ捏ねくり回しているうちに、「ハング・ルース」に辿り着いてしまった。
「ハング・ルース」というのは、ハワイのあいさつで、わたしのすべてのアカウント名の由来になっている。
気楽にいこうぜ、ぎゅっと掴むな、「小指と親指くらいは遊ばせとけ」と言ったコングというひとは、鷺沢萠というひとの小説の登場人物だった。
彼女がこの世を去った2004年から、ずいぶんの月日が流れた。
わたしは当時高校生で、彼女の著書を読んだことがなかった。
彼女の死の報せを受けて、母がひどく落ち込んでいた。あの日のことを、まだ覚えている。
サギサワさんは有名な作家だったくせに、自分のホームページでものらりくらりと文章を書き、来訪者と関わっていた。
母は、その来訪者のひとりだった。
「遠くの友達が、いなくなってしまったようだ」と、やっぱり遠くを見ながら言っていた。
母親が使っていたパソコンは、Windows95だった。
高校生だったわたしは、サギサワさんがこの世を去ったときと同じ年齢になる。
年々、サギサワさんの本は入手しづらくなっていると思う。
大学生くらいの頃は本屋でも、古本屋でも見掛けたけれど、最近はあまり見ない。
だから、「わたしのエッセイを読んで、サギサワさんに興味を持ったら、買えるうちに本を買ってね」と伝えた。
「読みたいからおすすめを教えて欲しい」と言われたとき、
たぶん、わたしが思っている以上に
きっと、誰もが思っている以上に、わたしの胸は高鳴った。
35歳のわたしが、鷺沢萠を語る。
なんて言ったけれど最近あんまり読めてなくて
でもまたゆっくり読み直したいなあ、って思ってるから、いまはあんまり深く読み返さずに語ります。
わかりやすいようにAmaoznのリンクを貼りましたが、定価で購入可能なものは一部の電子書籍のみです。ご了承ください。
ウェルカム・ホーム!
まずはこれを読んで欲しい。
サギサワさんの後期の作品で、かなりポップなアレンジで読みやすい。
サギサワさんの描く、ふたつの家族の物語。
1作目の「渡辺毅のウェルカム・ホーム」は、「お父さんがふたりいる家」の物語。
このお父さんふたり(恋愛要素ゼロ)と、息子の関係をぜひ目的して欲しい。
いまではよくある話、かもしれない。
でも、出版されたのは2004年。
家族の在り方に、まだまだこんなふうに切り込んでいるひとは少ない時代だった。
サギサワさんは、どろっとした感情を濾して、物語にしていたと思う。
「ウェルカム・ホーム」は、濾したうえに、カラッと天日干しさせている。
だから、かろやかで読みやすい。
最初に読む人には、この物語をおすすめしたい。
20歳くらいのときに書いた曲で「ウェルカム・ホーム」っていうのがあるんだけど、この作品から取っている。
サギサワさんが、いろんな家族があるって教えてくれて
大学時代にあの部屋で過ごしたわたしたちも、やっぱり家族だった。
あのうたをどこかで見掛けたら、よろしく頼むよ。
海の鳥・空の魚
これもかつて歌詞で使用したタイトル。
「青の線路」っていう曲の中で。
青の線路っていうのは、「水面」っていう意味だった。
海の中から、水面を眺めている。
泳ぐことも飛ぶこともできないわたしが、見上げている。
此の場所では確かに、
空の魚、海の鳥が、
その小さな身体で
全てを暴こうとしている
十年前のわたしは、サギサワさんからもらったこの物語と感情ひとつで
どうにか羽ばたこうとしていた。
*
200ページ強の文庫本に、20の物語が詰め込まれた短編集。
短編が読みたい場合は、これをおすすめしたい。
1作目の「グレイの層」のことは、今でも忘れられない。
これは、結婚を受けるかどうか、迷っている女の物語。
物語は電車に乗っているシーンから、彼の家に向かう途中。
電車を降りる前までのたった一瞬を、実にサギサワさんらしく切り取っている。
たまたま題材が結婚だっただけで、この"もや"は、誰の中にもあるのだ。とわたしは思っている。
わたしはまだ、この電車の中にいる。
どれだけ器用に生きることができるようになっても、何度だってこの電車の中に帰りたいんだ。
20の物語を総するコメントについては、あとがきを引用したい。
本人が言ってるんだから、これ以上はない。
「やりにくかった連中」にだって、「うまくいった一瞬」はあったはずだとわたしは思うのである。
わたしだって、「やりにくかった連中」なんだと思う。そのひとりだ。
そのひとりの、言ってしまえばあなたの、「サギサワさんのこどものひとり」として、わたしは今日も紡いでいる。
だから、わたしに出会ってくれたあなたが、この物語を愛してくれたらこれ以上のよろこびはない。
さいはての二人
この物語をあなたにおすすめしていいかどうか、本当は悩んでいる。
読みやすさや、万人受け
わたしの愛する鷺沢萠を、誰かから愛してもらいたいならば、次は「帰れぬ人びと」や「夢を見ずにおやすみ」をおすすめすべき、だと思う。
このふたつは、「海の鳥・空の魚」よりももう少し長い文章で、全開のサギサワワールドを楽しんでもらえる。
さいはての二人は、粘度の高い作品だと思う。
始めて読んだとき、わたしは主人公の美亜よりもずいぶん年下だった。
女にも人間にもなる前の小僧で、この物語の意味をあまり理解できなかったと思う。
その色濃さに、「苦手だ」とすら思っていたかもしれない。
でも、年々染み渡る。胸を打つ。
35歳のわたしなら、おすすめしてもいいのではないだろうか。
「朴さんが死んだ」から物語は始まり、美亜が朴さんとの日常を語ってゆく。
この男は、あたしだ…
サギサワさんにはきっと、この世界はどこか生きづらかったんだと思う。
その苦さと、浅い呼吸から生まれる吐き出しそうなくらいの濃い甘さが、この物語には存分に詰まっている。
*
サギサワさんの本でいちばん好きなものは?と問われると、「ハング・ルース」だと答えていたわたしだけれど、
短編であるならば「遮断器」と答える。
この小説の3つ目に収録されているので、「さいはての二人」はなんだか重たそうだなあ、と思ったら、こちらから読んで欲しい。
かろやかな作品、というわけではないけれど
幼いわたしの心もバッチリと掴んだ明快さある。
明快、というには少し違うような気もするけれど、他の単語が見当たらない。
この小さな悪魔のような闇は、おそらく「等しく誰の心にも住んでいる」のだと思う。大きさは違えど、きっと。
そして祈りのように瞬間を待ったり、抱えたり、信じたりしながら、今日もなんとか生きているのだと思う。
タイトルの遮断器は、下北沢の踏切のことだ。
覚えていますか? 下北沢の開かずの踏切のこと。
エスカレーターもなくて、世田谷区に小さく押し込まれていたような、あの下北沢駅のこと。
わたしは運良く、あの遮断器を実際に訪れることができた。
ああ、ここのことだったのか。
いちいち思い出さないくらい、わたしは何度もこの商店街を通り抜けた。
北口の、あの薄暗い商店街のこと。
あの踏切は、いまはもうない。
ハング・ルース
ハングルースは、10代後半から20代半ばのわたしの心を、掴んで離さなかった。
友達にこの本を貸していたことをすっかり忘れていたわたしは、あるとき手元にないことに気づいて発狂した。
たかだが小説がひとつ、手元にないくらいで騒ぐことはないのに、居ても立ってもいられなかった。
数日後、この本が手元に届いたときの感動は、いまでも覚えている。
当時の恋人が、見兼ねて購入してくれたものだった。
ああ、わたしはこの人を一生好きでいよう、と思った。
一生が何なのか、わたしは知らないけれど。こんなにすばらしいことをしてくれたんだ。永遠の愛すらあると思えた。
それくらい、わたしにとってはバイブルとなっていた一冊。
*
ハング・ルースの言葉の意味は、冒頭でも説明したので割愛する。
少し話は逸れるけれど、同じような言葉で「大事なものができたら、一歩退きなさい」というのも大切にしている。
そのまっすぐさは炎のようなもので、この世界に燃え続ける炎はない。
やがて、自分や他人、まわりを焼き尽くして消えてしまう。
だから、一歩退きなさい。
そして、「ハング・ルース」でありなさい。
わたしはずっと、言い聞かせている。
わたしのアカウント名は、この「ハング・ルース」と「5」という数字を掛け合わせている。
「5」も、この物語からいただいたものだ。
"フェイス"と呼ばれる男は、走っている。
フェイスはスポーツマンでも、彼氏にしたい男でもなく、どうしようもない奴だった。
でも、走っていた。
次の電柱までは、なんとか。
電柱に辿り着いたら、また願う。その次の、電柱まで
あと五メートル、あと五メートル……
フェイスが、呪いのように使っていた言葉だった。
わたしも、同じ言葉で自分を呪うことに決めた。
あと、5メートル。
永遠に、軽快に、美しく、勇気を持って、走ることはわたしにはできない。
でも、這うように5メートルだったら。
その泥臭い、もう気力もないような、ダサいような走り方で
わたしも、"あと5メートル"と思いながら進んでいくことを、決めている。
*
いま思うと、ユニもフェイスもずいぶん幼い。
いまのわたしが、この物語を薦めて良いのか、とここまできて疑問も感じてしまう。
だけど、わたしは救われた。
この物語に、ユニに、フェイスに、サギサワさんに。
そうしていまも、生きている。なんとか、生き延び得ることができた。
その事実は変わらない。
これはわたしの、やさしさと、生きることへの原点の物語だ。
愛してる
最後に、「愛してる」を紹介する。
現在、KindleUnitedで無料。
そして「試し読み」で、最初の物語「真夜中のタクシー」が無料で読めるので、ぜひ読んで欲しい。(2022年3月3日現在)
「海の鳥・空の魚」と同じように、かなり短い物語の連作となっている。
わたしはこの小説を、あまり読まなかった。
「海の鳥・空の魚」のほうが、ずいぶんとしっくりきた。
ずいぶんと見当違いな話になると思うので、愛を持って聞き流して欲しいのだけれど
わたしは「愛してる」や、「少年たちの終わらない夜」(この短編集の「誰かアイダを探して」にも、格別の愛を注いでいる)の世界には、初期の村上春樹の匂いを感じている。
「愛してる」で語られるクラブ、"ファッサード"と
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」で、僕と鼠が入り浸っている"ジェイズ・バー"は、なんだか似通っているような気がしている。
わたし自身は、クラブにもバーにも通ったことがない。
「愛してる」も「風の歌を聴け」も、わたしより少し前におとなになった人たちの、その時代の物語だ。
そしてまた、このふたつの物語に本当は時代の差が存在しているのかもしれないけれど、知らないころの話なのでわからない。
勝手にひっくるめて同じにしているだけ、だとも思っている。たぶんそうだ。
いま、「風の歌を聴け」の手元の文庫本を見たら、1982年の発行だった。
サギサワさんが19歳になる年に「川べりの道」文學界新人賞を受賞したのは1987年のことなので
広い意味で、やっぱり同じ匂いのする時代だったのではないだろうか。
なんて、当時のおとなが聞いたら、怒るかもしれないけれど。
*
現在、無料で読める「真夜中のタクシー」という物語については、
山崎まさよしの「道化者のチャーリー」という曲を彷彿させる。
「道化者のチャーリー」は、自分をミドルネームで呼ばせていた男"チャーリー"が、街を出てゆくまでの物語だ。たったひとり、チャーリーの本当の名前を知るひとと、手をつないで
「真夜中のタクシー」は、"ジュニア"というDJが、クラブ"ファッサード"を巣立つ物語となる。やっぱり、ジュニアの名前は誰も知らなかった。
(さいごに)
思ったり感じたりした者の勝ちだ。
「愛してる」の最初のページをめくると、こんなふうに書かれている。
確か中学生のころだったと思う。
中学生だから、この乱暴な言い回しも許して欲しい。
クラスで一番頭の良い子が、しみじみと言っていたことを覚えている。
あまり勉強ができなくて、"まぬけ"とか"にぶい"タイプの子に対して、
「あいつみたいに、おれもバカになりたかったな…」
もちろん、本人に言っていたわけでもない。
彼は、笑っていた。冗談のようだった。
ただ、ずいぶんと深く本音のような言葉だった。
わかる、と言ってしまうのは本当に乱暴過ぎる。
でも、無視はできない。わからなくはない、と思う。
痛みを感じないためには、強い皮膚や身体があればいい。
心を強く、"バカ"にすることで、感じない痛みもあるのだ。と言われれば、その通りだとしか言えない。
想像力を欠き、言葉の意味すら理解できなければ、生まれない痛みだってある。
それでも、思ったり感じたりした者の勝ちだ。
そうだったんじゃないのかよ、わたしはいまでもそう思うよ。
ほんとうはそんなに強くないかもしれないけれど、「そう思うよ」って言って、これからも呪いに耐えながら生きてゆくよ。
そう言ったあなたが、どうして呪いに耐えられなかったんだろう。
いや、あなただからなんだろう。会ったこともない、軽愛するひとを、決して悪くは言いたくない。
「思ったより感じたりした者の勝ちだ」と、わざわざ言葉にして、旗印にして生きていかなければ息ができなかったひとの苛烈さを、わたしは想像できない。
ただ、わたしはいまでも、あなたの新刊が読めなくて寂しい。平積みになっているあなたの本を、買いたかった。
スマートフォンとウーバーイーツの世の中を語る、あなたの物語を読みたかった。
*
わたしはあなたの物語を受け取ったひとりとして、言葉を紡げたことを幸福に思います。
ありがとう。
あなたのことを語ると、わたしもまだ寂しいです。
でも、書けてよかったです。
わたしは、明日も書きます。
これから、できるだけずっと。
そうして、生きてゆきます。
あなたを愛する者から 2022年3月3日
鷺沢萠さまへ
追伸
「読んでみたい! 何がおすすめ?」と尋ねてもらったので、この物語は生まれました。本当に、本当にありがとう。
わたしは今日を経て、書くことのおもしろさ、伝えることの幸福を強く噛み締めています。
そして、ようやく
「書くこと」と生きていきたい、と思えるわたしを、許せるようになりました。
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