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コーヒーと煙草とチョコレート

実家に帰るので、新幹線に乗った。
いつもは乗らない。
そもそも、帰るのだって3年振りだった。

駅のホームで、自販機を見つけた。
せっかく新幹線に乗るのに、おなかも空いていないから、せめて飲み物を、と思って近寄る。
いつもは、お茶の類を選ぶのだけれど、今日はコーヒーにしてみた。
最近はとにかく、コーヒーが好きだ。
いままでは、「嗜む」くらいしか飲まなかったのに、
いまでは、溺れるように飲んでいる。

日曜日の朝の”こだま”は思ったより、驚いてしまうくらいに混んでいた。
三人がけの席の、真ん中が空いているのをようやく見つけて滑り込む。

隣りに座った女子高生は、テーブルを広げて化粧を始めた。
わたしは何もすることがなく、そわそわと鞄を抱えて丸くなる。

そして、コーヒーを飲んだ。

タリーズのコーヒーだった。
自販機のコーヒーにこだわりはなく、なんでもよかった。
好き嫌いや、味の違いを理解することはできるけど、それだけだった。
ただ、コーヒーだった。

それは、懐かしいような味だった。
圧倒的に、もう大丈夫な味だった。
何が、大丈夫かって
少し考えたらすぐにわかった。

この懐かしさは、煙草に似ている。
味が煙草に似ているとか
コーヒーと煙草がセットだったとか
そういうことではなくて

わたしの、所在の問題だ。

あまり帰らない実家で、
行ったことのない街で、
待ち合わせの前に
知らない喫茶店で
わたしは、煙草を吸う。

ちがう、”アメリカンスピリットに火をつける”

季節や体調で、感じる味の違いはあったとしても
アメリカンスピリットは、どこでもその味がした。
メンソールライト、それはメンソールと煙が少ない煙草だった。
煙草があれば、どこでもわたしはわたしになれて、息をすることができた。

コーヒーからは、そういう抱かれるような味がした。

わたしは、コーヒーと煙草とチョコレートでできている。

そういった人がいた。
葉子さんの人生は、引っ越しばかりだった。

でも、身体がコーヒーと煙草とチョコレートでできているとしたら
そのみっつを買えない街は、きっとないだろうと思う。

わたしはいま、お気に入りの花屋と、付き合いの長い美容師によって一部が形成されている。
でもきっと、引っ越ししたら失う。

葉子さんは、失わないもので身体を作ったのだ。

それはとても、強かでしなやかなことのような気がした。
強情で、ただの言い訳のようにも聞こえるかもしれない。

でも、わたしも
自分の身体の一部が、血液の少しが、コーヒーで形成されることを、願ってやまない。



※葉子さんのこと

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