子どもの「経験」を引き出すときに心がけるべきこととは。
教師の世界には、「授業研究会」というものがあります!
学校によって取り組み方は違うのですが、先生たちが授業を見合い、さらに授業力を高めていこうという前向きな取り組みです。
これまで授業を提供したり、見せていただいたりする中で、ある共通点に気付きました。それは、
「多くの先生方が、子どもが『自分の考えを表現する場面』を提供しがち。」
ということです。
言うまでもなく、授業には様々なタイプがあります。その時間によって「ねらい」が違います。これから学習していく「めあて」を立てる時間があれば、問題解決に向けて学習計画を立てる時間も必要です。また、調査をして情報を集めたり、学習してきたことをもとに意見交換をしたりする時間も必要です。このように日々様々な授業が展開されているのですが、「授業研究会」という少し特別感のある授業では、「子どもたちが自分の意見を表現する。」という場面が引き合いにだされます。
僕も一応教師なので、この気持ちは分かります。
「自分の学級を自習にしてまで授業を見に来てくださっている先生方には、子どもたちが生き生きと表現している場面を見てほしい。」
という授業提案側の意図が痛いほど分かります。
これは、問題ないのですが、「子どもに生き生きと表現してほしい。」と願ったことではまりがちなとてつもなく巨大な落とし穴があります。
本日の記事では、その落とし穴について深堀りしていこうと思います。
▶「表現する」ことの難しさ。
「子どもに表現させたい。」という願いをもって授業を計画していくと、一度は落ちてしまう落とし穴があります。
それは、
「子どもの『経験』をもとに自分の考えを表現させる。」
という活動です。
実は、「自分の経験を語る」ということが非常に有効である一方、非常に難しいことでもあるのです。
教師の意図としては、
「自分の意見を語る上での根拠がほしい。やはり、『自分だったら。』と考えてたときに、『自分の経験を根拠として語る』というのが、一番説得力が出るから、子どもたちにもぜひ取り組ませたい。」
という考えがあるでしょう。
このような純真無垢な考え方で子どもにしてしまいがちな発問に、
「登場人物と『自分を』重ね合わせて考えてみよう。」
とか、
「自分も主人公と同じような経験があるかなぁって考えてみよう。」
というものがあります。
先ほどの教師の意図が、前面に押し出された強めの発問ですね。しかし、この発問はほとんどの場合、届きません。その理由は単純で、
「子どに同じような経験がない。」
ということが最大の要因です。
忘れがちで、やってしまいがちなこととは、
「『経験を頼りに語らせたい。』という教師側の意図の頼みの綱である『経験』が子どもにない。」
ということなのです。
例えば、国語科で必ず学習する「伝記」を取り扱う授業。まさか、
「自分の経験と照らし合わせよう。」
と言っていませんよね?
考えてみてください。伝記になる位の自分ですよ。僕みたいに毎日のほほんと生きている「普通」の人ではなく、後世に伝えるほど価値のある大きな役割を果たした人物の読み物です!
そんな歴史を動かした人物と、「自分の経験を重ね合わせる。」なんてことはできっこありません。
これは、「子どもに将来なりたい職業を聞いてしまう。」過ちに似ています。将来どのような職業があるのか分からないような今のような状況で、子どもに具体的な職業を決めさせようとしてもあまり意味がありません。
どうしても聞くとしたら、
「大人になったら、どのような人になりたい。」
という質問はありだとは思います。
伝記についてもそうでしょう。
「人物と自分を照らし合わせるのは無理でも、その人物に『共感した』ポイントや『見習いたい』と思った生き方はあるかな。」
であれば、「自分の考え」として表現させることはできます。
子どもが「自分の経験」を根拠として語らることができるのは、「自分の具体的な経験から発展させて考えられる範囲。」にあります。
大人の「経験を語らせたい」という考えから、無理やり引き出したあてずっぽうの考えにはあまり価値もないのです。
このように主張するには、理由がありました。偉そうに書いている僕自身にも無理やり引き出した経験があります。
余談ですが短めにまとめるので・・・。
それは、4年生を担任した時のこと。国語科の授業であるお話を授業しました。もちろん、「授業研」が控えていたので、やる気もいつもの1.5倍増し。かなり話し合いもできるよう実力をつけてきた子どもたちだったので、「自分語りをする。」という場面を先生方に見てもらいました。
題材となったお話をめちゃくちゃざっくり説明すると、
「大切にしていた『木』が台風で倒れてしまう。切り株だけになった『木』を前にして一旦落ち込むが、切り株から感じる生命の息吹を感じ取り、前向きに生きていく。」
といった内容でした。
僕は、話し合いのスペシャリストの集団に対して、
「自分の経験をもとに考えたことを発表しよう!」
的な発問をしました。すると、次から次へと出てきます。
「あの、僕も大切に思っていた『木』が切れれちゃって・・・。」
「私は、主人公の気持ちがすごくよく分かって。その理由は、小さい頃よく遊んだ公園の『木』が切られちゃって・・・。」
「あっ、あの、僕も、公園の『木』が切られたような経験が確かあったような気がして・・・。」
という、
「第1回、大切な『木』が切れてしまった悲しさ報告会。」
が開催されてしまったのです。
当時の子どもたちには、「分かった。もういいんだ。俺が悪かった。」と言ってあげたいです。
▶まとめ。
本記事では、「子どもの経験を十分にみとっておこう!」という内容をまとめました。
「経験」を子どもに語ってもらうことの切り口は、簡単ではないですが、実現できるとしたら非常に有効な学習の手立てになります。経験は、基本的には、「一人」のものですからね。その「1つの経験をみんなで共有することで、様々な経験を得る。」ことができます。まさに、「学校」で学習することの良さの1つです。
また、子どもの「経験」を学校に持ち込んでもらう方法だけでなく、学校で子どもに「経験」を与えるという手段も大いに取り入れる必要があるでしょう。
学級という集団で「経験」したことを学習に生かしていくことができれば、子どもたちが「共通の土台」で話し合うことができます。
「経験」の生かし方には、さらに可能性が秘められていそうです!!