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 前回投稿した記事「自分の名字が嫌い」を書いていて思い出したことがある。

 画面音声読み上げソフトやアプリが入ったパソコンや携帯で、友達とメールしたり、SNSや携帯小説サイトで文章を投稿するようになった二十歳前後まで、文字は点字しか使ってこなかった全盲者の私にとって、同じ漢字でも違う読み方をするという概念をなかなか理解できなかった。
 そのことに初めて気がついたのは、地元の盲学校の幼稚部に通っていた時だった。
 点字を読む練習として、恩師のO先生が、単語カードに家族の名前を点字で書いてくれた。それを読んでいた時、1枚のカードに手が止まった。祖父の名前が「ひかる」と書いてあったからだ。
 「先生、おじいちゃんの名前はさかえです」
 戸惑いながら私はすぐにそう指摘した。

 私の祖父は「光」と書いて「さかえ」と読む。
 画面音声読み上げソフトやアプリを使って文章を書くようになり、漢字を熟語でなら理解できるようになった今なら、「光」と書いて「さかえ」と読むのかということを何となく理解できる。しかし当時の私は、おじいちゃんの名前は「さかえ」なのになぜ「ひかる」なんだろうと、先生の間違いの意味が全く分からなかった。

 例えば「羽田」がなぜ「はた」とも読むのか。また「館山寺町(カンザンジチョウ)」という地名がなぜ「たてやまてらまち」になるのか。点字なら羽田なら「はねだ」、館山寺町なら「かんざんじちょう」としか読まないのにと、しばらく謎に思っていた。
 そんなわけで、漢字の読み方の概念を理解するまでにはずいぶん時間がかかった。

 ところでこの記事を書いていて、今更ながら気がついたことがある。
 それはおじいちゃん子だった私が、自分のペンネームに「光」という漢字を入れていたことだ。
 私が詩や小説を書いていること、いつか自分の本を出版したいと思っていることを、家族の中で唯一話せたのは祖父だけだった。
 「おうそうか。じゃあその時はペンネーム考えてやるからな」
 祖父はそう言ってくれた。そしてこれが結果的に祖父との最後の会話になってしまった。
 祖父が旅立ったのは、私が地元を離れて京都の盲学校に入った1年目の19歳の冬だった。
 その後羽田光夏(はねだひか)として第1詩集を出版したのは、祖父が亡くなってから10数年後のことだった。
 光夏(ひか)、このペンネームを考えついた時は、ただ自分が好きなバンドの楽曲のタイトルから勝手につけただけだったのが、夏に生まれるはずだった極小未熟児の自分が、大好きだった祖父の名前を知らず知らずのうちにペンネームに入れていたことに、今更ながら運命めいたものを感じて驚いている。

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