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銀河鉄道の「ドラ泣き」の夜
カムパネルラに、ジョバンニは言った。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。……」
それは、叶わないのに。
あれは中学だったか、高校のときだったか。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだとき、感じるものは特になかった。
「なんで未完の作品を読まなきゃいけないの?」くらいの感想だった(ちょいちょい原稿が欠けている)。
ところが、大人になってこの作品と向き合うと、
ドラ泣き案件だったことが判明した。
ドラ泣きとは、映画ドラえもん(STAND BY ME ドラえもん)を観ると、大人のほうが泣いてしまう現象だよ
子供のはじめての読書感想文を手伝うことになったとき、図書館で「銀河鉄道の夜」と再会した。
絵本版で、短く編集されてるがゆえに、ストーリーがすっと入ってきたところがある。
その作品はほとんどが「せつなさ」からできていた。
子供を素通りして、大人に直撃するせつなさ。
とても深い作品なので、いくつものせつなさがあると思うのだが、わたしが認識できた限りでは、ふたつの大きなせつなさがある。
カムパネルラせつなさと、ジョバンニせつなさだ。
あらすじを知らない人のために簡単に説明すると、ジョバンニとカムパネルラは小学校のクラスメイトだ。
ジョバンニは家が貧乏なため、放課後は働かなければならず、仲が良かったふたりの交友関係は途絶えてしまっていた。
あるお祭りの夜、ジョバンニはいつのまにか銀河鉄道に乗り込んでいた。
唐突な展開だけど、実際にそうなんだ
そこに青白い顔をしたカムパネルラもいる。ふたりは銀河鉄道の中でひさびさに旧交を温める。
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いろいろな乗客が乗り込んでは降りていく。その中にはタイタニック号で命を失ったのだろう姉弟もいた。この辺りで完全に死後の世界だとわかる。
ジョバンニは、カムパネルラに「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言う。
だが、気がつくと、ひとりで草原の上にいた。
ジョバンニは生者。川でおぼれたカムパネルラとは別れねばならなかったのだ。
🌙 カムパネルラせつなさについて
カムパネルラせつなさは、清い心の持ち主がはかなく消えてしまうやるせなさのようなものだ。
カムパネルラは、クラスメイトのザネリ(スネ夫みたいな雰囲気の子)が溺れそうになったのをかばって、自らが犠牲になった。
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「おっかさんは許してくださるだろうか」
悲しむ人がいる。カムパネルラは、自分が完全に正しいことをしたと思えていない。
これはトロッコ問題とも言える。それでも彼は自己犠牲のほうを選んだ。
タイタニック号の姉弟も、詳しくは書かれていないが、救命ボートのスペースを他の人に譲ってしまったのだろう。これも正しいことなのかはわからない。
清くはあれども、正しいと言い切ることはできない。
せつなさは、0か1で割り切れない場所にある。
🌙 ジョバンニせつなさについて
そして、ジョバンニせつなさだ。より身近なノスタルジーのあるせつなさ。こちらは元祖スタンド・バイ・ミーの世界。
小学校、中学校のときを思い返してみてほしい。
とても仲良くしていた友達が、あるときから交友関係が変わってしまって、距離ができたこと、あるいは、距離をとられてしまったことがないだろうか。
わたしはあった。とてもつらいことだ。できれば、もう一度仲良くしたいと思う。しかし、それはかなわない。
いわゆるスクール・カースト。わたしのランクがひとつ下がってしまったからだ。わたしに関わると、周りの仲間から馬鹿にされる。
ジョバンニとカムパネルラの場合も、よく考えたらスクール・カーストだ。
クラスの中でジョバンニのランクだけが下がった。カムパネルラはいいやつだから、態度を変えたりはしないが、かといって昔のように近づくこともできない。
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ジョバンニはどんなにか、カムパネルラと話したかったことか。
それが銀河鉄道の中でかなった。
だから、ジョバンニは「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言ったのだ。
だけど、カムパネルラはすでに死後の世界の人間だった。別れは必然。
帰宅してからのジョバンニの様子は描かれていないが、彼はドラ泣きだと思う。
「ぼくはもう、カムパネルラと会うことはできないんだ!」
「Stand by me ドラえもん」のときみたいに、カムパネルラがひょっこり帰ってきたらいいのに。
……あながち、なくはない。
作中でカムパネルラの死は確認されていないのだから。
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昔、「銀河鉄道の夜」を読むことになった経緯はなかなか複雑……
ドラえもん大好きゆえにいらぬ考察をした記事
My スクールカースト小説(主人公?がクラスメイトをランキングに!)
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