「自分らしさ」を追い求めすぎない方がよい理由。
自分で主張したことを簡単にひっくり返す、ミスター手のひら返しことJUNです。
#考え方が変わるのはわるいことじゃない
先日、こんな記事を書きました。
的な内容です。
もちろん、この主張に嘘偽りはないのですが、日々、子どもたちとかかわる中で、「そうは言ってもなぁ。」という部分も見え隠れします。
もうちょっと具体的に言うと、
「自分らしく生きよう!」
とか、
「個性を大切にしよう!」
みたいないわゆる「新しい生き方」と言われているカテゴリーについて。
確かに、「新しい未開拓の道を、尖った個性一本で切り開いていく。」という生き方は、格好良いですし、僕もあこがれます。
しかし、当然のことながら、「未開拓の道なんてそうそうない。」わけで。
当然のことながら、「個性を重視すると集団からはみ出す」わけで。みんながみんな「個性的になろう」としたら、必然的に集団は生まれないわけで。
もちろん、「そりゃ、極端でしょ!」を言われたらそれまでなのですが。
人間は、「集団の一員である方が落ち着く」という特性をもっています。だから、ほとんどの人が、
という「様子見」から入ります。
このような人間の特性は、ともすると「個性を押し出す」ということと矛盾するのかもしれません。
大人側から、「自分らしくていいんだよ。」とごりごり押されると、「自分らしさって何さ!」と余計に悩ますことになるかもしれません。
ということは、極論、「しかれたレールにのっかっていた方がやりやすい。」という子どもも存在してよいのです。
そういえば、むか~しむかしにこんな記事も書いていました。
極論ついでに言えば、日本だってむか~しむかしは、
「俺、武士になりたい!」と言っても、「ばか言ってないで、田植えのやり方くらい覚えな!」と言われる時代がありました。
「俺、勉強したい!」と言っても、「ばか言うな!そんなことしてなんになるんだい!」と一喝された時代もありました。
あの「自由」の象徴とも言える「アメリカ」でも、「自分らしく生きる」という人生観は、1960年まで異様だったということです。
#無理ゲ―社会
ちょっとだけ視点を変えてみると、「自分らしさ」とか「自分探し」という価値観が”あたりまえ”になったのは、わりと最近だったということが分かります。
この変化は、ある意味「豊かさの象徴」なのでしょう。
「物質的な豊かさ」が頭打ちとなり、それに代わって、「どれだけ自分らしく生きているか」という「新たな豊かさ追求の時代」となったのです。
「なるべくものを持たずに身軽で生きる」なんて「生き方」もできあがりましたものね。
こんな不確実な世の中だからこそ、みんな「自分を探そう」とします。
もちろん、僕は「成功のレール」は既に存在していないと考えています。しかし、その反面「自分探し」をしたところで、みんなが見つけらるものでもないと思っています。
「じゃあ、結局、どうしたらいいの?」という疑問を深める結果となったかもしれませんが、
大切なことは、
という「自分を知る」ということではないでしょうか。
「敷かれたレール」でもなく「尖った個性」でもない、「ちょうど自分が心地よい状態」にこそ価値があると思うのです。
事実、「レール派」でも「個性派」でも「成功者」として見られることはあります。しかし、「幸せ」とは限らない。
そんな、「見せかけの幸せ」にとらわれることなく、常に「自分と対話」し、「他者と対話」しつつ、「自分づくり」を進めていくことがいいんじゃないかなぁというのが、現時点考えていることです。
そして、そんな「最高の状態」に欠かせないのが、「コミュニティー」。
やはり「他者がいるから自分への気づきがある」ということは、今も昔も変わりません。
「他者がいるから自分だけではできないこともできる」のです。
見せかけの「自分らしさ」を求めるより、まずは、「心地よいコミュニティーづくり」が先決。
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