山作戰の歌を、聞いて欲しい
まず、これを聞いて欲しい
そして、この”山作戰”という、純然たるおじさんが何者か
どうしてこれを聞いて欲しいと思うのか
今日は、わたしの親愛なるおじさんの話をする。
山作戰、というミュージシャンがいる。
わたしは、10年近く前に東京で出会った。
当時、動画配信の流行を走っていたUstreamで、有名なおじさんがいると聞いた。
わたしの働いていたライブハウスでも、Ustreamの配信に力を入れていたので、山作戰との出会いは必然だった。
出会って数年経った頃、静岡に移転することになったと言われた。
少し寂しいような気もしたけれど、静岡はわたしの故郷でもある。
”東京と静岡は遠くない”ということは、わたしは知っていたし、
わたしが例え、冠婚葬祭のときにしか実家に帰らないような暮らしをしたとしても、「静岡だったら」寂しくないような気がした。
だいたい、「山作戰さん」って呼びづらい。
静岡にいるおじさん。
わたしは親しみを込めて、彼のことを「おじさん」と呼んでいる。
おじさんは、東京にいる当時から、わたしのことを可愛がってくれたし、わたしのピアノを好きでいてくれた。
何度か、一緒に演奏をさせてもらった。
スタジオに入ったり、静岡での演奏に呼んでもらったり、おうちにお邪魔したこともある。
当時のことを思い返すと、あんまり期待に応えられなかったような気もしているんだけど、おじさんが静岡での帰り道を示してくれたことや、スタジオの中や外で、おじさんと話した時間が好きだった。今でも、わたしの宝物だ。
おじさんのくれた言葉は、今でもわたしの心臓を突き刺したままだ。
幼いわたしは、目を背けてしまいたくなるような言葉も、ゆっくりとまっすぐに、逃げずに話してくれた。
そしてこのおじさんは、ただのおじさんじゃない。
すばらしい音楽を奏でるおじさんだ。
曲のすばらしさについては、あんまり解説の必要がないと思う。
聞いてくれればいい。
聞いてくれさえすれば、絶対にわかる。
わたしはいま、他人に音楽を勧める言葉として「聞けばわかる」なんて、いちばん曖昧なものを選んでしまっていることは、わかっている。
でも、本当にそうなんだ。
たぶん、老若男女、誰にだっておじさんの歌は、刺さるはずだ。
「なんでそんな風に言ってくれるんだろう」という歌詞と、
「なんでその音拾っちゃうの」という、それも計算づくだと知っているけれど、心臓を揺さぶるコード進行。
おじさんの歌のよさは、歌の中に全部あるから、あんまり解説の必要がない。
やれと言われれば、手持ちの楽譜からコードを分解して解説したっていいけど、本当にそんなの必要ないと思う。
そんなおじさんが、2020年7月23日(木・海の日)に静岡市民文化会館で「ヤマサク夏のセンまつり」を開催した。
かなりふざけたタイトルではあるけれど、おじさんの3度目の1000人規模ライブだ。
今回は、忌まわしきウイルスの関係で、座席をかなりしぼっての開催だったと聞いている。
1回目は、わたしも応援に行かせてもらった。
母は、1回目も2回目も参戦して、今年も楽しみにしていたのだけれど、母自身も60を越えているし、90を越えているモンスターと同居をしているので、断念した。
今回紹介したYouTubeは、「ヤマサク夏のセンまつり」のダイジェスト映像となる。
1回目のセンまつりを見たとき、おじさんは格好良いと思った。
でも、おじさんはどこへ向かっているんだろう、と感じた。
その感情の出どころの大半は「悔しさ」だったことも、わたしはわかっている。
「自分の好きな音楽」と「誰かのための音楽」の同居は、なかなか難しい。
わたしも当時、バンド活動のさなか、その感情にがんがんと揺さぶられていた。
おじさんはかっこよかったし、やっぱり悔しかったよ。
その悔しさを、上手に拭えずに、今日まで来ちゃった。
悔しくてね、でも悔しいなんて言えるくらい努力もできていなくて、わたしは中途半端で
そういう自分と、うまく折り合いもつけられなかったんだ。
今日、久し振りにおじさんのうたを聞いた。
もう、最初のおじさんのブレスが、その息継ぎが、変わっていなくて、安心してしまった。
音楽家なら、良いライブをするのは当然といえば、その通りだ。
来てくれる人の期待を背負って。
時間とお金をいただいて、ステージに立つ。
静岡で多くの仲間に恵まれたおじさんだけど、
座長としてすべての期待を背負い、お客さんを呼ぶ努力をして、良い歌を歌える身体を作り、バンドメンバーと楽曲を仕上げてゆく。
細々としたことを言い出したら、キリがない。
ほんとうに、簡単なことじゃない。
それが、当然のことだとしても。
おじさんは、逃げない歌をうたっていた。
全然、ずるくなかった。
「良い音楽をすること」と「誰かに伝える音楽をやること」どっちからも、おじさんの音は逃げていなかった。
このうたは、安くない。
ぜんぜん、安くない。
わたしは、長年ピアノを弾いてライブをしてきて、ちょっとだけ歌をうたっただけの人間だけど
わかるよ、そういう、ずるくない感じってやつは、わかるよ。
おじさんの歌のすばらしさを伝えたいのに、全然言葉にならないや。
聞けばわかる、としか言えなくてごめん。
これは、プレッシャーと戦いながらも
音楽家、そしてシンガーとして「歌」と「音楽」に真摯に向き合いながらも
お客さんからチカラをもらったことを、絶対にないがしろにしない
ひとりのおじさんの、愛の冒険譚ではないだろうか。
わたし、YouTube見ながらちょっと泣いちゃったじゃないの…
おじさん、最後に会ったときよりもっとおじさんになったのに
どうして、こんなに輝きを増すんだろう。
もう、悔しいなんて言えない。
その魂に、演奏に、もう、拍手喝采しか、ないじゃないか…
このおじさんの冒険を、これからも見ていたい。
そして、おじさんからもらったチカラを、
次はわたしが、わたしより若い世代に伝えていかなくてはならない。
おじさんが、わたしが苦しかったときに、話しを聞いてくれたように
その音と、ステージに立つ姿で、わたしの背中を後押しして、退路を絶ってくれたように。
この動画をたくさんの人に見てもらえれば、と思って記事を書いたんだけど
なんだかぜんぜん上手に書けなかった。
それでも、どこかの誰かに「山作戰」という名前と、この音が届く可能性があるならば
と思い、この記事をこのまま公開します。
なお、おじさんはYouTubeの登録人数1000人をクリアし、再生時間4000時間に刻一刻と近づいています。
気になった方は動画の再生を、お気に召した方はチャンネル登録をして、おじさんの冒険譚を応援していただけたら嬉しいです。わたしは、この人が紡ぐ、次の物語も見てみたい。
おじさん、からだに気をつけて。
また、お母さんと一緒にライブを聴ける日を、楽しみにしています。