neru cafe、はじまります。
何の予兆もない、12月の出来事だった。
カフェ? わたしが?
確かに、コーヒー好きで、ライブハウスのバーカウンターに立っていた年数も、決して短くない。
このメッセージの送り主、”めけ”との出会いもライブハウスだった。
めけが、”めけめけ”を名乗り始めたのは2009年のことらしい。
そして、「めけさん」と初めて呼ばれたのが、2011年。
わたしは、そのしばらくあとに出会っている。
▼めけの自己紹介
言い方は雑になるけれど、勤めていたライブハウスには、オッサンが多かった。たぶん、他のライブハウスの「バンドマン」みたいな匂いよりも、もっと日常染みたオッサンというか。
これは本当に悪口じゃなくて、オッサンたちは日夜一生懸命働き、家庭があったりして、その中でライブハウスに来る時間を作って、その瞬間だけは、上司でも部下でも父でもない、自分の姿をしている。わたしは、それを見るのが好きだった。今でも、尊敬していると思える人は多い。
長いライブハウス勤めの中で、日頃来ているオッサンたちの醜態を、一度も見なかった。派手に酔ったり、怒鳴ることもなく、自分の時間を、音楽を楽しんでいるその姿は、わたしの自慢でもあった。
というと、おかしいだろうか。そのあと社会に出て、別の会社に電話したり、カスタマーサポートの仕事で、何度ガチャ切りされ、怒鳴られただろうか……あのオッサンたちはスゴかった。ずっと笑顔で、ただのチビのわたしにも、本当によくしてくれた。あの時間に今でも感謝しているし、あの場所で二十代を過ごして、人格を形成できたことを、誇りに思っている。
めけは、オッサンのひとりだった。
あのあとわたしはライブハウス勤めを辞めて、無職になって、noteの毎日更新を始めて、文章を書き続けていたら、めけから連絡が来た。わたしの書くものを、気に入ったり気にしてくれたらしい。
最初はびっくりした。びっくりしていたら、企画していたセッション会に遊びに来てくれた。歌っているところを見たら、おもろいオッサンだった。
それから飲みに連れて行ってもらったり、ゴッホのひまわりを一緒に見たり。
今では、ミュシャ展に連れて行ってくれたり、ケーキを食べさせてくれるオッサンになった。なんていうか、わたしももうすぐ四十だし、しっかりしなきゃと思いながら生きているのだけれど、めけの前では小娘に戻れる。
めけと話しているうちに、ちょっとずつめけのことがわかってきて、今となっては「カフェやらない?」と言われても、その事実そのものに驚きはしなかった。
めけなら言う。そーゆーこと、言う。急に言う。
カフェか……わたしに、できるだろうか。
何事も最初は初めてだって、そんなことはわかっているけどカフェなんて
今まで考えもしなかった。
「わたしにできるかな」という甘えた返事を送りそうになって、慌てて首を振る。
かつて友人が、初めてのフード出店に悩んでいた。「自分なんかにできるかな」と言っていた。「やってみなきゃわかんないだろ!!」と叱咤激励したのはわたしだった。
友人を崖から蹴り落としといて、そりゃあないだろ。
そうそう、これ、これでいい。
「できるかな」なんて、弱気な甘え方するんじゃなくて
「やってみる」のあとに、たくさん考えて、わかんないことがあったら「助けて」って言えばいい。
考えなければいけないことは、たくさんある。
とにかくメニュー。
ライブハウスでの飲み物の提供は、「バーカウンターで受付、その場でドリンクを用意して渡す」というのが基本。今回、受付も会計もドリンクの準備も、わたしひとり。注文は、ステージに演奏がない時間帯に集中するから、その瞬間には一気に数人が並んでも、対応できるような用意が必要になる。
「名前があるといいね」と、めけが言った。
何の名前かって、カフェの名前。
それはもう、始めから決まっていたみたいに、すうっとアタマにおりてきて、これ以外考えられなかった。
neru cafe(ネルカフェ)
ライブハウスのフード出店って、なぜだか自分の名前を冠することが多いので、わたしもそれに倣うことにした。
家に遊びに来てくれた友達に「なに飲む?」って聞くのが好きで。
来てくれた友達は、今日はお客さんだから。好きなものを選んで欲しくて、飲みながらゆっくりして欲しくて。
しばらく経ったら「おかわりいる?」ってまた聞いて。
そんないつものわたしみたいに、コーヒーを出そう。
neru cafe、はじまります。
▼2月1日、銀座にて。チケット予約はコチラから
▼めけとの往復書簡。わたしが最近サボってる
▼めけと見に行った、ミュシャの話
▼neru cafeでお出ししたい一杯は、こちらに