コーヒーと煙草とチョコレート
実家に帰るので、新幹線に乗った。
いつもは乗らない。
そもそも、帰るのだって3年振りだった。
駅のホームで、自販機を見つけた。
せっかく新幹線に乗るのに、おなかも空いていないから、せめて飲み物を、と思って近寄る。
いつもは、お茶の類を選ぶのだけれど、今日はコーヒーにしてみた。
最近はとにかく、コーヒーが好きだ。
いままでは、「嗜む」くらいしか飲まなかったのに、
いまでは、溺れるように飲んでいる。
日曜日の朝の”こだま”は思ったより、驚いてしまうくらいに混んでいた。
三人がけの席の、真ん中が空いているのをようやく見つけて滑り込む。
隣りに座った女子高生は、テーブルを広げて化粧を始めた。
わたしは何もすることがなく、そわそわと鞄を抱えて丸くなる。
そして、コーヒーを飲んだ。
*
タリーズのコーヒーだった。
自販機のコーヒーにこだわりはなく、なんでもよかった。
好き嫌いや、味の違いを理解することはできるけど、それだけだった。
ただ、コーヒーだった。
それは、懐かしいような味だった。
圧倒的に、もう大丈夫な味だった。
何が、大丈夫かって
少し考えたらすぐにわかった。
この懐かしさは、煙草に似ている。
味が煙草に似ているとか
コーヒーと煙草がセットだったとか
そういうことではなくて
わたしの、所在の問題だ。
あまり帰らない実家で、
行ったことのない街で、
待ち合わせの前に
知らない喫茶店で
わたしは、煙草を吸う。
ちがう、”アメリカンスピリットに火をつける”
季節や体調で、感じる味の違いはあったとしても
アメリカンスピリットは、どこでもその味がした。
メンソールライト、それはメンソールと煙が少ない煙草だった。
煙草があれば、どこでもわたしはわたしになれて、息をすることができた。
コーヒーからは、そういう抱かれるような味がした。
*
そういった人がいた。
葉子さんの人生は、引っ越しばかりだった。
でも、身体がコーヒーと煙草とチョコレートでできているとしたら
そのみっつを買えない街は、きっとないだろうと思う。
わたしはいま、お気に入りの花屋と、付き合いの長い美容師によって一部が形成されている。
でもきっと、引っ越ししたら失う。
葉子さんは、失わないもので身体を作ったのだ。
それはとても、強かでしなやかなことのような気がした。
強情で、ただの言い訳のようにも聞こえるかもしれない。
でも、わたしも
自分の身体の一部が、血液の少しが、コーヒーで形成されることを、願ってやまない。
※葉子さんのこと
※now playing
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